二、涼水街道
流れる水
わたしはどうしてか幼い頃から水のある風景、特に水が流れる風景が好きだった。
そんなわたしにとって、この街道の景色は大変好ましい場所であった。
真っ直ぐに延びる一本の街道沿いには、民家や素朴な店が立ち並んでいる。観光地ではなく住宅街でもない、どこにでもあるような素朴な街道だ。普通と少し違っているのは、道の両脇には深い溝が設けられ、そこには透き通った水が流れているところだ。
道と同様にどこまでも延びているので、民家や店の入り口には橋が架けてある。
水路には金魚が泳いでいる。蝶尾を優雅に翻し、すっとした流星のような身体をくねらせ、ぎょろりと張り出した両目、燃える赤、白銀、漆黒、黄金、陽光を弾けさせる翠色、そんな者達が水路を満たす水晶を舞踊る。品種も色もバリエーションがあって、金魚好きにはたまらず、時を忘れて見惚れてしまう。
今日の天候も幸いした。雲一つない晴空。水と金魚を飾る最高の演出だ。
しかし、些か人が歩く道が狭い気が……いや、狭い。水路が人間一人泳げそうな幅を持つのに対して、歩道は平均台に毛が生えた程度の、歩道2:水路8というまさに金魚のための……
じゃぼん
足が空を踏んだと思ったときには、水音と共に全身が冷感に包まれた。
「おや、大変」
水音が大きかったのか、民家からひょいと顔を出した青年は長閑に言った。
「いやあ、申し訳ない」
「いいえ、あんなに濡れていては風邪を引きますからね。旅に風邪は禁物でしょう? なに、この陽気ですからすぐに乾きます」
ころころ笑いながら出窓を指し示す。外には先ほどまで着ていたわたしの服が翻っていた。
「けれども、服のサイズが同じで良かった」
「ええ、本当に助かりました」
男同士とはいえ、やはり見知らぬ人の家で下着だけになるのは気が引けるし、なにより失礼だ。最も、そのような事態になったら風邪を引く覚悟でその場を後にしていたが。
「やはり狭いですか」
「ええ、狭くはありますね。興味深い風景ではありますが。昔からですか?」
「はい、僕はこの町で生まれ育ちましたが、物心つく頃、いいえ、祖母、曾祖母、もっともっと昔から、この町の街道はこのような具合です。何せ、ここは”涼水街道“、金魚の路ですから」
「あの金魚は放ったものではないのですか」
青年は優雅に頷いた。
「金魚に導かれたのだと、訊いております」
ふいに鳩が鳴く。青年が「ああ」という顔で鳩時計を見た。
「旅人さん、少し外に出ましょう。丁度良い時間ですよ」
青年に導かれるままに、外に出る。
指し示す方向に視線を向けると大きな影が見えた。正体について考える前に「それ」は、わたしの目の前を優雅に通り過ぎる。
「それ」は金魚だった。いや、「金魚という表現が一番近い魚」だった。全長はどのくらいであろうか。少なくともわたしの両掌分よりは確実に大きい。そのような魚が長く紗のような鰭を翻し、王者のように水路を泳いでいった。頭には赤々と燃えるような肉瘤を戴き、冠のようで和蘭獅子頭に似ている。
振り向いたわたしに微笑みかける青年は、神官のようだった。
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