第38話 蘇生の果て

 暗闇を駆ける者、それを追うように明かりが照らして行く。施設の反応よりも早く、設備の動きよりも速く、あの場所へと向かう。

 道はあの日の戦いの軌跡が覚えていた。頭の中での理解、しかしながら頭ではない何処かが指し示しているような錯覚に陥っていた。

 身体が何も覚えていない頭を引っ張っているような感覚を引き連れて進む。もはや意志なのか本能なのか、判別も付かない。

 確実に踏み出される一歩を頭が追う前に更なる一歩が踏み出される。思考さえ追いつかない見事な走りを経て、ようやく目的地にたどり着いた。

 息が詰まる、確実に疲れは溜まっている、肺が空気を吸う度に焼かれて静かな悲鳴をひゅーひゅーと上げているよう。

 風を纏った拳を振り上げ構えを取って勢いよく振り下ろす。周囲の風を割りながら進むそれはしっかりと机本体を捉えて平面な頭を叩き割って中身を覗かせた。

 そこから日記を手に取り捲って。

 過去の痕跡が、時の轍が、その紙に書き出されていないだろうか、ほんのひと掴みされた選ばれし観測者しか知らない歴史の一片がインクの汚れという形で留められていないだろうか。

 目を通し続ける。その目は、明るい感情を得て柔らかに輝いた。

「見つけた」

 そこには書かれていた。願いを横取りして蘇らせたものの、その命は長く続かなかったそう。すぐに身体がボロボロと崩れて消えて行ったのだという。他の人物にも復活実験を仕掛けてみたものの、病死した人物は末期の状態で病気を引き継いで事故死した人物はその状態から助かることなく再び死後の世界にこんにちは。

 死者の復活など出来ないものだろうか。

 否、出来ている。いじわるな話でしかなかったものの、蘇生自体は恐ろしいほどまでに容易だった。

「くだらねえ、死を……受け入れろ」

 怜の中で渦巻いた感情、それは怒りだろうか憎しみだろうか。そうだとして何に対してのものだろうか。不公平か男の醜い足掻きのことか。

 理解の及ばない感情を泳がせながらページを捲る。

 そこに書かれたモノはあまりにも人の願望そのものでありながら命に対する冒とく、こう言い表すことしか出来なかった。

「ホムンクルス、空の器にヒトの魂を降ろす、この前のだな」

 かつての噂話を追う行為にあたって向かい合っていたそれは、間違いなく事実として記憶に刻み付けられていた。

 その続き、それこそが怜にとって恐ろしい脅威に化けて出た。

「なんだと……ホムンクルスに天使を降ろしたアホがいるだと」

 名前もないその存在が空っぽのホムンクルスに天使の魂を宿らせた、そう言った話なのだそう。

 怜の脳裏ではあの金髪と灰色の目が焼き付きながら蠢いていた。



  ☆



 名前の無い在籍者、夕方、邪悪なる野獣の毛皮を纏いし人間、舞い散る何者かの羽根。

 全てがこの世を終わりへと、世界のページをその先を焼き切ってしまおうと動いていた。夕空の茜を背景に繰り広げられる幻想は何処までも美しくどこまでも恐ろしい。人というモノから、現実という枠からはみ出した光景は嫌でも目を離すことを許さない。景色の心地についつい緩んでしまいそうな警戒の意図を張り詰めて幸詩郎は弓を構える。

「幸詩郎くん、今回は世界のためだけど、これからは私のこと以外は覗かないで」

「大丈夫。今回だって右眼しか使わないよ、左目は由実を見つめるために……取っておく」

 心を打つ言葉はしっかりと由実の内の鐘を鳴らした。響きはあまりにも心地よくていつまでも浸っていたくなる。そうした心を覆い隠すように由実の口から固い声が零れ落ちた。

「……ばか」

 そのまま本を開き、ページへと目を落とす。湿り気のある心を無理に乾かして、白紙の中に幾何学模様を見た。

「お願い、天界との繋がりを開いて」

 唱えてすぐそこの時間、となりの未来の空間に入った亀裂は空間を割りながら広がって、そこにたどり着いた彼らの目の前に大きく広がった。

 そうして開いた穴を幸詩郎は右眼で見つめる。左目は閉じられたまま、万華鏡のような青白い右目だけが穴の向こう、名前の無い在籍者が置いて行った心を、存在の一部を、阿蘇 和也を見通した。

「そこか」

 弓を構えて紙が括り付けられた矢を当て引き絞る。力が加えられ、歯は食いしばられて。

 張り詰めた弦は今か今か戻ろうと力を込めて抵抗を示していた。

 矢を掴む指は離されて、勢いに任せて亀裂の向こうへと向かって行く。

 亀裂の向こう、異なる次元、あるひとつの異界へと吸い込まれる矢は輝きを失うこともなく線を描いて残して。

 やがて何かに突き刺さるように動きを止め、その場で輝きを誇示し続けていた。

「後はアイツと結びつける」

 勢いよく放った矢は名前の無い在籍者へと向かう。彼は矢の存在に気が付いていないのだろうか、素直に、あまりにも当然のような様で突き刺さって亀裂の向こうの何かと男は結ばれた。

 幸詩郎は亀裂へと延びる光をその手でつかんで手繰り寄せ、矢を手元に戻して再び弦を引く。

「結ばれた心よ、本人の身体の中へ、心の中へ、納まりたまえ」

 手を離れた矢は紅白の紙を揺らして金髪に絡み付く。ここまでの流れからよどみがひとつたりとも見えてこなかった。

「菜穂、和也から天使の存在を断ち切れ」

「幸詩郎くん私以外の女の名前呼ばないでよ」

 ふたりのやり取りなど耳の外側の空気の震えとして遮って菜穂はその手に構えた日本刀を振う。

 光の糸は切れて天上へと飛び去った。その流れを見届けようやくこの役目を終えたのだと理解した菜穂は和也の方へと駆け寄って抱き締めた。

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