第32話 ギルドマスター、つまり最強

 円形闘技場にて、『虚』の魔王ヌァル=ザーバストとギルドマスターは熾烈な戦いを繰り広げていた。とはいってもギルドマスターが果敢に攻めるだけで、ヌァル=ザーバストはそれをいなし続けているだけ。


「時間稼ぎが目的ということか!」


「そう。さっきも言ったと思うけど」


 ギルドマスターは小さな体躯を駆使し、一瞬でヌァル=ザーバストの背後に回ると、弾丸よりも速い蹴りを放った。だがヌァル=ザーバストは後ろに視線をやることなく、鎌で攻撃を止める。かと思うとギルドマスターはさらに体勢を低くして潜り込み、ヌァル=ザーバストの足を払った。だが……。


「飛べるのか!?」


「魔王だからね」


 ヌァル=ザーバストは宙に浮くことで足払いを回避。ならばとギルドマスターは大地を蹴って飛び上がった。かと思うと空中で身を捻り、ヌァル=ザーバストの方に突撃。彼も鎌で反撃を試みるが、ギルドマスターの拳は容易く鎌を玉砕した。


「ふうん。まぁ替えはあるし」


 そう言ってヌァル=ザーバストは再び鎌を取り出す。だがその鎌は先ほどの鎌とは別物のようだ。


「ふむ……お前さんの能力はさしずめ、異空間への干渉といったところか?」


「あ、分かる? そう。王都内にゴブリンが出たのも僕の能力で転移させたからなんだ」


 ギルドマスターは真正面から突進し、右ストレートをぶちかます。ヌァル=ザーバストはそれを軽く躱すが、ギルドマスターはさらに追撃として左でジャブを打つ。だがギルドマスターは右利きだったのか、左のジャブは簡単に受け止められてしまった。


「軽いね」


「ここからが本番じゃわい」


 ギルドマスターは左足で地面を蹴り、空中で横になった。そして今度は右足で空中を蹴り、その衝撃を推進力としてヌァル=ザーバストの顔面に蹴りを入れた。今度はガードもできずに入ったようで、ヌァル=ザーバストは少しよろけながら顔を押さえる。


「痛いね」


「まだまだ!」


 着地と同時にギルドマスターは残像を残すほどの速さでヌァル=ザーバストに肉薄。カウンターとして鎌が振るわれたが、ギルドマスターは姿勢をさらに低くして攻撃を回避。懐に潜り込むと、顎に強烈なアッパーを喰らわせた。


「ぐっ……!」


「どうじゃい! まだまだ若いもんには負けんぞ!」


 ヌァル=ザーバストの鼻からは血が垂れる。彼はさすがにまずいと思ったのか、一旦距離を置こうと足を踏み出した。するとその場に崩れ落ちる。何が起こったのか分からないといった顔で立ち上がろうとするが、上手く立てない様子だ。


「無駄よ。しばらくは動けんように殴ったからな」


「貴……様……!」


「おっ、焦りが見えたのう。ガハハのハ! じゃあようやっと本気を出してもらえるんか」


 ヌァル=ザーバストは舌打ちする。彼はギルドマスターの足止めとしてここにやってきた。だが、彼もここで命を散らす気などない。足止めはするが、できるところまでだ。もし自分の手に負えないと分かれば……。


「やむ無し……殺す!」


 魔王の真髄、それは『文字』だ。『文字』とは伝説の魔王の力の一欠片であり、魔王を魔王たらしめる力の源。魔王は『文字』によって力を得ており、使える能力も『文字』に依存する。そしてその『文字』を解放した時にこそ、魔王は魔王の名に相応しい、膨大な力を得ることができるのだ。


「『虚』!」


 そう、ヌァル=ザーバストが叫んだ。すると一瞬、ギルドマスターの背後に灰色の渦巻きのようなものが出現する。本能的にまずいと思ったのか、ギルドマスターはその場から逃げ出そうとするが少し遅かった。まばたきの合間に、ギルドマスターは灰色の渦巻きに吸い込まれてしまったのだ。


「……僕の能力は収納と転移。収納できるものは非生物に限るけど、『文字』を解放すれば生物でも収納できる。そして一度収納したものは僕自身の意思でしか出すことはできない……」


 ギルドマスターは異空間に収納されてしまった。そうなってしまえばもう、出ることはできない。


「このまま寿命まで待っていてもいいだろう。それにまぁ、仮に脱出の方法を見つけたとしても、すぐに出てくることはできないはず。これで足止めの任は完了ということで――」


 ヌァル=ザーバストはそう言って身を翻した。その瞬間、彼は世界が揺れたのを感じ取る。それは何の比喩でもなく、文字通り世界が揺れたのだ。そうとしか形容できない。ヌァル=ザーバストは何事かと辺りを見渡すが、特に変化はなく……。


「異空間ってのは随分と居心地の悪いところだな!」


 声を聞いたと同時に、ヌァル=ザーバストは殴られた。拳にではない。世界に殴られたのだ。そう錯覚するほどの衝撃。気がつくと彼はある家の残骸に埋まっていた。遥か前方には自身が先ほどまでいた円形闘技場が見える。距離にして100メートルほどはあるだろう。


「何が……」


「何が起きたのか分からないって顔をしてやがるな」


 上。ヌァル=ザーバストは鎌を振るった。だがその鎌は標的の……ギルドマスターの体に触れた瞬間、まるで最初から風化していたかのように粉微塵になって消えた。


「なんッ……!?」


「ほらよ!」


 ギルドマスターはヌァル=ザーバストの頭を掴み、思いっきり地面に叩きつけた。隕石でも落ちたのかというほど大きなクレーターができる。


「おうおう、まだ死なないか? 案外固いな」


「いっ……何が……バカな……!」


 ヌァル=ザーバストはまだ理解が追いついていない。ギルドマスターはそんな彼の様子を愉快そうに笑い、そして……。


「教えてやる義理はねぇな!」


 上空に蹴り飛ばした。それはギルドマスターの小さな体に蹴られているというよりも、この世界そのものに蹴られているような威力だった。


「がぼッ!?」


 ヌァル=ザーバストは空中で錐揉み回転しながら必死に思考を回す。おかしい。明らかにおかしい。なぜ異空間から出てこれるのか。いやそもそも、攻撃の威力がさっきより段違い……。


「何を呆けてやがる」


「あ……」


 空中のヌァル=ザーバストに、ギルドマスターはそう呼び掛けた。浮いている。そう、浮いているのだ。ギルドマスターはまるで最初から空なんて飛べて当然といった顔で浮いていたのだ。


もあんまり長く使えるわけじゃねぇからよぉ。これで終わらせてやるわけだが、遺言とかあるか?」


 ヌァル=ザーバストは理解した。死だ。死がそこに迫ってきている。ギルドマスターの拳がもう一度振るわれた瞬間、自分は死ぬ。ヌァル=ザーバストはそれを直感的に理解した。彼は命乞いの言葉を探し始めた。だが、ギルドマスターの与えた猶予はあまりにも、彼にとっては短すぎた。


「ないようだな。じゃ」


「待っ――!」


 ギルドマスターの放った拳に、世界の重みが乗る。それはヌァル=ザーバストに直撃し、空から地面まで一直線に叩きつけられる。そして一拍遅れて、文字通り世界を揺らすほどの衝撃が走った。当然、ヌァル=ザーバストはこの一撃で息絶えた。


「よっ……と。いやぁ、こいつぁ厄介な輩だった。俺以外の奴らじゃ負けてたぜ。今の王都にはSランク2位も3位もいないってのによぉ」


 ギルドマスターはゆったりと降りてくると、ヌァル=ザーバストの死体に近寄る。その死体の上には灰色の光のようなものが浮いていた。ギルドマスターは躊躇いなくそれを掴むとポケットに入れる。


「『文字』の回収も、できるのは俺だけだからなぁ。はぁ……他の魔王のとこも行ってやらねぇとなぁ」


 そうぼやきながらギルドマスターは、火の手の上がる王都の街へ歩みを進めるのだった。

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