第2話 夜の戦い
そこに広がる景色、日本の裏の顔に空色の目は薄らと輝きを帯びていた。全ての色が沈んだ空に抗っているのだろうか強がっているのだろうか。地上に灯る輝きたちはどこまでも明るく振る舞い続ける。
ヴァレンシアの透き通る瞳は夜の闇に馴染んで溶けてしまいそうな色合いでありながらも馴染むことなくここにて存在を主張し続ける。
明かりに照らされて潤いを持った空色のガラス玉は、埃や濁りに染められることない誇りに満ちた金の髪は、風と共に流れては残光を残す。
鋭い残光、微かな残響、微塵にさえも残さない残香。褐色の肌は夜の闇によく馴染んで相手に色合いを悟らせない。
ヴァレンシアは微かな輝きを放つ瞳を閉じて、空色の薄っぺらな剣を振る。両手に花、などと言った可愛らしい言葉など寄せ付けない世界。両手に持つものは戦う術、生き残るための己の武器。二振りの剣が空色の軌跡を描き夜空からはみ出た爽やかな昼間の蒼。
そんな攻撃と名付けられた最大限の自衛手段を、依頼主の意図によって執行される相手の世界への侵略を続けながらヴァレンシアはすぐ側に落ちていたはずの過去の夕日を見つめる。
鯉を見た後、刹菜に金を出してもらってその手にした魚の姿を与えられしお菓子、鯛焼きを口にしながら帰って真昼を待つ。豆の皮、粒感が残る餡の食感と甘みに絡まっては控えめながらもしっかりと口に広がる小豆の香りに心を波打たせながら刹菜の話に耳を傾けていた。
「和菓子、なんていかにも日本の民を昔から楽しませてるような名前してるよな」
「そうじゃない。違う、なら」
刹菜はお得意のニヤけを顔に表しながら、感情を歪みの中に込めながら、薄汚れた愉快さを打ち鳴らす。
「昔は砂糖は高級だったそうだ。つまりそれ、武士だの貴族だのの嗜みさ」
きっと抹茶のお供として空を優雅な感情色に染めながら、ゆっくりゆったりと日頃の仕事のことさえも忘れながら堪能していたのだろう。
「私たちみたいな平民はね、祭事くらいにしか、いや、本百姓以下の収入だとそれも無かったかな」
ヴァレンシアの中に構築されていたセカイが音を立てて崩れ去っていく。まさに刹菜の表情通り、彼女の想いのままに愉快な状況が展開されていた。
「そんな感じだった」
「そうなんだよね、これが」
印象の塗り替え、しかし代替品自体は蜂蜜や水飴などが存在するという補足がなされた。
「米だの粟だの芋だの炭水化物、私たちの幸せに酵素を入れる、味噌とか酒も菌は違ってもそんな感じだな」
「私たち、国は違っても、同じ人間」
「そんなとこかな」
余計なことに目を向けて生きてきた刹菜は非常に成績が悪かったのだとそこで語られた。
思い返しながら夜の闇に潜む荒くれ者の魔法使いたちを空色の軌跡で塗りつぶして。開かれた瞳はどこを見つめていただろう。
ヴァレンシアにとってその相手は視界に入れるほどの相手ですらない。ただ剣を振るだけで魔なる魂を傷つけ真なる魂はあるべき姿のまま相手を打ち倒す。
「言った通りだった。真昼の」
見つめていたのは未だに過去の像。特に目的を持って生きることもなく、ただただその手に微小なチカラと多大な暇を持ち合わせて他人様に迷惑をかけるだけの矮小な魔法使いなどその目に収める程の相手ですらなかった。
やがて追憶は夕日にまで追いついた。沈みゆく太陽を追いかけるようになぞる想い、暗闇に追いつかれないように駆け抜けて真昼の家に踏み入れる足。
風の感触に床の踏み心地、場所によって異なる音と肌にまで伝わる振動。
それらを噛み締めながら真昼と対面して和菓子屋退魔師からの依頼を告げる。
「なるほど、誰も住んでいないはずなのに夜中にうめき声が聞こえてくる部屋」
それだけならば確かに心霊案件のように思えてくるかも知れない。そもそも誰も住んでいないにもかかわらず異音が溢れてくる時点で恐怖が目の前の出来事と心霊現象を結びつけたと言うこと。おかしな話ではないのかも知れない。
「科学的アプローチをもってしても原因の解明には至らず」
真昼は薄桃色の手帳に現状を書き留めては述べてニヤけ面の女の耳にも無理矢理届ける。
「家鳴りや別の部屋からの音の届き方、設備不良など考え得るも全て排除」
現在の世間が声を上げて主張する現実的な原因は全て要因になり得ないということだった。
「その後、退魔師による調査は行われたものの霊的反応も検知されず」
ヴァレンシアが日頃から目にする人物たちが声を揃えて嘲笑するような原因さえ見当たらない。
「で、毛髪を見つけて鑑識に回す前に数本くすねて私たちの所へ」
たった数本、そこには統一された色合いのオーラが渦を巻いていた。
「魔法使いの仕業かしら。という彼女の最後の推測こそが大当たりって事ね」
「三十以上の男か」
「それはまた別の話でしょうが」
そうと来ればもっと現実から離れて行く。現実の一歩隣どころか大きく跳ねて現実味など遠いところへと置いて行って。
ヴァレンシアは大きく跳ねた。夜闇の空に澄んだ光を蔓延らせる星や月にその目を輝かせながら、星の光に透ける剣を大きく振るう。
きっと目の前の男は、逃走を続けるこの人物は、人の想いを汲み取り知ろうとする秤など持ち合わせていないだろう。夜空の中に秤を示す星の姿はあるのだろうか。ヴァレンシアには分からなかったものの、星のきらめき、不規則に散りばめられたそれらに意味を見ることなどしなかったものの、人の気持ちを計る天秤だけは大切に使っていたいと思っていた。
夜空の中に更なる一閃の爽やかな輝きを加えながらその中に過去を見る。
真昼と刹菜、ヴァレンシアの三人で夜に寄る一室。その中に果たしてどのような人物が潜んでいるのだろうか。魔法使い、それも迷惑を極め尽くしたそれであることは容易に分かる。 今ここで手に取って見ているような気分に陥ってしまうほどに明らかなことだった。
「さあて、中にいらっしゃるのは魔物か人でなしかはたまたニンゲンさまか」
刹菜の独り言がヴァレンシアの心に明るい気持ちを差し込む、そんな不釣り合いな街灯となってこの場所これからの事への緊張感をも吹き飛ばしては明るい笑顔を浮かべてみせる。
「阿呆な事仰るんじゃあないよ、そこに居座るのは中高生の不良だの迷惑な中年親父と変わりない人物」
真面目な指摘、それさえもが刹菜の言葉に付き合ってあげているという証。この親子にはヴァレンシアの家族が持っていないモノを確かに持っていた。柔らかでありながらも決して千切れることのない絆。ふたりにとっては当然のものだろう、しかしヴァレンシアにとってはそれがどこまでも羨ましくてたまらない美しい関係だった。
「それが案外そうでもなくて崇高な儀式とか宗教とか言い始めるかもよ」
「それはそれはとてもおっかないねえ」
立ち話の長いこと。ヴァレンシアにとっては楽しくはあったものの、人々の営みの全てを覗き込む星空や月に世界そのもの。彼らにとってはどのようなものだろう。
時間の流れは実感を与えていた。きっとこのような片隅の出来事など見ていないだろうということを。
「話してばかりじゃ仕方ない、刹菜、ささっと開けてお仕舞いな」
「会議で話すされど進まずじゃいられない、了解だ」
息を飲む。一気に飲む。飲み干して頭中に想いの音色を奏でる。がやがやとしたこの空間も静まり返っていつになく張り詰めた空気が辺りに散らされて止まらない。
大家より貸し出された鍵を差し込みひねって見せてドアを開いて。そこに見た景色にヴァレンシアは目を見開いて空色の剣を構えた。
暗闇に閉ざされていてよく見えないのは幸いなのか不幸なのか。ワンルームの中でぐちゃぐちゃと音を立てながら何かを弄り大笑いする男がそこにいた。きっと何をしているのかしっかりと確認しない方がいいだろう。しかし足場は悪く、床にどのような工具が散らばっているのかそれさえ分からせない。その視界の悪さが余計な繊細さを求めたがために男の行動を許してしまった。
きっとぬめりと汚れは激しいものだろう。そんな手で窓を開いて男は身を乗り出した。
刹菜は追いかけようとするものの、真昼は手で制してヴァレンシアひとりに行かせる。
「あなたひとりで大丈夫ね。私たちは大家さんを問い詰める」
「大丈夫、私は〈西の魔導士〉、またの呼び名は〈空の魔女〉だから」
空色の瞳と剣は澄み切った残像を空間に焼き付けて、ヴァレンシアの姿など既にそこに在りはしない。
真昼たちはヴァレンシアが向かった場所とは別の方向へと足を向けて進み始めた。
空色の閃光は容赦なしに相手を、その荒れた魂を、其処に在る普通の精神を持つ人物には悟らせない陰の目的を引き裂いた。
一見すると相手には何ひとつ傷が入っていないような見栄え、外傷など存在しない傷。それを背負いながら身もだえて男は静寂の夜闇を打ち破り続ける。
「何が悪い、俺が何をしたという。崇高なる儀式の邪魔をする者は許さない」
目の前の男に尖った空色を、澄んだ輝きに織り交ぜられた鋭い視線を浴びせ続ける。
「吐き気激しい、崇高と呼ぶかあれを」
分かり切ったこと。まともな感性を無事に完成させた人物の行う事などでなかった。
「呼ぶなら邪教、そのトモガラよあなた」
言い放ち、剣による斬撃を空気中に残しながら相手を幾度となく裂き続ける。そうして夜空に咲き誇る空色の実態無き花はヴァレンシア好みの光景だった。
たかだか数本の線が相手を捕らえては懲らしめて、意識を地の底に叩き落とす。
そうして男に一撃の魔法の使用すら許さないままヴァレンシアの戦いは幕を下ろした。
そうしてひとつの戦いが何事もなく終わるまでの間に刹菜と真昼は大家の身を飲み込む立派な家を訪れていた。刹菜は真昼と別の場所から攻めるつもりか、家をひっきりなしに叩いていた。
ドアではなく壁、ですらない。透明な壁にも見え無くはない、そんな脆く儚い大きな窓ガラスを叩き割る。
相手は全てを悟って引きこもっていたのだ。シャッターの閉められた窓が在るはずの壁を見つめて飛び越えて二階から忍び込む作戦。真昼はただドアの外で待つだけ。
刹菜の開けた穴は刹菜のすっきりとした細い身体は突っかかりの一度もなしに入り込んだ。身を滑り込ませることを容易に許してしまっていたのだった。
暗闇の中にて行われたそれはまさに泥棒の姿。大家にとっては犯罪者の侵入という驚異的な出来事でしかなかった。
刹菜を目前に大家は考える。前髪が後退して老けを実感し始めてきた男の頭。むき出しの部分が多い分思考も丸見えだろうか。大家の中では真昼はドアの向こうにいる。部屋のもうひとつの窓から飛び込んだところでたどり着く結末は同じ。目の前には若い女。
大家は刹菜の外見を信じて駆けだした。経験不足の人物であればたくましい男が勢い任せに飛び込むだけでも切り抜けられる。そう信じていた。己の身体と思考能力を過信していた。
「なめられたものだな」
口が開かれて出てきた言葉を耳にして確信を持っていた。やはり戦場慣れしていない。軽い言葉は男の実力を甘く見ている証。
一方で刹菜は万年筆を右手に握り締めて構え、目を見開いていた。
文房具が武器の相手ならば余裕、そんな確信を携えて勢いは増していく。
しかしそんな想いはすぐさま断ち切られた。
刹菜の右手は大家の肩へと大きく振られた。
「なめなめなめなめ、キャンディじゃないんだからさ」
男は短い悲鳴を上げて声を断ち切った、否、痛みは声にならなくて表情は闇に飲み込まれて痛みを知らせるモノは何もかも覆い隠されていた。
「どうかな、ペンは剣より強しだよ、ツヨシくん」
言葉の使い方も異なるがそれ以前の問題として大家の名前はツヨシなどではなかった。
そんなツッコミを挟む余裕もない痛み、しかしそれに抗って勢いは更に増していく。逃れる術として成り立たない、男の考えは間違えていた。そんな簡単なことを認めることすら出来ないままに強行突破の計画を続ける。
刹菜の腕を振り払って駆ける。万年筆は肩に刺さったままだったものの構うことはない、その余裕はとうに失われていた。
窓にたどり着くまでもう少し、あと二歩か三歩と言ったところ。揺らめく足、力が入っているのかいないのかそれさえ見えない目で闇の向こうに待つ希望を目指してその手を伸ばしていく。
しかし、そんな希望は叶うことなく、大家の考えは再び断ち切られた。
刹菜は初めから希望など無かったことを突きつけるかのような慈悲の見えない乾いた瞳で闇の中の微かなシルエットを捉えながら掠れ気味の地声からは想像も付かない程に澄んだ声で歌を、魔法を唱える。
そこに込められた想い、現れた魔法は刹菜の意地悪だった。窓から何の前触れもなく蔦が生えてきた。ミントグリーンの輝きを放つ蔦は窓を覆い隠し、大家の驚愕を薄らと照らし出しては嗤っているような振る舞いをしていた。
「グリーンカーテン、自然は大切に」
それは真剣な言葉なのだろうか。ミントグリーンの光に照らし出されたニヤけ面に込められた感情を読むことなど今この場ではあまりにも容易かった。
「クソッ」
大家の苦しみの茨に巻き付かれて棘状の傷にまみれたような声を聞き、刹菜はより一層ニヤけを深めて想いを優しい掠れ声に乗せる。
「そうか。そんな言葉いらないんだけどな」
要らぬ贈り物ほど迷惑なものはそうそう見当たらない。そんな感情を込めた瞳で見下すように見つめては大家の肩から筆を引き抜く。
「返してもらうよ、泥棒さん。窃盗は犯罪さ」
傍から見れば犯罪者はどちらの方だろう。答えなど大家本人の心の中に初めから居座っていた。不法侵入に傷害、それほどまでに罪を重ねられても何も言うことが出来ない。戦いのひと言、世間から見た悪の成敗、裁くことの出来ない犯罪者をこの世から取り去るという社会の清掃行為と言われて皆してすぐさま納得を得ることだろう。
それが魔法のセカイ。
大家は身体を揺らしながら振り返る。闘争からの逃走は命がけ、静閑への生還は果たして叶うものだろうか。己の脚を時たま絡ませもつれながらも階段を降り、身体を壁に幾度となくぶつけては音を立てて転がり落ちる勢いで走りドアを破るように勢い任せ身体任せに開いて外へと出る。
そこに待ち受けていた光景に絶望を覚えた。
「ようやく出てきたのね」
初めから予測していた終焉への道を自らたどってしまったことを考えるまでもなく理解し、もどかしさと行き場のない絶望を溜め込み大きく震え上がっていた。
目の前の女、真昼は黒みがかった灰色の目で相手をにらみつけては低くてたくましくありながらも艶やかな声、それでありながらも薄らとした印象しか抱かせない冷ややかな音を浴びせ続けた。
「なにがお望みかしら、言ってごらん」
「生かしてくれ……もう、悪さはやめるから」
反省の色はその目に宿っているのだろうか。街灯から差し込む光によってはっきりと映し出された感情に偽りと書かれていた。実に分かりやすい心情だった。
「儚い願い、聞くことは容易いわ」
「頼む」
「叶えるとは言わないけれど」
そう簡単に通る願いではないということ。大家の瞳は震えて落ち着きを見つけることなど到底出来なかった。
「そうね、情報を提供したら命だけは返してもいいかしら」
大家の気持ちが抜けたその瞬間のことだった。突然襲い来る痛み。鋭い熱となるそれは激しい冷気に包まれていて大家の熱い悲鳴へと転換されていった。
「やめてくれ、よしてくれ痛い、痛い」
「なら話せ」
この世には人という生き物がこの世界の仕組みを理解するために書き留めた法則が幾つもあり、その中のひとつに絶対温度というものがある。この熱気と冷気、果たしてケルビンなどという単位で表すことなど出来るものだろうか。魔法で造られた物とは言えどもそこには科学で見ることの出来ることは数多い。寧ろ科学という範囲に収まる現象に現代科学という物では理解できないに過ぎない何かの法則を用いたアプローチ、それが魔法なのだと今の魔法使いたちは認識している。その程度の物、その程度だから上手く扱うことが出来る。多くの者はそう考えることで安心すら得ていた。
しかし、目の前の女が放つ氷魔法はどうだろう。確かに現象そのものは単純に把握できるだろう。不明な要素さえ取り除いてしまうならば科学の範囲に収めることそのものは難き話ではない。
しかしここで起きている現象がそうだと思えない、そんな凄みを持っていた。
「ガタガタと震えて。私の魔法は寒かったかしら」
街灯の強くありながらも狭い光に照らされた顔には影が入っていた。それでも女の瞳はしっかりと見つめることが出来るという有り様。その瞳はどこまでも冷たく沈みきった灰色。絶対温度の最低値、絶対零度はそこにあった。
「儀式だ、世界各地で、悪魔を呼んで」
短い悲鳴が織り交ぜられ、男の苦しみが血反吐の如く吐き付けられる。
「言えるはそれのみ」
鋭い悲鳴が静寂の夜闇を彩る。濁りきった色となって世界に広がり、止めどなく広がって不愉快なメロディを奏でてみせる。
「家の持ち主、あなたの持つ情報を言え」
真昼の目は男など見ていない。男の方を見つめて何を視ているのか。全くもって分かることが出来ない。
「分かっ、た、だか、ら」
顔を歪めては声を濁らせて。全ての仕草は本音を示していた。この大家にはもう、取り繕う余裕など残されてはいなかった。
「口にしていい言葉は情報だけ、それ以外は許さない」
更なるつららが男の膝を刺す。恐怖による脅し、本来ならば好みではない方法だったものの目の前の人物に効果的な手段などこの程度のものしか思い当たらなかった。
「分かった、話す」
「会議で話す、されど進まず。刹菜の言う通りね」
今頃刹菜は何をしているだろう。家の中に魔法に関する資料がないか赤茶色の目を通したり白い手による探りを入れているところだろうか。
「四柱の悪魔を呼んで世界を囲むんだ。それだけで魔女の目的は達せられる」
真昼は思い返していた。過去の会話の中につながりのあるできごとはあっただろうか。
夫の満明が遂行していたあのこととのつながりだろうか。今はある地域で魔女たちが集会で執り行う悪魔の降臨を阻止すべく動いた結果、何ひとつ行動を起こすことなく儀式は失敗に終わったということ。しかしながらそこに何かしらの違和感を嗅ぎ取った満明は生き残りの女の話を聞いてそれでも怪しさ満開だったがために追いかけているところなのだという。
刹菜は「また女の尻ばかり追いかけて」と言ってのけては満明の口から「それが男の幸せってやつだ」という返事を引き出していたものの、そんなやり取りのひとつでさえもが真実を曇らせる霧のノイズと成り果てていることを見て取って、真昼は大きなため息をついたものだった。
今でもまた同じ事。大きなため息をついてあのやり取りそのものをにらみつけては尖った感情を突き刺す。刹菜の言葉ひとつが満明の報告を途切れさせて不明を産み落とす原因となったもので。もやもやとしたもどかしさが溢れて今にも溺れきってしまいそうで仕方がなかった。
「もしかしてふたつの民族がそれぞれに行っている儀式と魔女集会のなかで執り行われたもの、それらの続きか」
大家は答えない。真昼は冷気が引き始めた瞳でにらみつけようとするものの、彼は既にその目を見る事が叶わない状態、既にこの世界への接続を一時的に中断したあとだった。
「気絶かい」
「眠りこけてるね」
後ろを振り返るとそこには見慣れたニヤけ面。愛しい娘が目の前で必死に聞き耳を立てていた。
「大袈裟よ」
「袈裟、着てみたかったんだ」
「重要なことは訊けなかった」
刹菜のおどけた態度から呆れと共に安心を感じ取っていた。そう、真昼にとっては楽しい娘と言えた。
「こっちも紙くずばっかり。床や壁まで剥がしたけど魔法関係の資料はなかったや」
ふと気になった真昼は訊ねてみた。
「どこまでやったの、家の状態」
刹菜は膨らみがほぼ見当たらない胸を張っては得意げな表情を浮かべて答えてみせた。
「無資格建築士一線級の私がつまらない家をハリボテハウスに改築してやった」
つまるところ、立派な外面に反して貧相な中身をしていて。それどころか実質寿命到達。
「物件にとどめを刺すな」
「釘を刺さないで言葉でも痛いんだぞ」
夜がこの上なく明るく感じられて仕方がなかった。
そうしたやり取りを経て、刹菜と真昼はもうひとりの女の存在を、身の無事を確かめるべく歩き出した。
「大丈夫かなヴァレさん」
「大丈夫、あの子はあの程度の魔法使いに敗れる人物じゃないわ」
断言はすっぱりと刹菜の不安を真っ二つに裂いて。それでも断面の微かな尖りに引っ掛かって残り続けていた。
不安など全て杞憂に終わることだろう。暗闇の空に包まれて隠された本音の中で真昼は確信していた。
この世界は何処までも深い闇が蔓延っていて、しかしながらそれでも人々の中に灯された光を完全に消し去ることなど叶わない。
そんな真昼の想いを黒く塗りつぶしてしまおうと企みを含んでいるものだろうか。刹菜は誰にも見えないニヤけを堂々と浮かべながら次の言葉を紡ぐ。
「魔法使いじゃなくて職質かもね、天敵は」
学生という身分、外国より学びに来ている身分、本来ならばそうそう起こらない日本の滞在。見つかった暁には身分証明書からパスポートにビザまで、ありとあらゆるものを差し出すことを求められることだろう。
「きゃー、いたいけな女の子の事情を丸裸にしないで変態エッチすけべっち」
「アホっぽいこと言ってんじゃないよ」
真昼のツッコミなど意味を成すものだろうか。いや、それこそ無ければただ単に虚しさだけで塗り固められた独り言と化してしまうだろう。
刹菜は未だに色彩を変えることなく話題を一歩隣のレーンへとずらしてみせる。
「それに、普通にその辺の人に見られた時なんか上手く話せるかな」
「あの子の日本語は語順が怪しいだけで全部聞き取れば必要なものは揃うものよ」
真昼はヴァレンシアという少女をよく見ていた。恐ろしいほどによく見て気に入っていて。
「言っとくけどあの子の日本語不自由の原因はあなたにもあるから」
ため息交じりに突いて来た声に対して刹菜は気を縮めて頭に手を置いて乾いた笑い声を吐き出すことしか出来ないでいた。
闇の中をしばらく歩いていたふたりはやがて柔らかな何かに躓いた。ふたり揃って躓いた。
「なんだよ、酔っ払いなら公園のベンチで寝てろ」
近くにあった街灯の下まで引きずって、ふたりは目を丸くした。
「もしかして」
「ああ、寝てるように倒れてるね、あの子のチカラの仕業」
真昼が向けた視線の先に刹菜もまたつられて目を向ける。
暗闇の空の中に輝く星々の中に大きな月が収められていて、空には収まらない光が弱々しい光を届ける地上。
そこに建てられた家の上に立っていた少女は空色の目を光らせてただただ空を眺めているだけだった。
そんな夜中の出来事など初めから無かったかのように時の流れに押し込まれ、朝の日差し、キラキラ笑顔の太陽が見ているそこでヴァレンシアは目を擦る。
「眠たい、遅くまで起きてた、昨日」
相変わらずの覚束無い日本語はそれでもどうにか意味を成しているという不思議、そんな意味合いの重みに頭を傾ける刹菜の顔を見つめながらヴァレンシアは夢うつつの歩行を続けていた。
「和菓子屋が出した依頼は達成ね、はい、ヴァレンシアの分」
「ありがと」
差し出された金を受け取る。金額にさえ目を通すことなく仕舞ってしまったのは信頼と言うより確認することすら面倒という眠気の大いなる意思に従ったからに他ならない。
「例え仲間でも信頼しすぎるな、って教えたのに」
刹菜は呆れ混じりに言の葉を散らしてみたものの、ヴァレンシアは何ひとつ耳になど入れていないようで、大きなあくびをしていた。
「自由人っぷりがもふもふにゃんのようだねえ」
真面目さひとつ残されていない刹菜の言葉も今のヴァレンシアには一切響かない様子、眠気には勝てないという彼女の想いが丸見えだった。
「はあ、ところで制服で帰るつもりかしら」
真昼の問いに頷きながらはっきりとした音でありながらも聞き取ることの出来ない言葉を奏でていた。
「故郷なんてまだまだ遠いぞー」
刹菜の声にも頷いているだけ。余程眠気が強いようだった。
「出掛け前に私の服をあげるしかないか」
「そんなに服もってるかしら」
「無い」
「私よりは持ってるでしょうに」
不服な顔を浮かべるヴァレンシアの優しさなど意にも介さず刹菜は余りの服を取り出す。一枚二枚三枚と、次から次へと取り出してはヴァレンシアに手渡す五枚を選んでいつも通りにニヤけを見せつける。
「胸も背も負けてるからなあ、もしかしたら入らないかも」
真昼の体型からは到底想像できない実態、ほどよい膨らみと厚みを持った身体に強調された胸と尻。真昼の美しき体型に対して刹菜は全くと言っていい程メリハリのない薄らとした身体に脚だけが微かに肉付いて、というよりは歩きを主体とした筋肉のようで、やはりこの女から生まれてきたとは到底信じられなかった。
かと言って父にも似ているわけではないという彼女から差し出された服に無理矢理袖を通して、真昼の服に恋しさを馳せつつも殆ど服を持たないという事を心に叩き付けて我慢を決め込む。
やがて窮屈な服を纏ってみせたヴァレンシアに刹菜は冷やかし混じりの感想を浴びせてみせた。
「さっすが外国人、スタイルいいしヘソ出し衣装似合ってるね」
胸が少々キツい、丈が足りない、そんなこと言えるはずもなかった。
「刹菜より5センチ程度背が高いかな」
真昼と刹菜の目は明らかに変態オヤジと同じ感情を秘めていた。
腰に左手を当てて伏し目気味の眼差しに右手で金の髪を撫でるように靡かせて歩く姿は堂々とした美しさに溢れていた。
バスに乗り電車に乗り換え地下鉄へと移動手段を変えて、たどり着いた空港の中、ふたりに手を振りまたねの言葉を残して飛行機に乗って空へと飛び立った。
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