サキュバスの流す涙

「よう」

「……ああ」

 

 翌日、俺はすぐに家を出た。

 どんな顔をすればいいかもわからなくて、どんな顔をされるかも分からなかったからだ。

 ただ恐怖に突き動かされるままに、見送ってくれた彼女を無視してギルドへ向かう。

 俺の後ろ姿はきっと情けなかっただろう。

 彼女の「いってらっしゃいませ」の言葉がいまだに耳に残っている。

 

「なんだ、昨日は夜更かしか?」

「……あぁ」

「なんだ、面白くねえな」

 

 ベックはニヤニヤと卑しい笑みを向けてきたが、俺の顔を見てすぐにつまらなそうな声を上げた。


 きっと俺が淫魔とハッスルしたのだと誤解したのだろう。


 実際は逆だ。興奮ではなく恐怖で寝られなかったのだ。


 いつ、あの小さな口から「クズ野郎」と溢れるのか気が気じゃなかった。


 見送られる時にその顔に嫌悪が浮かんでいるのではないかと恐怖した。


 きっと、仮に俺の妄想が少しでも真実だったなら──


 俺はきっと、自殺してしまうだろう。

 

「それより、さっさとギルドに行こう。もしかしたら今日も多いかもしれない」

「確かにな。スタンピードになったらウハウハか」

「それならウハウハってよりも忙しすぎて死にたくなるぞ」

「ちげえねえ」

 

 ギルドに向かうといつもの面々がすでに待っていた。

 

「待たせたな」

「いや、今日は大丈夫だ」

「今日も『餌付け』は済ませたのか?」

「……」

 

 マゼンダが先ほどのベックと同様にバカにした口調で聞いてくる。


 俺はついうんざりとしてしまって、言葉も返せなかった。

 

「……マゼンダ──」

「悪かったよ……」


 ベンダーのお小言が飛んでくる前にマゼンダは悪びれた。


 こういうところはこのパーティのいいところだ。


 本当にダメなことはしない。揶揄いも限度があると全員が分かっている。


 俺は少々の安堵を感じながらそっぽを向いてテーブルに近づいた。


「ベンダーの言う通りだぞ。こいつ、昨日は眠れなかったようだ」

「それなら今日は休むか?」

「……いや、いい。俺がいなくなったら前衛はガタガタだろう」

「言うじゃねえか」

 

 ベックが気前よく肩を組んでくる。

 双剣使いのこいつはバーバラの護衛に回ることが多い。

 俺が抜けるときっとその穴を埋めなきゃいけなくなる。

 しかし、前衛で双剣というはちと相性が悪いのだ。

 単純にリーチがない。間合いの広さは戦闘において重要だ。

 マゼンダは絶対後方で大人しくはしないしな。

 双剣は人の周りで振り回す分にはいいが、前線では安全性に欠ける。

 つまり、俺とベンダーが使う槍が近接戦闘じゃ最強なのだ。

 

「それじゃあ、行こうか」

「ああ」 


 ◇


「ふっ……今日はこの辺にしよう」

 

 昨日と同じように4Fから5F周辺を何往復かして、途中休憩を挟みつつ合計で100匹ぐらいの魔物を狩った。

 

 やはり昨日より魔物が多い。


 うちのパーティの消耗も激しかった。


 流石に一人あたま20匹は辛いものがある。


 光栄のベックも息を荒くしていた。

 

「疲れたぜ……」

「今日はもう魔力切れです……」


 バーバラが同調する。


「なんだ、あんた達。情けねえな」

「お前と一緒にすんなよ。筋肉ゴリラ」

「その頭握りつぶしてやろうか」


 他愛無い話もそこそこに地上へと戻る。


 迷宮というのはどこまでも深く広がる洞窟だ。


 内部には光る鉱石によって光源が敷かれている。


 掘れば売れるだろうが、それはここでの戦闘を不可能なものにするので固く禁じられていた。


 地上へ戻る出入り口のところで門番の検閲を受けてギルドへ足を踏み入れる。


「お前達、今日の報酬だ」

 

 ベンダーから全員に報酬が配られた。

 今日は銀貨だ。いつもは銅貨で配られていたから、久しぶりである。

 いつもより多い給金にベックやバーバラは喜色を浮かべていた。

 

「ベンダー、まさかとは思うがちょろまかしはしてないよなー?」


 マゼンダは報酬を受け取ると冗談めかしにベンダーをつつく。

 こいつはこういうやつだ。本気でやってると思ってなくてもこういうことを言う。

 若干、本人はそれにうんざりしているようだった。


「……前に言っただろ。余りはギルドに預けている。今日の銀貨もその分を足し合わせたものだ」

「ちぇー、100匹も狩って銀貨五枚にも足りないのかよー」

「魔物が多いからって誰かが潤うわけでもないしな。しょうがない部分はある」

 

 昔、大人から聞いたことがある。

 

 冒険者は狩った魔物の数が少ないと給与を減らされる。


 しかし、たくさん狩っても今日はたまたまだと増やされない。

 

 割に合わない仕事だと、だから真面目に働けと悟してきたんだった。

 

 結局、こんな仕事に就いてる時点で俺に真面目は似合わないということだろう。

 

「この後どうする? 飲みでも行くか?」


 日給が入ったところでベックが誘いをかけてくる。俺はすぐに首を振った。


「俺はパス」

「僕もパスで。読みたい本があるので」

「バーバラよ。そんなに本ばっかり読んでるといつか本の虫になっちまうぜ」

「や、やめてくださいよ、ベックさん!」

「ベックの言う通りだぞ〜? たまには付き合えよ」

「マゼンダは酔い方が悪いから嫌だ」

「なんだとー⁉︎ お・ね・え・さ・んの誘いを断るとは、ふてえ野郎だ。この〜!」

「やめっ、やめろ……っ!」

 

 彼らを尻目に踵を返す。


 いつものじゃれあいだ。見届ける気もない。


 帰り際にベック達に手を振られて、振り返した。


 本当はあいつらに付き合いたかったが、なぜだか帰らないといけない気がする。

 

「……」

「……ちっ」

 

 道中で、昨日降った女と出くわした。

 睨んできたが無視だ無視。しょうもないやつと絡んでられない。

 ……とは言ったものの、積極的に帰りたいわけではない。むしろ帰りたくない。

 しかし、帰りが遅くなるわけにはいかない気がした。

 その理由なんて一つしかないだろう。


「……ただいま」

「──おかえりなさいませ!」


 どたどたと、真っ裸の少女が駆け寄ってくる。

 俺の帰りは待ち侘びたと言わんばかりに淫魔は俺を出迎えてきた。

 その姿は目にも下半身にも悪かった。

 目を輝かせた少女が健気にも駆け寄ってくる姿は雄弁にその生気を物語っている。

 彼女は人間なのだ。

 つまり、人間の女の子なのだ。

 それなのに一矢纏わぬ姿で駆け寄ってきて、俺に人懐っこい笑みを浮かべてきている。

 彼女の心というものに興奮を覚える気がした。

 

「……」

「お疲れですか? 何か──」


 俺は彼女を再び無視して、顔を背けるように自分から服を脱いだ。

 そのまま槍を立てかけたことで彼女がやることはなくなった。

 言葉尻が途切れたまま部屋に彼女の声が残響する。

 しばらく、ひどい沈黙がその場に横たわっていた。


「……私のこと、お嫌いですか?」

「そういうわけでは」

「……」

「……」

「……」

「……分かりました。無理を言ってすいません。すぐに、出ていきます」

 

 裸の少女が、すぐに判断して出て行こうとする。

 俺はそれに咄嗟に立ち上がって、引き止める言葉を見失った。

 俺が仕向けた状況だ。だが、望んだものでもない。

 それでも俺が引き越したのだから、どの面を下げて引き留められるのだろうか。

 本当に裸のまま出て行こうとしてしまう。

 その後ろ姿を、流石に引き留めた。

 

「おい、待て」

「……」

「どこに行くつもりだ。当てはないんじゃなかったのか?」


 俺の言葉に、錆びた松戸のような動作で返事が帰ってくる。


「……ご心配には及びません。この体でも、どうにかして生きては……いけますから」

 

 最後の言葉には彼女の自身のなさが現れていた。


 今、目の前に立っているのは淫魔のはずだ。

 

 彼女はいまだ淫魔のはずなのだ。

 

 類まれな外見は、外見から読み取れる歳と食い違う色香と共に彼女が男を誘いその精を貪るサキュバスであると高らかに喧伝している。

 

 きっと外に出ていけばすぐに注目を浴びて、動く淫魔として拐われるだろう。


 物珍しさから多くの人間の欲望の的になり、悪漢に連れ去られることなんて自明の理だ。


 下手すればまたあの物見小屋に逆戻りになる──今度は前より桁が二つも三つも多い表札を掲げられて、好事家なんて名乗る輩に売り払われる。


 貴族の目に止まればいいが、そうでなければ次に彼女を手に入れる奴は碌でもないことは確かだ。

 

 だというのに、彼女はそれでも気丈に笑っていた。


 その割れかけの作り笑いは、どこまでも彼女を人間らしくたらしめていた。

 

 彼女を追い出さんとしている俺の方をこそ、悪魔にせしめてしまうくらいには綺麗で、儚くて、あまりにも美しい。


 ……資格がないんじゃ、なかったのか。

  

「いい……お前がいても、気にならん」

「……本当でございますか?」


 彼女の言葉に、ぎりっと唇を噛む。

 俺は嘘をつかなければならない。


「……ああ」

「本当に、本当に、私がいても目障りではありませんか?」

「ああ」


 二度目の嘘は彼女の顔を見て言った。俺の返答に彼女は──


「……良かった」

 

 その少女は、ニーニャとかつて俺が名付けた性処理機は泣いていた。

 

 まるで健気に自分が目障りだと思われていないことに安堵して泣いていたのだ。

 

 本当に残酷である。残酷で凄惨で取り留めもない話だ。


 割れ物の笑顔は、白百合の如く佇んでいた。

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