無題(靴)
近衛中将おばけ
第1話
…ピロン。微かな通知音の木霊で、私はぼんやりと目を覚ました。腕を布団から伸ばして、スマホを手に取る。16:09という数字の下には、メッセージの表示。送信主は…さやか。友達だ。「めいこ、今日合コンだけど起きてるよね?」。そういえばそうだったと今になって思い出した。正直、合コンなんて興味がないし、今はこのベッドから起き上がるのさえ億劫だった。今からでも断ってやろうか。風邪…は嘘っぽいかな。忌引…はもっと嘘っぽいか。それに忌引で休むのに親戚は一通り死なせちゃった気がする。なまくらの私がひと通り休む口実がないか小考したのち、正常な方の私が、仕方ない。楽しみにしてるさやかにも悪いしね。と考えを改めさせた。むくりと上半身を起こして部屋を見渡すと、大学生の一人暮らしにしては少し広い部屋と、一人暮らしにしたってあまりに散らかった部屋。どちらも同じ、いつもの私の部屋だ。脱ぎっぱなしの衣服が堆積して形成された見事な丘陵を眺めて、片付けなきゃな…を意味する非力なため息を吐き、のそのそと起き上がる。
気乗りはしないけど、とりあえず体裁のため適当にシャワーを浴びた。そして、昨日か一昨日着てその辺にほっぽり出していた黒のタートルネックに、ブラウンのフレアスカートを合わせてみる。うん、ガーリーだけど上品な感じ。手抜きにもキメすぎにも見えないちょうどいいライン。あとは、メイクを軽くして、いつものお出かけカバンに財布やらハンカチやら化粧ポーチやらを放り込む。あ、そういや朝ご飯食べてないな。昨日からなにも食べてないのに…。うーん……………。いや、どうせ割り勘だよね。丁度いいし、アッチでいっぱい食べちゃおう。面倒な合コンの予定が楽しい「朝食」の予定に切り替わった瞬間だった。途端、ふっと手足が軽くなり、外出の用意がテキパキ進むようになった。まあ、もうあらかた用意は終わっちゃってたんだけど。
靴箱を開けて、ショートブーツを右だけゆっくり取り出し、中に入れていた木製のシューキーパーを丁寧に外して、玄関に置く。同じことを左のブーツにもしてやると、玄関にはブーツが整然と並んだ。照明が黒の革にうるうると反射していて、こちらを見上げているみたい。かわいい。傍らにあるベンチに腰掛けて、靴紐を緩め、ブラシで表面の埃を払ってやる。そしてブーツを抑えて履き口に照準を合わせ、やさしく足を挿入する。私は、この靴の中に足がするすると収まっていく感覚が好きだ。私を相棒として受け入れてくれているような、信頼感。馬に乗った経験なんてないけど、競走馬と騎手もこんな関係なのかな、なんて妄想する。靴の中で足が呼吸をして、ふわりと温かくなっていく。そうして靴の具合をひとしきり楽しんだら、今度は靴紐をぎゅっとキツく結んで、立ち上がる。家の鍵を手に取ると、キーホルダーが擦れるちゃらちゃらした音が、なぜだかファンファーレのように感じられて、靴が玄関のタイルを叩く音も、自然と出走を前にした興奮のいななきとして耳に入ってくる。準備は万端。よーし。待ってろ、私の朝食。
無題(靴) 近衛中将おばけ @konoe_obake
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