第42話 犯罪は悪いことっすよぉ

 ヒラタは川にやってきた。煮沸すれば飲水にできるくらいには綺麗な川だ。わりかし幅が広いため、向こう岸には渡れないようになっている。


「なんだ、意外と近くにあるんじゃん。危険だって言うから遠いのかと思ったのに」


 草木を掻き分け、さらに近づく。川の流れは非常に緩やかで、間違って入っても流されるおそれはなさそうだ。また、そんなに深くないようにも見える。ヒラタは安心して、バケツを揺らしながら川の土手までやってきた。


「お水お水〜」


 と水を汲んでいると、ふと何者かの気配を察知。顔を上げてみると、遠くに人影が見えた。川の近くで何かやっている。ヒラタの視力ではあまり見えなかったが、あれは間違いなく人影だ。


「も、もしや本当に第一村人発見か!?」


 ヒラタは駆け出した。まさかこんなところで人間と会えるだなんて思っていなかった。グッさんが言うには、ここアンデッド領は非常に危険な地域だから、人もあまり近寄らないらしいのだ。


「おーい!」


 そう聞いていたから、ヒラタは興奮して走り出してしまった。だが走り出してから十数秒で、それは間違いだったと悟る。


「おー……い……?」


 人影の姿は徐々に鮮明になってきた。だがおかしい。いや、それはちょっぴり考えれば予測できることであった。だがヒラタは頭が悪いのだ。ゆえに想像できなかった。


「い……あっ……」


 人影は少女であった。黒目黒髪の少女。だが問題がある。そう、彼女は裸だったのだ。一糸纏わぬ姿。ちょうど川から上がろうというポーズで、彼女は硬直し、見開いた目でヒラタを凝視していた。


「あ……の……」


 遠目から見れば、服を着ているように見えたのだ。いや、それは言い訳に過ぎない。少女は白っぽい、それでいて健康的な肌色をしていた。誰がどこからどう見ても裸である。そしてそれに声を掛けたヒラタはつまり……。


「きゃあああああああああああああああ!!!」


「うわあああああああああああああああ!?」


 水浴び。それは人間の行う生活習慣。異世界に来てから、というか日本にいる時からあんまり風呂には入っていなかったため、ヒラタにはその概念が頭からスッポリ抜けていた。


「ももももちつけ、決してやましい目的で覗いたわけじゃあ――」


 両手を振り必死に言い訳をするヒラタ。それを受けてか、少女の方は妙な様子を見せた。肌から何やら黒光りするものが浮き出してきたのだ。よくよく見ればそれは細やかな装飾の施された、鎧であった。それは次々と浮かび上がり、少女の肌を覆っていく。そして頭部まで覆われ、顔が完全に見えなくなると、次の瞬間、その手には剣が握られていた。


 一瞬にして真っ黒な鎧に身を包んだ少女。直接見たのは初めてだったが、ヒラタはグッさんやもぐゾンさんから、この存在の危険性を口酸っぱく聞かれてきた。


「ブラックナイトだぁぁぁぁぁ!?」


 そう言えば、ブラックナイトは鎧を着ていない時はほとんど人間と姿が変わらないらしい、という話を突然思い出した。だがそれはあまりにも遅すぎた。少女、もといブラックナイトはヒラタに明らかな殺意を向けて、その足で地面を蹴った。


「いやああああああああ!」


 ヒラタ、決死のローリング。直後、その頭上を剣が通る。髪の毛の数本が切られ、ハラハラと顔の上に落ちてきた。


「ちちち違うんだ! 話をすれば分かっ――」


 熱弁するヒラタの顔面をダイレクトシュート! まるで本物のサッカーボールのように、ヒラタはバウンドしながら数メートルほど飛んだ。だがなんと幸運なことに、打ち所がよかったのか、鼻血を垂らすだけで済んだ。まだ骨も折れていない。


「こ、こいつは無理だ! 逃げるぜ!」


 少女とはいえ、さすがにAランクモンスターだ。ヒラタ程度簡単に殺せるだろう。何よりヒラタは自身が無力であることを痛感している。ここはグッさんの住み処へ逃げようと思った。だが……。


「あ……れ? グッさんの住み処ってどっちだっけ?」


 ヒラタは方向音痴であった。


「えっと、多分こっちだ!」


 そう言って彼は走り出す。もちろん住み処とは逆方向だ。当然ブラックナイトはヒラタを追いかけてくる。だが意外にも、おいかけっこならスピードは互角なようだ。


「やっぱりな。あんだけ重そうな鎧着てんだから、足は遅いはずだぜ! このままコーナーで差をつけて逃げ切る!」


 と足を踏み込んだ瞬間、地面が消失する。


「落とし穴ァ!?」


 だいたい2メートルほどヒラタは落下し、穴の中に叩きつけられた。背中を強打したが、これまた運よく骨折はしなかったようだ。ひょっとしたら骨が強くなっているのかもしれない。


「にしても、早く抜けなきゃ! ブラックナイトに追いつかれちまう」


 なんでこんなところに落とし穴があるのかはさておき、早く脱出しないとせっかく稼いだ差もパーになる。ヒラタは必死に穴をよじ登り始めた。


「うおお!」


 が、ダメ。1メートルも登れずにずるずると落下した。どうやらかなり精巧に作られた落とし穴のようで、取っ掛かりがないうえに滑りやすい土で作られている。今のヒラタでは抜け出せないようだ。


「これ、詰んだか?」


 などとしていると、ガシャガシャと足音が聞こえてくる。上を見れば、先ほどの少女のブラックナイトがやってきていた。


「……」


「な、なんだよ! や、や、やるってのか!?」


「……フッ」


「あ! こいつ今笑いやがったな! 許さねぇ! 降りてこいやコラ!」


 全身を鎧で包む少女の表情は読み取れないが、なんとなく嘲笑されている気がした。いや、そうに違いない。ヒラタはバカにされたと感じた。実際バカなのだがそこは置いといて、ヒラタは舐められるのが嫌いなのだ。


「許さねぇぜ……。あれ?」


 怒り心頭、ムキーと顔まで赤くしていたヒラタだったが、不意に違和感に気づいた。ブラックナイトの少女の背後。何かプチッと切れるような音と、何か巨大なものが風を切るような音が聞こえたのだ。


「おい! 後ろだ!」


 何か罠が作動したのではないか。そう思ったヒラタは声を上げたが、ブラックナイトの少女は鼻で笑った。「そんな嘘に騙されるとでも?」と言いたげな雰囲気だ。だが事実、彼女の背後からは丸太が飛来してきており……。


「痛っ!」


 ブラックナイトの少女は丸太に後頭部をぶん殴られた。そしてその衝撃で前につんのめり……。


「うぎゃあ!?」


 そのまま落とし穴に落ちてきた。なお落下点にはヒラタの姿が。ヒラタは突如上空から落下してくる鎧を回避することができず、そのまま下敷きになってしまった!


「グエー! 重いンゴ」


 ブラックナイトの鎧、約200キログラム! その全てがヒラタの腹に! 異常な圧力によって、ヒラタは胃が飛び出そうになった。だが気合いでそれを耐えると、必死に少女に降りるよう頼む。


「あの、降りてもらえま――ぐぶう!?」


 だが返事は拳であった。顔面が腫れるまでボコボコに殴られる。当然、馬乗りにされているので抵抗できるはずもない。なされるがままだ。


「ちょっと! あんたのせいで頭痛いんだけど!」


「ふええ……俺のせいじゃないよう……。というかもう殴らないで……」


「うるさいわね! 人間ごときが口答えしてんじゃないわよ。ていうかなんでアンデッド領に人間が入ってきてんのよ!」


「そんなこと俺に言われても……」


「あーもー、なんかむしゃくしゃしてきたわ!」


 そう言うとブラックナイトはおもむろに剣をヒラタの首に当てつけた。少しでも動けば首をはね飛ばされてしまうだろう。


「ま、待って!」


「待たないわ! 人間死すべし慈悲はない!」


「俺を殺したら落とし穴から出れなくなるぞ!」


 ヒラタが叫ぶと、少女は動きを止めた。どうやら話を聞いてくれるようだ。ヒラタは震えながら深呼吸し、ゆっくりと整理しながら言葉を紡いだ。


「えっと、まずこの落とし穴はかなり深いから、1人で登るのは不可能なはずだ。だけど2人なら、どちらかがどちらかを肩車して脱出することができるだろ」


「はぁ? そう言って私の体に触れるのが目的なんでしょ! この変態め!」


「なんでそういう話になるんだよ! 俺はロリコンじゃねぇ!」


「いいえ嘘ね。さっき私の裸を覗いてたじゃない!」


「あれは事故だ! 遠目に見たら服着てるように見えたの!」


「何をどうやったらそう見えるのよ!? 言い訳も大概にしなさい! 私の裸を見て興奮してたじゃない!」


「だからなんでそういう話になるんだよ! 誰もテメェの裸で興奮しやしねぇよ! なんか証拠でもあるんですかアアン!?」


「鼻血出してるじゃない!」


「これはテメェに蹴られたからだァ! ナマ言ってっとシメるぞメスガキャア!」


 などとキャットファイトしていると、突然上から咳払いが聞こえた。見上げると、そこには別のブラックナイトの姿があった。


「げっ!? カンさん!?」


「あーらら、誰かと思ったらスィスちゃんじゃん。なーにやってんの」


 どうやら顔馴染みだったようだ。だがこの状況、ヒラタにとっては非常にまずい。どうやらブラックナイトは人間を目の敵にしているようだし、このままでは殺されかねない。


「えっと、カンさん。これは違うんです。えっと、人間! そう、この人間が私を無理矢理連れてきたんです!」


「ちょいちょい待ちやがれよガキィ。カンさん、こいつ嘘つきっすよ。俺はこいつから逃げてこの落とし穴にはまったんすよ」


「はぁ~あ!? あんた人の水浴びを盗み見といてよくもまあぬけぬけと! これだから人間は信用ないないわ!」


「だからそれは事故だっつったろ! つうかそれくらいで襲いかかってくるんじゃねぇ!」


「あー、なるほど。えっと、だいたい事情は分かったよ。スィスちゃん?」


 カンさん、と呼ばれたそのブラックナイトは、優しい口調で、されど威圧的に、少女のブラックナイトに語りかける。


「つまり、君は自分の意思で我々の領土に足を踏み入れたってことだね?」


「そ、それは……」


「領土? あ、そういやブラックナイトの村って2つあるって言ってたな。ひょっとして互いに縄張り意識強い感じ?」


「う~ん、人間はひとまず黙ってようか」


 とても強い殺気を向けられ、ヒラタは萎縮する。どうやらどのブラックナイトも人間を嫌っていることだけは共通のようだ。


「で、何か言い訳は?」


「い、言い訳はぁ……えっとぉ……」


 先ほどまでの勢いはどこへやら、少女のブラックナイトはしどろもどろになり、口をつぐんだ。その様子を見て、カンさんはやれやれと言った風に首を振り――。


「じゃ、君ら2人とも重罪人だから牢屋行きね」


「「はぁ!?」」


 とんでもないことを言い始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る