今からでも、まっすぐなきみに追いつけますか。

さんぱちうどん

 はるか昔。まだ俺が小学校低学年だったころ。幼稚園が同じ、仲の良い幼馴染が俺にはいた。彼女はいつも、ことあるごとに宣言する。


「わたし、小説家になる!」


 俺はあいつを、そう言うたびに否定した。無理に決まってんだろ、現実見ろよ。そういうのじゃ、食ってけないらしいぜ。結局未来はサラリーマンだろ。そんなこと言って恥ずかしくねぇの?


 彼女は俺に何を言われても、自分を曲げることはなかった。それが気に食わなかったのか、当時の俺も意固地になって同じように否定し続ける。それを言いさえしなければお互い普通に接していたのだが、どう思われていたんだろうか。


 最終的に、クラスが分かれた中学二年になるまで、それは終わらず。その後、彼女がどうしたのかは知らない。高校も別の場所で、そのころには俺はあいつのことを意識から外していた気がする。


 俺は高校でなんとなく理系を選んだ。そしてなんとなく工学の道に進み、なんとなくインフラエンジニアになる。


 仕事に誇りはない。でも、不満も特にない。人生そんなもんだろう。


 俺は、ただこのときまでは本気でそう思ってた。期待をする方が馬鹿なんだって。夢は叶わない。堅実が一番良くて、それ以外はリスキーだから問題外。


 時代に乗って適当に投資信託にお金を入れたり、会社から資格を取れと言われたから取ってみたり。……そんな人生を順風満帆だと、ずっと思い込んでたんだ。


「……菜々?」

「あれ、もしかして健二?久しぶりだねえ」


 その再会は、なんでもない仕事帰りで駅へ向かっていたところだった。


 かつての幼馴染はコートに身を包んで、長い黒髪を下ろし佇んでいる。この時間帯だと仕事帰りというのが一番考えられるが、その表情は活力で溢れている。


 それに気づいたとき、脳裏でかすかに警告の音が鳴った気がした。


「健二は今何してんの、やっぱり会社員?」

「あ、ああ。インフラエンジニアだよ」


 お前は?そう聞き返そうとしたのに、なぜか舌が凍ったように動かない。なんで……いや、そんなのわかってる。それは、菜々が——。


「そっか、詳しくないけど技術系なら良い職業なのかな。わたしはね、なったよ!」


 そう言って全力の笑顔を俺に向け、なにやら鞄を探り始める。


「んーっと、これこれ。どう、いいでしょ?」


 彼女が出したのは、一冊の文庫本。新品のようで綺麗に光を反射する表紙には 『著・七瀬奈那』とある。こいつのペンネーム、か。


「本、出したのか」


 ちゃんと祝った方がいいだろうか。それとも、昔夢を否定したことを謝るか。頭ではそんなことを思いながら、乾いた口は無様にもそんなことしか言ってくれない。


 破顔したまま、菜々は言う。


「うん。もうね、モチベが最高だよ。さすがに今はフリーターしながらだけど、いつかはいろんな方向で創作しながら目指せ専業作家!って感じ」


 相変わらずの無邪気さだ。そんな気楽になれるものではないだろう、それは。そんな昔のようなことを言いかけて、やめた。菜々は見かけこそ気楽そうだが、きっと本気なのだろう。あのとき、俺にあれだけ言われたのにまったく道を変えなかったのだから。


 そうして、困る。俺はこいつにどんな態度を取ればいいのだろう。仲良くは……きっと菜々が許してくれない。でも、邪険に扱うのは論外だ。俺は……。俺は、どうしたいんだ。


 そこまで考えたところで、今までの俺の空っぽさにようやく気づく。ああ、なんて俺は愚かなんだろう。あまりにも、遅すぎる。どうしてこんなにまっすぐな菜々がそばにいながら、こうなってしまったのか。


「……菜々は、すごいな。俺、すっげぇダメダメだ」


 口走ってから後悔する。何言ってんだよお前は。こんなダサいこと言うつもりじゃなかったのに。それなら、まだ悪役を振る舞って嫌われた方がマシだ。まるで、許しを乞うような、菜々にここで励ましてもらったら救われるような、そんな言い方。


 何を言われるだろうか。気持ち悪がったり、ダサいと思ったり……本当に元気づけようとしてきたらどうしよう。


 頭の中はぐちゃぐちゃだが、このまま停止するわけにもいかないので菜々の顔を見ると、なぜか「ハァ???」みたいな顔をしている。


「健二、何言ってんの……?壊れちゃった?」

「いや、お前こそなんだよその顔……」

「だって。健二ってなんかリアリストっていうかさ……わたしみたいな生き方を褒める性格に見えなかったから」

「それは……違ぇよ。俺が馬鹿なだけで。多様化社会っていう言葉がそれなりに使われてる時点で、お前の生き方は十分現実的だ」

「……」


 俺の言葉に、菜々はなにか考えるような仕草をする。


「健二にもさ」

「ん?」

「健二にも、小さい頃の夢ってあったでしょ。ほら、幼稚園の時なんか書いてたじゃん」


 小さい頃の夢。


 急に話題が変わったので驚いたが、言われて思い返す。たしか、あのころはゲーム機でやるレースゲームにハマっていた。だから、幼稚園のクラスの壁に貼る自己紹介カードみたいなやつには、「ゲームをつくるひと」とか書いたっけ……?


「まあ、ゲームクリエイターみたいなことは書いた覚えがあるな」

「健二は、今はそれにまっっったく、微塵も興味がないの?」


 いきなりなんなんだ。菜々の狙いはなんだ?


 そういう疑問が湧いてつきないが、受ける視線は真面目なそれだ。最後まで付き合ってやろう。


「……いや、パソコンゲームならいまでも暇つぶしでちょっとだけ遊ぶし、興味がないわけじゃないな」

「それだよ」

「え?」

「わたしの原動力は、それなわけ。そういう趣味から派生した想いを忘れないように、逆らわないようにしてるの。健二にだってやろうと思えばできるはずだよ」


 刺すような、それでいて柔らかい視線だった。不思議な感覚で、でも綺麗だった。


 夢を叶えるための貪欲さと、趣味に携わることで生活するという覚悟と、そして実生活の楽しさ全部が詰まってる、ってとこか。


 ああ、そんなことを言われたらやりたくなってしまう。でも、そうしたら安定からはおさらばだ。投資信託に入れたお金だって全部引き出さないと難しいだろう。俺はまだそんなに貯蓄があるわけじゃない。保険金も崩した方がいいだろうか。博打も博打、大博打だ。


 今までの生き方は全部パーになると思っていい。成功者が目の前にいるとはいえ、それすら罠のような気がしてしまう。


 ——けれど、お前に言われて。確かに俺の中には、行動を取るだけの想いがある。


 全部なんとなくで生きてきた。でも、なんとなくの中身は完全な空っぽじゃなかった。今思えば俺は、幼稚園の頃から一回もゲームを辞めたことがなかったんだ。


「いいのかな」

「何が?」

「今からで、間に合うのか?」

「なーにいってんの。間に合わせるんでしょ」

「……すぐに、追いついてやる」

「できるもんならやってみなよ、こっちは健二に否定され続けても成し遂げたんだからね。あんたより速いスピードで進むから」

「っぐ、お前気にしてないようで実は結構根に持ってるだろ!?」

「さあ、どうでしょう?」


 まったく、菜々というやつは。俺に煽り返すためにこんな話をしたんじゃないだろうな。


 ……でも、悪くない気分だ。


 今からでも、まっすぐなきみに追いついてみせる。

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