サキュバスの恋愛講座 ⑵

 店主はもう一着ローブも新しく買わせようとしてきた。ここは商人ということだろう。

 

「いくらだ?」

「金貨一枚だ」

「高いな。一着だ。銀貨七枚してくれ」

「安すぎる。せめて銀貨十二枚だ」

「八枚」

「十二枚だ」

「十枚でどうだ」

「……十一枚なら売る」

「仕方ない。それで買おう」

「あいよ」

 

 小銭袋から一ヶ月分の給料を出す。結構重いな……感覚的に。

 

 余計な出費はほとんどしないのが庶民だから、金を貯めるのも一苦労だ。突発的な支出もあるし、稼ぎも安定しているわけではない。

 

 だが、満足感はある。自分に使うよりはよっぽど有意義だ。

 

「そこで着ていくか」

「頼む。あまり人には見られたくない」

「店の前で見張ってよう」

「ありがたい」

 

 店の奥に入って行って、ニーニャに再び視線を合わせる。

 

「こんなお高い服を……」


 いまだに彼女は恐縮しきっていた。


 今まで動けなかったはずだが、金銭価値を知っているんだろうか。


 どちらにせよそこまで深刻に考えないでほしい。単純に俺が着て欲しいだけなのだから。


「まあ……あれだ。ニーニャには相談に乗ってもらってるからな。だから、これは相談料だ」

「それは! 助けていただいた恩を返すためで、これでは──!」

「俺の自己満足だ。いけないか?」

「……主人──バラッドさんは、良くない人です」


 ニーニャは拗ねるように口を尖らせた。


「ははっ、そうかもな」

「……絶対に、良い人を見つけないと」

「──ん、何か言ったか?」

「い、いいえ!」

 

 ニーニャがフリフリと頭を振る。そのせいで、フードが取れてしまった。

 

「あっ……」

「それじゃあ早めに着替えよう。店の前で店主が見張ってくれているから、見られる心配はない」

「……分かりました」

「俺の背に隠れて、着替えたら呼んでくれ」

「はい……」

 

 彼女の姿を店先の視線から隠すように立つと、後ろからゴソゴソと衣擦れの音がした。

 

 しばらくしてトントンと背中に小さな指が突き刺さる。くすぐったい感覚に後ろを振り向くと、可愛らしいドレスに身を包んだニーニャが立っていた。

 

「かわいいな」

「んん……ありがとうございます」

「お姫様みたいだ」

「んん……」

 

 ニーニャはなぜか喉を鳴らしていた。風邪だろうか?

 

「大丈夫か?」

「は、はい。体の方は……」

「そしたら、少し勿体無いが、もう一度ローブを羽織ってくれ。俺がいるから大丈夫だとは思うが、身なりがいいと変な輩に絡まれるかもしれないしな」

「承知しました」

 

 そもそも彼女は自分の素顔を隠さなくてはならない。小汚いローブにもう一度袖を通す彼女を見て、確かに店主の言う通り新しいローブを買うべきだったか迷う。

 

「……やっぱり、ローブも買おうか?」

「いいえ! これ以上は施していただくわけにいきません!」

「施しているつもりはなかったが……まあ、いい。手持ちも少なくなったしな。一度家に帰ろう」

「本当に申し訳なく……バラッド様の方こそ装備などを新調なされないのですか?」

「冒険者稼業のか? そうだな。修理には出しているが──」

「着替えおわったか?」

「ああ、すまない。ほら、行こうか」


 ニーニャの手を取って、店主に挨拶する。そのまま家へと戻った。

 

「……ニーニャ、顔を良く見せてくれ」

「はい、どうぞ」

 

 家について、早速ニーニャのローブのフードを脱がす。

 

 桃色の長髪が中から溢れて、銀鏡のような顔が中から出てきた。

 

「……やっぱり、ニーニャは綺麗だな」

「あ、ありがとうございます……!」

「ニーニャがお嫁さんになってくれたらな」

「……それは、私では力不足かと思います」

「……そうか」

「はい」

 

 断言されただけに結構心にくる。

 

 割と本心だった。もしニーニャが良ければ……そんなふうに本気で考えていた。

 

 しかし、言い訳もできないほどキッパリと断られる。そもそも彼女は俺のサポーターなのだ。それならそれ以上は望むまい。

 

「私は淫魔です。きっと、主人様には釣り合いません」

「俺にはそんなことどうでもいいことだが」

「いいえ、きっといつかご迷惑をかけてしまいます」

「……」

 

 ニーニャは俯いて、頑なにそう言い張った。

 

 やはり、彼女はどこか卑屈さが見える。それは淫魔であることと関係なしに、だ。

 

「それでは主人様、計画の方を説明させていただいても宜しいですか?」

「あ、ああ、頼む」

 

 そういえば忘れていた。


 ニーニャの服を買ったのに満足していたが、そういえば俺をモテ男にするんだったな。当初の目的をすっかり忘れていた。

 

 ……ニーニャが一緒にいてくれたら、それで満足な気もしなくもない。いや、きっとその思いはかなり強いだろう。彼女は俺にとって恩人なのだ。


 だが、その思いを押し付けるわけにもいかない。彼女にとっては偶々自分が動けるようになった時に居合わせた主人でしかないのだ。

 

「まず、主人様は女性をどのように考えてらっしゃいますか?」

「どのように、とは?」

「彼女らが男性をどのように見ているかと言うことです」

「……顔や金、地位では?」

 

 無論、中身も見るだろうが、やはり典型例で言えばそれが強いのではないだろうか。これは完全に偏見だが。

 

「確かに、そういったものに踊らされる側面も否定できません。しかし、彼女らはそれだけあれば満足かと言えば、そうではないのです」

「というと?」

「一つ一つ紐解いていきましょう。世の女性たちがどのように男性を見ているのか」

 

 それからニーニャによるありがたい恋愛講座が始まった。

 

「まず主人様は女性にどのような印象を抱いてますか?」

「……」

「できるだけ具体的に、正直で構いません」

「……これは偏見だが」

「はい」

「……典型例だと顔のいい、性格のいい、もしくは金や地位のある男に目がなかったりする。逆に、男を毛嫌いしたり、多くの場合男の性に拒否を示す。あまり男に興味がない、だがそうでない奴もいる……なんだか曖昧だな」

「概ね間違っていません。しかし、肝心なものが抜けています」

「というと?」

「男性は……多くの場合、という条件はつきますが女性を獲物として見ます」

「……なるほど」

 

 今までなら否定したくなる言葉だったが、ニーニャに言われるとストンと胸に落ちた。確かに、そういう側面はある。

 

「それは性的に、あるいは恋愛的にです。そして、女性も同じように大抵の場合、男性を自分を狩りにくる脅威と認識しています。つまり、女性にとって男性とは本質的に脅威であり、恐れるものなのです」

「なるほど」

「女性は組み敷かれれば男性に勝てません。だからこそ、それをしないだろうという信頼感や安心感というものを求めます。その状況下で性的に、あるいは恋愛的に下心を見せればどうなるか」

「……引かれるのか」

「はい。自分を狙う飢えた獣に近づこうとするウサギはいません。牙を見せたり涎が垂れているのを見ればすぐにその場を立ち去ります。たとえ、その先に幸福が待っていたとしても、そこまで男性を信じられる人はいないのです。昨今では淫魔の存在からか、女性も積極的になってきたようですが……」

 

 そういえば、ニーニャは街に出た時に周囲の人の様子を確認していた。

 

 確か、街のイケメンの一人の横を通り過ぎていたな。いつも通り女性を連れていて、ちょっといけ好かないと思っていたが、あの時はなんだか隣の女性に押され気味だったようにも思う。

 

「確かに、そういう部分はあるな」

「恋愛というのは性行為と密接に結びついています。男性だけが興味があるように思われがちですが、興味自体であれば女性にもあります」

「──本当か?」


 あまり信じられない話だ。


「はい。恐怖が堰き止めているだけで、意欲も興味もあるのです。故に恋愛に対して性行為を想起する場合がほとんどなのですが……主人様は、性行為において男性が傷つくことはあると思いますか?」

「……あまりないな。口で……という話を聞いたことがあるから、そういうので傷ついたりすることもあるだろうが、基本的にはないだろう」

「では、逆に女性が性行為の度に口ですることを必ず求めてきて、けれども歯があたり、大抵の場合、傷がついて傷んでしまうとすればどうですか?」

「……あまり性行為に積極的にならないかもしれない」


 想像してみたが、むしろ今の女達と同じような積極度になるのではないか。


 つまり、興味があっても一歩踏み出せないような……


「その通りです。男女の交わりでは、基本的に女性側が一方的に傷つきます。それは本質的に男性器が外に位置するものだからで、女性器が中に位置するものだからです」

「中に位置するものか……言い得て妙だな」

「交合ではその二つをこすり合わせますが、体の内側というのは脆いものです。そこを乱暴に擦り合わせるのですから、どうしても負担というのはかかってきます」

「……俺は生身の女性としたことはないのだが、濡れたりはしないのか? それとも濡れにくいのか?」


 俺はニーニャとの経験しかない。彼女が淫魔だからか、敏感な部分に触れてしばらくすればすぐに具合が良くなる。


 生身の女は淫魔ほど手軽でないことは知っていたが、実際のところは知る由もない。それは俺が生童貞だからだ。


「私も淫魔ですので詳しいことは分かりませんが……基本的に淫魔は精を搾り取る存在。対して人間の女性は子を為すために性行為に及びます。つまり、頻度やプライオリティというのが違うのですよ」

「なるほど。要するに、女にとって男というのは基本的に傷つけてくる存在だから、距離を取りたがると」

「そうですね。ただ、女性にとって男性というのはそれだけではありません。彼女らにとっても男性は未知の存在なのです」

「未知? 俺たちがか?」

 

 聞いたことない話だ。

 

 女心がわからないという話はいくらでも聞くが、その逆というのは聞いたことがない。


 むしろ男は単純だという話を女たちはよくしているように思うが。

 

「結局のところ、彼女らも男性同様異性に興味があるのですよ。恐怖が根底にあるだけで、そこは変わりません」

「そう、なのか……」

「はい。ですので、女性も男性の体に性的興奮を覚えますし、ムラムラすることも相応にあります。ただ、表に出しづらいというだけに過ぎません」

「……だが、やはり男の方が性的興味は強いのではないか? 異性に対する興味は同じだとしても、やはりそういったことには男女差があるように思うが……」


 ニーニャの話でもいまいち信じきれない。俺は今まで女は男の性欲を拒絶する物だと思っていたのだから、個人差があっても全体的に見れば違いがあるだろうと思ってしまう。


「そうですね……男女差があるというのは当然のことです。しかし、例えば性欲などの話は男女にそれほどの違いを感じません」

「そうなのか……?」


 俺はニーニャの話を前のめりに聞いていた。

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