第42話 決意
空は闇に覆われている。そんな空を覆う天上は闇色に飲み込まれていてあまりにも暗い。見通すことも出来ない闇の中を駆け抜ける、床を踏む靴の感触は自身が本来持っている何もかもが帰って来たのだと思い知らされた。
埃っぽい木の香り、コンクリートの壁にも汚れの香りがこびりついていて。一歩踏み出すと共にそこに留まる風が押しのけられ、勇人の身体にひんやりとした感触を与えては通り抜けていく。まるで生きているように感じられた。
今日の晩ごはんの余韻が、ハンバーグを噛み締めた時の肉がボロボロと砕ける感触と共に広がる脂身のぬめりと芳醇な香りが残っていた。
――何もかもが懐かしいな
鈴香は今日の朝から同級生の男の子と出かけていた、勇人は洋子と一緒に映画を観に行った。幸詩郎は由実と図書館に行ったのだろうか、菜穂は名前の無い在籍者改め阿蘇 和也と何処かへ出かけたものだろうか。想像する日常、それぞれが過ごす大切な休日、一日がとても大切なものに想えて仕方がなくて、大切なそれはいつまでも色あせることなく巡って来る。
そうした様々な人々の生活を脳裏で見つめながら窓ガラスの向こう側に目を向ける。ガラスの壁越しに映り込む校庭のベンチでは大切な友だち、日之影 怜が腰かけていた。鋭い目つきときりっとした口が印象的な女と肩を寄せ合ってまだまだ浅漬けの愛を互いに分け合いながら混ぜ合っていた。
「なあふうちゃん」
「なあに、愛しの怜ちゃん」
「この見た目と声でその性格って不釣り合いっていうか」
「いいじゃんいいじゃんそれでいいんだよ、うん、それでいいの」
会話が筒抜けだった。空気は穏やかで辺りは静まり返っていて夜闇に相応しくない騒がしさが見て取れた。
勇人は更に駆けて行く。足が靴越しに床を踏み跳ね返る様子、それをここまで愛おしく思うのはかつてその手から様々な感覚を落としてしまった経験からだろうか。
一歩一歩走り抜け、やがて見えて来るそこに待っていたのは空間の中に生えた亀裂だった。
「目の前に固まりし深淵の如く深き闇よ、この世界の中に蔓延りし大いなる闇の中に〈分散〉されよ」
細くて通りの悪い声で言の葉を撃ち、後ろへと引いた手を突き出し青白い雷を放つ。
この世から異界へと繋がる穴を広げるその空間。そんな亀裂を広げる元凶である闇に向かって雷は進む。空間を引き裂くひび割れのような姿で進み抜けて夜闇に現われし特異点の姿を取って。やがてたどり着いた雷はそのまま闇を噛み砕いて世界へと吐き出して、空間の裂け目を〈分散〉して静寂を強引に取り戻して行った。
「今夜も浄化かんりょっと」
黒くて果ても見えない大空を見上げながらあの日のことを思い返す。空を流れる川に変えて、伸ばしても届きもしないその手で汲み取っていた。
勇人が気を失ったその日、暗闇の中を歩くような感覚と光について行く実感と共に現実に引き戻されて目を開いたその瞬間、視界いっぱいに広がり目に映る色をそれ一色で満たし尽くす鈴香の顔を思い出した。心配そうに眉を顰め目じりを下げたその顔は勇人の身に分かりやすい何かが起こっていたのだと語り切っていた。その貌ひとつで丸分かりだった。
「おかえり……勇人」
「ただいま」
そうした会話を織り交ぜながら身体からあの薬による作用が抜けていることを感覚で悟り、魔法のセカイにはもう二度と近付かないだろうと思い込んでいた。
しかし、その次の日のことである。
怜の導きで自身の魔力を操ることで〈分散〉の魔法を操る術を無理やり叩き込まれて勢いよく戦いの場へと放り投げられた。
そう、この世界との関りを絶つことをこの小さな関係の中の誰もが許さなかった。
それ以来、勇人は手始めに攻撃してくる可能性が皆無な亀裂の闇を〈分散〉することを命じられ、想うがままに操られていた。
「いいように扱われてる気がするの、俺だけかな」
きっと周りから見ても、事実を読んでも半分は当たっていることだろう。
「まあいっか、仲間として一緒にいられるなら」
ひとり問いひとり答えてひとり納得。ただそれだけしかできない現状。この暗闇のように先の視えない未来を想いながらため息をつく。今の一般人が就くような仕事と異なりここで行なわれるのは戦い。命のやり取りであるかも知れない。不安に押し潰されそうな心を見つめる。情けなく縮み上がったそれはあまりにも頼りなくて。
――そんな心で戦っても生き残れないよな
思い返して覚悟を決めた。想いを燃やして意識を強く持つ。支えてくれる仲間や手伝ってくれる人々、彼らの想いや行動を踏みつぶしたくなくて止まらなくて。
そんな心をしっかりと支えの棒にして立っていた。頼りないままではいられない。手を差し伸べられる一方で時に手を差し伸べて、やがては同じ平行線を歩むほどでなければならない。胸に誓って想いを燃やしながら歩き続ける。
これからの人生真っ暗な先を、永遠に死に損なう日々を迎え入れて進む。
その決意は今ここで固められた。
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