サキュバス、服を着る
彼女は唯一俺の話を聞いて、解決してくれようとしている人だ。もう前みたいに差し伸べられた手を振り払うことはしない。チャンスは自分で掴みに行こう。
「お話を聞いてくれてありがとうございます。それでは、不特定多数の女性と仲を保つことよりも、一人の運命の相手を惹き寄せられる男性を目指されたいということですね?」
「ああ、俺にできるなら頑張るよ」
「ありがとうございます。それなら私も出来うる限り主人様をサポートします」
「……」
「……どうしましたか? 私、もしや粗相を──」
「いや……」
ニーニャの言葉を遮った。別に彼女が何かをしたと言うわけではない。
単純に目の前の光景に違和感を覚えたのだ。
「……どうしました?」
「……まず、服を買おう」
ニーニャはまだ全裸のままだった。
「ふっ、服など、我々淫魔には必要ありません! 主人様の種を受け止めるのが我々の本懐! むしろ、この姿こそが我々の正装です!」
自信満々に言うニーニャだが、流石にそこには同意できなかった。
「正装って……何も着てないじゃないか……それに、ニーニャはもう話もできて、自分で歩けるのだろう? だったら、外に出てみたくはないのか」
「私の外見だと万が一淫魔だとバレる恐れが……そうなった場合、必ず騒ぎになるでしょう。主人様にもきっと迷惑をかけてしまいます……」
「なら、外に出なければいい。家で着る分には問題ないだろう」
もう一度、ブーツに足を通して外着に着替える。
単に上着を羽織るだけだがここ最近は肌寒い。
やはり、彼女に服を買い与えるべきだ。
「私は世情に疎いですが、淫魔に服を着せるのは一般的でないのでは? 主人様が特殊な趣味と思われるかもしれません……」
「確かにそうだが、そのままだと寒いだろう。それに当分は家に誰かを招く予定もない──ニーニャがサポートしてくれるなら、近いうちに誰かを招くかもしれないがな」
「だとしたら余計に問題です! それに、我々淫魔は寒暖差に対して支障ありません! 今までも裸のまま過ごしてきたではないですか!」
「うぐっ……それを言われるとイタイな」
「あっ……いえ、主人様に皮肉を言ったわけでは──」
その言葉が余計に刺さる。
そうだな。そのつもりはなかったかもしれないが、今のは完全な皮肉だ。
俺もきちんと受け止めるべきだろう。
「まず羽織るものを買ってくる。それから服屋に行こう。確か、近くに良い衣料品店があったはずだ」
「そんな! 服など、そんな高価なものを私などに──」
「……ダメか?」
背の小さいニーニャに屈んで目線を合わせる。顔を覗き込むと、彼女はふるふると首を振った。
「ダメ、では、ないのですが……」
「……これは俺がしたいことなんだ。受け取ってはくれまいか?」
「……分かりました。それなら、最低限の着るものであれば……」
ニーニャはようやく折れてくれた。彼女の返事を聞いて立ち上がる。
「それじゃあ、行ってくる」
「あっ、主人様!」
家を出ようとしたところで振り向く。あまり大声を出すのも良くないんだが……
「い、行ってらっしゃいませ!」
「……ああ、行ってくる」
◇
「とりあえず、ローブを買ってきた。ボロ布だが、これからちゃんとした店に向かう」
「あの、これだけでも十分ですので……それに顔を見られたら淫魔だとバレる可能性が……」
「それならフードを被ったままで採寸してもらうといい。店主からは俺から話す」
「けど……」
「行くぞ」
「あっ、主人様──!」
焦ったくなってニーニャの手を引っ張って家から連れ出した。
きっと、彼女にとっては二度目の外出となるはずだ。街の中から様子を伺うのは、きっと俺が買って帰ってきた時以来だろうか。
「……」
「……興味津々か」
「あっ、いえ、あの……」
「いい。ニーニャは背丈が小さいから、子供と思われて訝しまれないだろう。手は離すんじゃないぞ」
「は、はい……」
フードを被った彼女の手を引いて、しばらくして歩くと服飾店が見えてくる。
「ここか……? やってるか」
「……お前、バラッドか。珍しいな」
店にいた男が俺の名を呼んでくる。店主か。
「俺を知ってるのか」
「そりゃあ、冒険者ならこの街で有名だろうさ。俺たちを魔物から守ってくれてるんだから」
「嬉しいこと言ってくれるね。それで、今日は買い物に来たんだが」
ニーニャの方に視線を寄越す。店主も彼女の方を見た。
フードの下でも視線を感じたのか、彼女は少しだけ身を縮こまらせる。
「……」
「この子に相応しい服を」
「あいよ。予算は?」
「金貨一枚だ」
「あっ、あの、そんなに──」
「いい、どうせ腐ることはない。要らなくなったら売ればいいんだから」
「……分かりました」
ここは反物屋ではない。既存の服を売り買いする中古品店だ。
新品のものを買うのは貴族ぐらいで、庶民は大抵既製品を買うことになる。大衆用なら新品も買えるが、いささか根が張るのだ。
ここでケチるつもりもないが、どうせならできるだけ良いものを買いたい。それなら新品よりも一度人の手に渡ったものが好ましい。
ここの店は外から仕入れた品とここの住人から買い取った服の二つを提供しているという。
子供の成長は早いものだ。特に子供がぽんぽん産まれる家庭では、こういった衣料品店をよく利用するという。需要も供給も高いのだ。
「普通の町娘服なら何着かあるが」
「なるたけ予算いっぱいで頼む」
「あっ、あの、主人さ──」
「しっ、その呼び方はなしだ」
「あっ……」
「店主も呼んでいただろう。俺のことはバラッドと呼べ」
「……ば、バラッドさん」
「なんだ」
「私、そんなに高いものは要りません……既に主人様に多大なる恩を受けている身なれば、そのような施しを受ければもう返す目処も──」
「却下だ」
「なんで……!」
泣きそうになっているニーニャに拒否を告げて、視線を元に戻す。
店主は何度か服の上からニーニャの体格を測って、良さそうなものを選んでくれた。他じゃこうはいかない。ここのサービスは丁寧だと近所でも評判だ。
「フードは取らないでやってくれ。怖いらしい」
「俺が何年この仕事をやってると思う。んなの、見りゃわかる」
「そうか」
しばらくして店主は店の奥から一着の服を引っ張ってきた。
「こんなのはどうだ?」
「ふむ……」
店主の腕にかけられていたのは一着のドレスだった。
一見して子供用の服としては凡庸にも思えるが、それなりに染めやら裁断に気を遣っているようである。小綺麗というのが印象か。
何より、ニーニャの雰囲気に似合う。
「どうだ?」
「えっと、こんなに良いものは……」
「ニーニャが、欲しいかだけ聞かせてくれ」
「……」
端正な顔がフードの下で俯いた。
「どうだ? 単純に着たいと思えるか?」
「……思えます」
渋々と吐き出すような言葉に、俺は二度頷く。
すぐに店主の方に振り向いた。
「これをくれ」
「フードはないがいいのか? 顔を見られるのが嫌なんだろう」
「基本的には家にいてもらうことになる。外に出ることは滅多にない」
「滅多にないというのなら、たまには有るということじゃないか。そんなボロ布だったら似合わんだろ」
「余計に好ましいだろう。妙に小綺麗な外套を羽織っていたら、危うく攫われかねん」
「ぐぬぬ……」
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