サキュバスのいる朝
流石にニーニャの言葉とは言え疑いたくなる。
今でこそ男は女への興味をかなり失ったが、それは発散先があるからだ。それは逆に言えば発散先の分、俺たちに性欲があるということになる。
男の方が女より性欲は強いと思うが……
「男性はそういったことを開けっぴろげに話せます。しかし、女性はそうではありません。恥ずかしさや世間体を気にして言い出せないということが多いのです。だからこそ、表面化しないだけであって存外に性欲が強い女性というのもいますよ。知られていないだけです」
「そうなのか……ニーニャがいうなら、そうなのかもしれないな」
「ありがとうございます。それで、どうすれば主人様が運命の相手を引き寄せられるようなモテ男になれるかという話にございますが」
「……」
「主人様が今のように女心を知り、ある程度のセオリーを学んで、最後に女性のために一定程度の損失を許容する。その覚悟をされるだけで良いのであります」
「……それだけでいいのか?」
なんだか簡単な話に聞こえる。そんなことで簡単にモテ男になれるものなのか?
というか、今更ながらモテ男という言葉の響きに幼稚さを感じる。俺はこれからそんなものになるのか……まあ、なれるならなりたいが。
「むしろ、これを自分からされる男性は滅多にいません。女性にとってはそれだけで十分なのですが、故に実践される男性はすぐに恋愛市場から売り切れてしまい、最終的にしない男性ばかりが目立ってくるのです」
「なるほど……一定程度の損失を許容するか。確かに、今まではどこか損をしたくないと考えてきたな」
「はい。目先の小さな損失に囚われるばかりでは、大きなものを釣り上げられません。釣りにはまず小さな獲物を餌にするところから始まります」
「それが損失の許容か……具体的にはどうすることを言うんだ?」
俺の問いに、順番にニーニャは指を曲げていった。
「女性に時間を使うこと、女性に労力を使うこと、女性に気を使うこと、女性にお金を使うこと、以上の四つにございます」
「……大変だな」
なんだか急に現実的になった。
「四つとも、ある程度でいいのです。そして、そのある程度をしている人が滅多にいないので、それだけで主人様にはアドバンテージが生まれます」
「……そうか」
今までは女と関わる上で損をするなら関わらない方がマシだと考えていたかもしれない。
いや、以前の俺なら絶対にそう考えていた。それがまず間違いだったのか。少しの損を許容する。力というより心の余裕が必要なのか?
「損をしても動じない度量のある男性に、頼もしさを覚えるというのが女性というものです。体を許すというのは相手に体の主導権を渡すということです。恋をするというのは相手に心の主導権を渡すということです。それを本質的に理解しているからこそ、女性たちは身を任せていい相手か判断するのです」
「なるほど。あまりにケチだと自分にもケチになるんじゃないかと思うってことか」
「さようです。主人様は飲み込みが早いですね」
「ニーニャの説明が上手いからな」
「ありがとうございます……」
その場に向日葵が咲いた。彼女の微笑みに俺も嬉しくなってくる。
「なら、俺は女心を学んで、恋愛のルールをある程度知って、どっしり構えていればいいのか」
「はい。そこまでいったら第一段階は完成です。次に実践に移ります」
「実践?」
「はい、実際に主人様に女性と仲良くなってもらいます」
「……」
いきなり実践に移るのか。不安だな……
「大丈夫です。主人様ならきっとできます!」
「……ありがとう、ニーニャ」
「今日はそろそろ終わりですね。続きは明日にしましょう」
「そうだな。もうすぐ日没だ」
気づけば辺りは暗くなっていた。いつの間にか夜が近くなっていたらしい。
寝る準備をして、歯を磨き、体を拭くと日がとっぷり暮れる。
暗闇の中で床に寝そべった。隣にはボロ布に着替えたニーニャがいる。
「それじゃあ、おやすみなさい。主人様」
「ああ、おやすみ、ニーニャ」
そうして、俺たちは寝床で微睡んだ。
◇
「ん……」
朝、隣の温かさに目が覚める。
目を開くとニーニャが横で俺に抱きついていた。
昨日は俺のすぐ隣に寝ていたが、寝ている間に抱きついてきたのか、それとも俺を気遣って俺が寝入った後に抱きついてくれたのか。
「……ありがとう、ニーニャ」
どちらにせよ、ここ最近でいちばんの目覚めだったことは言うまでもない。
「ん……おはようございます、主人様」
「ああ、おはよう」
「本日もお仕事ですか?」
「ああ、ニーニャも朝ごはんを食べるか?」
ニーニャはその言葉にしどろもどろする。寝起きだから頭が回っていないのだろう。
「えっと、お仕事の前だとお疲れになるのでは……」
「だが、朝食を抜くというのもいけないだろう」
「い、いえ。淫魔は一日に一度精を頂ければ十分なので、時間帯は特に……」
「そうか……そういえば、普通の食事は取れるのか?」
「えっと、可能ではあります。ただ、ほとんど消化できないので、そのまま体外に排出されるかと……」
「なら、食べられはするんだな」
「は、はい……そうですが──」
「なら、一緒に食べてくれ」
「いいのですか……⁉︎」
ニーニャは驚いたような顔をする。そこまで驚くことなのだろうか。
「ああ、誰かと食事とを共にしたいと思っていた。いつもは一人だから」
「……ぜひ、ご一緒させてください」
「ありがとう」
ニーニャの桃色の髪をなぜる。確か、愛おしむように撫でるのだったか。
「といっても、貧乏飯だけどな」
「頂けるだけでもありがたいです!」
家を出て、一人分の器を持って行くと、近くの飯屋に向かう。
いつもより多めにもらって料金を支払うと切らしていたパンも買って家に戻る。
大抵は近くの場所で買うことになっている。自炊なんかは館ぐらいでしかできない。一々薪を使って火を炊いて、シチューなんかは作っていられないからな。
「帰ったぞ」
「おかえりなさい。それは……?」
「シチューとパンだ。悪いな、贅沢できなくて」
「いえ、頂けるだけで光栄です」
ニーニャは初めて食べるパンとシチューに目を輝かせていた。そんなに美味くないんだがな……
「……」
「……祈りか?」
「えっと、はい。母が以前こうしていたのを思い出しましたので……何か不味かったですか?」
「いいや、生憎と経験でもないし、そもそも神を信じてないからな」
「信じれば、きっといますよ」
「……確かにな」
今の俺にとってはニーニャが神様みたいなものかもしれない。自分の人生に咲いた一輪の花、不安な将来を照らす一筋の希望、俺にとってはそういう存在だ。
「むぐ」
「……」
「むぐ、むぐ」
「上手いか」
「……ごくっ、はい!」
「……そうか」
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