第37話 神隠し

 神隠し、行方不明者、果たしてどこで名前を落としてきてしまったのだろう。和也と呼ばれた男が名前の無い在籍者である保証など何ひとつなかった。中学時代、小学校時代、何処の卒業アルバムにも遡ることが出来ない、その異常性だけが名前の無い在籍者の正体を思わせた。

「神隠しだなんて」

「現実的じゃないね、幸詩郎くん」

 由実の言葉はある意味正確で、しかしながら非現実的なものが跋扈するこのセカイの中では現実そのものでしかなかった。

 名前の無い在籍者について分かることなど多くは遺されていなかった。

「きっと、迷い込んでそこで足掻いてそれでもどうにもならなかったんだ」

 神隠しの果て、うわさ話を流して人々の運命を左右する天使である彼もまた、うわさ話によって人生を終えた者に過ぎないということ。

 天の呪縛に糸を繰られて光の世界に住まう何者かがその手で操るのみ。

「どうにかして彼を止めることは出来ないかな」

 幸詩郎の脳裏にはあの光景が何度目か、何人目なのかも理解できない。黒い髪と灰色の目、それを持つ彼こそがきっと阿蘇 和也。あの男の顔を、暗い陰がのさばっているあの姿を目の当たりにするだけで感情無き今の姿に対して思うところがあった。言葉にもできない息を詰まらせる苦しさが肺を満たして行った。

「絶対に彼を止めたいんだ」

 幸詩郎の言葉に強く頷いたのは菜穂だった。その顔その口から出て来る言葉こそが菜穂そのものだった。

「そうね、当然のこと、それよりこれをご覧」

 菜穂が指を向けた先に堂々と居座るそれは木の枝だった。

「これは」

 幸詩郎と由実はそこにある矢を見つめ続ける。細い木の枝の先は尖っていて、向かい側には赤と白の帯状の紙が結び付けられていた。ひし形をいくつも繋げて造られたような紙の先には鈴が付けられていて、それが心地の良い響きを奏でていた。

「これを相手に撃つのか、これで名前の無い在籍者を天使としてで無くて人としてこの場に留める」

 彼が天使である限り幾度でも世界を壊しにかかって来ることだろう。それを根本から止めるためにはやはり人に戻すことが必要、そう結論が語っていた。

 幸詩郎は矢を手にしてその目をつぶる。

「どうか、彼を救うことをお許しくださいませ、上の存在に歯向かうこととなっても、世界の意向に逆らうことになっても、天井の威光に歯向かうこととなってでも」

 固められた意志、それは石のように固くて決して砕けることもない。

 三人はあまりにも強い意志を持って外へと向かった。

 そこで見つけた人物、それこそがこの戦いに参加する仲間のひとり。その目に見ている相手は異なるものの、平和を保つために戦う人々の中のひとり。怜の鋭い目が菜穂を捉えた。

「よお、ちゃんと動いてたんだな、嬉しいぜ」

 そう語られたあとの行動、校舎に忍び込んで来る羽根を風邪で打ち払っていた。手を広げるだけで羽根が跳ね除けられているように映り、それはあまりにも力強く映っていた。

「ええ、私たちは名前の無い在籍者を止めるためにいろいろと探っていたわ」

 輝きの元素で世界を満たし、この世で天使が感情を持って過ごす。つまりは人と同じように生きる場所を増やすために人類を滅ぼす、それだけが目的だったそう。

「おお、そうか。俺自身はもうみんなに戦いの始まりだと伝えることで役目は終わった。終わっちまったんだ」

 出来ることなどもう無い、そう語る怜の前で幸詩郎は訊ねた。

「できればある男のことを調べて欲しいんだ、あの顔は……最近いなくなった教師だ」

 話によればそれはある教師の高校時代、やがては名前の無い在籍者となる同級生を屈服させて無理やり自分の願いを叶えて人さまの願いの権利を横取りした人物なのだという。

「彼女を復活させたって言うんだ」

 そこまで聞いて全てを把握したのだろう。怜は微笑みながら、鋭い感情を堂々と刻み込みながら口を動かし続ける。

「ソイツ、倒したの俺らなんだよな」

 眼を見開いて驚きに溢れる彼に対して更なる言葉を紡ぎ続けた。

「まだ復活の研究を続けてた」

 奇跡のチカラをも行使して彼女を蘇らせた。そんな彼の身にどのような不幸が襲いかかったのだろうか、もしくは欲に目が眩んでしまったのだろうか。

 しかし、この学校から最近、とは言え半年近くも前に消えた教師などただひとり。嫌な汗が流れて怜の身を、心をも生々しい加減でなぞりながら滴り落ちて行った。

「なら、俺の出番も終わりってわけじゃあねえってわけだな」

 怜は地下への潜り方を完全に把握していた。駆け抜ける、知っている彼らの姿も背後へ過去へと置き去りにしながら走り続ける。名前の無い在籍者に関しては全てを任せて走り抜ける。向かうべきはこの学校の下。あの冷気しか残されていない月の彩りに空が霞んだ夜。あの日あの時の続きがこれから始まろうとしていた。

 怜が操る風は指と指の隙間をすり抜け通り抜け、追いつけない一部を持ちながらも怜よりも手早く動いて学校の壁に空虚な模様を刻み込んで見せた。

 地下、目では捉えられない程に深い闇の中、その中へと怜は姿を消して行った。飲み込まれるように包まれて、後には存在の痕跡すら残さなかった。

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