女神みたいなサキュバス

「いつまで持つ?」

「えっと、おそらく明日までは……」

「……明日までしか持たないのか」

「すいません……」

「謝ることじゃない」

「はい……」

 

 彼女は帰ってきた直後と打って変わって、借りてきた猫のようだった。

 

 当然だ。俺がそうさせたのだから、今の状況は俺の望み通りだろう。

 

『このレイプ魔』

 

「──おえっ!」

「ご主人様⁉︎」

 

 突然、吐き気がした。

 

 ありもしない幻聴を聞いて、胃がひっくり返る。

 

「ごほっ、ごほっ! なんでも──げほっ!」

「大丈夫ですか⁉︎ ご無理を……!」

「がっ……大丈夫だ、ちょっと、胸焼けがしただけだ……」

「……そうですか」

「ああ、そうだ」

 

 痙攣する胃をどうにか宥める。

 

 猫のように心配の眼差しをかけてくる彼女に、俺は顔を背けた。

 

 彼女にどんな顔をすればいいのか。顔向けできないとはこのことだ。


 自分の欲望のまま、物だと思い込んで嬲り続けたのだから、最早許しを乞う権利すらもないだろう。何度串刺しにあえば清算できるだろうか。

 

 彼女の手を借りたことも、髪を借りたことも、口を犯したこともある。許可なく後ろの穴を試して、顔に精をぶちまけたことだってある。


 気持ちの悪い小芝居付きで、だ。

 

 耳がもげるような甘言を何度だって囁いた。妄想のままに、彼女をその相手に見立てて気持ち悪い余興に何度も付き合わせてきたのだ。

 

 気持ち悪い。クソ気持ち悪い。

 

 何が嫌かって、その行為に今でも恍惚さと興奮を覚えることだ。それが殊更気持ち悪い。

 

「皿には、皿はダメなのか?」

「はい……?」

「皿に出して、それを飲むのは……」

 

 何を言ってるんだ、俺……

 

 だが、それが一番間接的なはずだ。彼女を不快にさせぬためにはそれが一番のはずだ。

 

 彼女にとってそれは食事でしかないのだろう。しかし、食事の最中に心にもないことを言われ続ければ気分を害すると言うものだ。

 

 それより粛々と済ませる方が良いのではないか? 

 

 俺の判断は間違ってないよな?

 

「それはダメです! 精というのには鮮度があります! 単に子種を頂ければいいというものではありません!」

「そ、そうなのか……?」

「はい! 我々サキュバスはご主人様たちからの感情を何よりも糧としております! 行為の最中に向けられる興奮、恋慕、そして愛情が何よりも大事なのでございます! 特に主人様は私に多くの愛情を注いでくださって──」

「やめてくれ!」

「主人様……?」

「やめてくれ! 違う、違うんだ!」

 

 その言葉に恐怖した。


 俺は、あんな女とは違うんだ。

 

 人の心を踏み躙るような、弄ぶような、傷つけるような、そんな奴じゃない。

 

 違うんだ……俺はクソみたいな女どもとは、自分のことしか考えない奴とは違うんだ。違うと言ってくれ。違っていさせてくれ。


 俺が今まで嫌悪してきた奴らとは違う……

 

 あれは違うんだ……ほんの迷いで、それが自分の独りよがりであることもわかっていて、だけど、君に自我があるなんて知らなくて、知っていたら絶対にやらなかったのに──

 

「ごめん、ごめん……!」

「主人様、お気をしっかり!」

「ごめん……ッ、気持ち悪いことしてごめん、傷つけてごめん、勝手に気持ちをぶつけてごめん……!」

「主人様、主人様!」

 

 言葉にする度に涙がふれてくる。

 

 俺はすぐに膝をついた。

 

 あぁ、俺は嫌なんだ。人に嫌なことをするのが嫌いなんだ。

 

 なのに、俺のさがはどうしようもなく他人にとっては不快なもので、そしてそれを好ましく思っている。

 

 まさしく俺の本質は不快さの塊だ。穢らわしい。気持ちが悪い。死にたい。

 

「もう誰かに縋るのもやめるっ! 期待するのも、愛されたいと思うのも、信じてほしいと思うのも! だから、どうか、どうか俺を──」

「っ──!」

「んん──!」


 俺が情けない命乞いをする中、急に顔が持ち上げられる。

 

 ──再び、唇を塞がれた。


 俺の胃酸臭いはずのゲロに塗れた口内に、彼女の舌が侵入してくる。

 

 今度は抵抗する。肩を持って、どかそうとした。

 

 なのに、できない。


 引き剥がそうにも、もうひっついているように彼女は──ニーニャは離れなくて、柔らかい唇が俺の口に押し付けられる。

 

 やめろ。やめてくれ。その行為に気持ちよさを覚えてしまうんだ。暖かいと思ってしまうんだ。喜ぶ自分が憎いんだ。やめてくれ……

 

 気持ちが悪いんだ。嫌いなんだ、自分のことが。だからどうか、これ以上自分のことを嫌わせないでくれ。

 

「んっ……ん、ん……」

「んん、っ……ふむ、んん!」

 

 抵抗を試みるが、それは無駄だった。


 熱烈に柔らかさが押し付けられて、慰めるように舌が口に入ってくる。

 

 最早抵抗が無意味であることを知ると、押しのける気も失せてしまって、ただなされるがままに快楽を享受した。

 

 ちゅぷちゅぷと、俺の間近で肌が重ねられる。


「──ぷはっ!」

「っ、はぁ、はぁ……」


 しばらくして、俺は放された。目の前にはニーニャの整った顔立ちがある。

 

 唇に、彼女の唇の柔らかさが残っていた。火傷のように、ジンジンと。


 目の前の子を見る。


 残酷なまでに綺麗だな……こんな子を、俺は今まで──


「主人様、性欲を抱くことは……誰かを愛することは罪ではありません!」

「……でも──」

「──私は嬉しいのです! 嬉しかったのです! だから、良いのです!」


 ニーニャは俺に向かって叫んだ。


「……ちがう、違うんだ」

「何が違うんですか!」

「君が俺なんかに気を遣っているのは、俺が君を買ったからで、それも君が淫魔だからで……っ」

「そうです! 私は淫魔として生まれ、淫魔として生きています。そのさがから逃れることなどできません!」

「違うんだ……君は、本当なら愛される子だった。愛される女の子だった……なのに、君がそんなにも卑屈になっているのは、君が淫魔だからで、それはおかしくて──」

「っ! 私はっ、自分のことを卑屈に思ったことなどありません!」

「っ……だが──」


 すると、間近まで再びニーニャの顔が迫ってきた。


「私は幸せに思っております! 毎晩毎晩、乱暴もされずに一心に愛していただいたこと! そのおかげで、私はこうして他の者よりも先に解放されました。全ては主人様のおかげなんです!」

「それは……偶々だっ。そんな都合のいいことなんか、ありは──」

「あるんです! 私は、そんな都合のいい、偶々のことで救われました! だから……あなたに恩返しをします」

「……なんでだよぉ」

 

 情けない声を張り上げた。

 

「……すいません、主人様」

「……ひぐっ、あがっ」

 

 23にもなる俺は、15にも見える少女の腕の中で情けなく泣いた。

 

 ◇

 

「主人様は女性に耐性がないのですか?」

「……昔、ある女に酷い目に遭わされたことがある。それで、俺の村は壊滅して……」

「……お辛い経験をされたのですね」

 

 彼女、ニーニャは落ち着いたの俺の話をひとつひとつ聞いてくれた。

 

 俺が取り乱した理由、自分に対する思い、昔のこと、今の女性に対する印象、彼女がいないこと、全部途切れ途切れで取り留めもなかった。

 

 それを根気強くニーニャは聞いてくれていた。誰かに手を握られるのがこんなに心安らぐこととは夢にも思わなかった。

 

「主人様、はっきり言います。まず、その件で主人様は悪くありません」

「……あぁ」

「更に言えば、主人様はその女に文句を言っていいのです! 十ゼロでその女が悪いのですから!」

「……思っているぞ。酷い奴だと」

「足りないのです! 主人様は優しすぎます!」

「……」

 

 キッパリとそう語る彼女の自信の源を教えて欲しかった。

 

「女の方はお嫌いですか?」

「……たぶん、好きだと思う」

「それなら、それでいいのです」

「だが、信じられない」

「……」

「どこかに裏があるんじゃないか、そう考えると深い関係になるのを躊躇してしまう。今までに歩み寄ってくれようとした女性も有難いことにいたんだが、俺はそのことごとくを振り払ってしまった。本当に申し訳ないことをしたと思う……」

「主人様……もう一度言います。主人様は悪くありません。そうなるに相応しい経緯と経験があります」

「だが、もう十年以上も前のことだ」

「……だから、お優しすぎると言っているのです。主人様がご経験されたことは、十年早々で失っていい憎悪や痛みなどではありません。主人様は心のどこかで自分の責任だと感じているのではないですか?」

「……その通りだ」

「主人様、もう一度言いますよ。貴方はお優しすぎます。それは主人様の美徳ではありますが、同時に欠点でもあります。人は弱い、生き方など選べぬのです。誰かを責めて楽になるのなら、楽になりましょう」

「……そんな生き方は、ダメじゃないのか?」

「……だから、お優しすぎると言うのです」

 

 ニーニャはどうしようもないようなやつを見る目で俺に微笑んでいた。

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