第九話 跡

「……静かですねえ」

「うん……」

 花袋の住む襤褸ぼろ共同住宅アパートを見上げる二人の後ろを、一匹の野良猫がそそくさと通り過ぎる。

何処どこかの隙間から見えない?」

 花袋は何時も鍵を掛けないので扉は壊さずに入れるが、中の様子を探らずに行くのは危険だ。

「あ、そうですね。どれどれ」

 賢治が額に手をかざし、花袋の部屋の、隙間だらけの外壁に目を凝らす――。

「あっ!」

 短く叫んだ賢治が鏡花の腕を掴み、走り出す。

「皆さん!」

 賢治が、えたにおいの中を突っ切り、ゴミと電子機器の山の中でぐったりとしている与謝野、乱歩、花袋に駆け寄る。

「与謝野医師! 乱歩さん! 花袋さん!」

「あ、あぁ、賢治、かい……」

「賢治ぃー……。社、までぇ……」

「け、賢治君……」

 鏡花も賢治の後に付いて三人の様子を見る。――みな意識はあり、目立った外傷は無いものの、身体の芯を抜かれたようになって立ち上がれない。

「誰の仕業しわざ。異能者?」

「きょ、きょきょ、鏡花ちゃん……。あ、うぅ……」

 鏡花の声に、花袋はどうにか首を動かして答えようとするが、すぐに目を閉じてしまう。

 与謝野や乱歩ですらかなわないような人物が、敦のことも……?

「一先ずここを離れた方が良さそうです。不潔ですから」

 賢治は他人の部屋に対して大変率直な感想を述べると、瞬間移動時の負担が減るよう、衛生状態がまだましな花袋の蒲団、『よしこ』で与謝野と乱歩と花袋を包む(『よしこ』の衛生状態はましといっても、上に大量のゴミが積もっていないという部分のみでの加点であるが)。

 その時には既に、乱歩と花袋の意識は無くなっていた。与謝野も、辛うじてまぶたや唇を動かせる程度――。

 鏡花が、三人を抱えた賢治の背中に飛び乗る。

 花袋の自宅から事務所までの景色が、一瞬のうちに全て混ざって――。

 賢治が事務所に入った所で急停止すると、事務員たちが青い顔で駆け寄ってくる。

「どうされたんですか!?」

「与謝野医師まで!?」

「国木田さんと太宰さんは!? 敦さんは!?」

「大丈夫ですよ。皆さん、ちょっと元気を抜かれてしまっただけのようです。牛を一人当たり二頭ほど食べれば治りますよ」

 賢治の言葉は誰も信じていないが、誰もが賢治の声と表情にほっと息をいて、与謝野、乱歩、花袋の介抱を手伝い始める。

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