第25話 本心

 怜と勇人は人々を縛り付ける授業から解放されて歩き始める。

 彼らの姿を出迎え反射しては散る光。晴れ空に笑顔、とても輝かしい空の顔は見事にふたりのことを歓迎してくれていた。

 歩き続けること一分程度、校門へと近付いた例が口を開く。

「なあ、今日も今夜に備えて真昼さんたちのとこにお邪魔しようぜ」

 そう語る笑顔、勇人も笑顔を見せて返す。沈黙でもそれが答えなのだと手に取るようにわかった。きっと向こうでは向こうの、魔法使いのセカイでの時が流れて魔力を多く持つ人物を用意してくれていることだろう。

 特に滞りもなく予定そっくりそのままその通りに校門を出ようかといった時、その時に全ては崩れ去ってしまった。

「こんにちは、勇人」

 勇人の耳に少女の自然な声が届いて来た。飾るわけでもなくただそのままその名を呼ぶ声の主は駆け付けて来て勇人の手を取り屈託のない笑顔を浮かべていた。

 勇人は子どものような顔に収まる大きな目を丸くしてその手を握る少女の名を呼んだ。

「洋子。どうしてここに」

「えへへ」

 純粋そのもののように見えていた洋子の表情、改めて目を通してみるとどうにも大人びた気配が瞼の影に見え隠れしていた。

――やっぱり女の子って少し大人っぽいよなあ

 幼さと大人びた情のが複雑に混じり合って絡み合って見えた。そこにまた羨みと寂しさと憧れとほんの少しの嫌気、様々な感情が勇人の中で色付いて見事に絡まり合っていた。表情を緩めて、感情の絡まりをどうにかほどいてその中の嫌気を何度も味わい返していた。

 それは果たして何に対しての嫌気なのだろう。

 洋子の純粋な可愛さだけでない女の子の心情の写し鏡そのものとなっている貌に対してなのだろうか。

 それとも、いつまで経っても子どもなのだと世間から揶揄われる男という種族である自分自身に対して抱く不甲斐なさを汲み取った結果なのだろうか。

「大丈夫? ちょっと機嫌悪い?」

 全てが視えてしまっているのだろうか、洋子に表情の味わいが、ほろ苦い想いが分かってしまったのだろうか。

「なんでもないよ、ちょっと良くない事考えてただけ」

 全て誤魔化してしまおう、心に誓って離さない。目の前の笑顔を壊してしまうのは、到底許されることの無い大きな罪のように思えた。

「よくないこと? もう、勇人ったらホント男の子なんだから」

 今はそれでいい、誤解はあらぬ方向に視線を移していた。

「デートか、いいな。用は俺が済ますからふたり行ってこい、後で遊具撤去されたあの公園でな」

「でも……」

 言葉はそこで切られた。怜の眼は優しくありながらも厳しい情を放ち、その目の鋭さで言葉の端の影を断ち切っていた。勇人の言葉がこれ以上引き出されることを許さなかった。

「彼女のこと、不幸にしたら絶対許さねえからな」

 そうした出来事の果てに得られた男女ふたりきりの時間、勇人の中では罪悪感が渦巻いて、ザラザラとした感情が砂となって舞っていた。

 歩きながら洋子は勇人の瞳を覗き込む。勇人もまた、洋子の大きな茶色の瞳を覗き返した。

「勇人はかわいいよね、あと雰囲気が周りの男たちより全然大人っぽくて」

「気のせいだよ、多分ちゃんと見たらみんな変わりないから」

 洋子の表情も感情も、キラキラと夕日の波に輝きの照り返しを塗った瞳も心を声に乗せて運び込む口の柔らかな動きにも、全てに見惚れつつも怜に対する罪悪感の湿り気を背中で感じていた。

「怜のこと?」

 頷いた、言葉も出なかった。ただ押し潰されてしまいそうで重たくて口が動かなくて。

 洋子はそうした想いをしっかりとほどいて見せた。柔らかな笑顔で、細い指で勇人の頬をなぞりながら想いを言葉に変えて。

「たぶん、怜もそういうこと望んでないよ。もっと幸せになって欲しいって、そう思ってる」

 それは間違いなかった、怜ならばきっとそう言うだろう思うだろう。

 ふたりは再び歩き始める。夕食を軽く済ませて洋子の腕が勇人の腕に絡められていて、その感触は勇人の想像でどうにか補われていた。

――このまま、近くにいる人のことも分からなくなるのかな

 ふと湧いてきた不安、それは人間という生き物から遠ざかって行く自分自身のこと。こんなに近くにいるにもかかわらず、触れ合いの証を感じることが出来ない。感触も温度も、何も見ることが出来ない。こんなにも簡単なことさえ知ることが出来なくなり始めていた。これからの人生を通して出会う人々は様々な価値観を持っていて、様々な感覚で語ることだろう。それについて行くことなど出来るのだろうか。分からない。

 心情に在りもしない疼きに頭を行動もなく抱えながらも着いた公園近くの道路で洋子は立ち止まって勇人の腕に身を預ける。

「ねえ勇人」

「なあに」

 瞳は闇に色を沈めていてそれでも微かに残る茶色は星の煌めきのしわざだろうか。その瞳に輝く星々は瞳という潤いに充ちた晴れ空となっていた。

「もう少し、傍にいていいかな」

 洋子の目はどこか寂しそうで、陰の蔓延るその目に宿る光さえも影のように見えてしまう。

「いいよ」

 返事などひとつしかなかった。

 洋子と交わす視線、見つめ合う瞳同士を離すことが出来ないでいた。

 暗闇の中で交わるそれは、互いに異なる色で想いあう。その瞳は見えずとも互いの気持ちはきっと見えている。気のせいだったとしても、人同士でそう思うことは間違いではない、心に沁みて感じていた。

「ねえ、勇人」

 再びその名が呼ばれる。可愛らしい唇が愛しさを込めた動きと声で告げる。先ほどのように行為を声にして奏で上げるつもりなのだろうか。

 そんな勇人の想像は裏切られた。代わりに届けられたものは問い。勇人は姿勢が自ずと変わるのを、言葉を受けると共に身構えてしまっているのを洋子との身長の差で感じていた。

「私、最近よく分かんないところで目を覚ますの」

 夢遊病なのだろうか、想像を繰り広げながら身構える勇人に対して真剣みを味わい香りを見て洋子は言葉を繋ぐ。

「ええとね、気がついたらどこかに立ってたりして。近所だったこともあるんだけど初めて来たようなところのこともあって、たまに学校に遅刻しそうになるの」

 一体どのような症状なのだろう、勇人の内にある考えが浮かんだものの即座に振り払いすぐさま続きを引き出して。

「私、怖いよ。いつ自分が何してるのか、分かんないよ……自分のことさえ」

 怖いよ、そう続けようにも声はかすれて言葉は弱って誰にもかき消えて、届かない。目の端に涙が浮かんでいることに気が付いたものの、夜闇に紛れてそれすら見えなくて、何も伝わらない。

「怖いよね、苦しいよね、でもさ。俺が絶対離さないから。知らないとこになんて行かせないから」

 言葉は綴られ想いは流れて広がって。そうして抱き締めるも違和感が湧いていた。

 目の前の少女に対して浮かぶ想像を振り払い抱き留めて得られた沈黙は完全に違和感の塊でしかなかった。優しさが口を噤み言葉を紡ぐことさえ出来ないのだろうか。綿のような優しさが口を塞いでいるのだろうか。

 洋子に、目の前の女の代わりに月明かりが答えた。微かに影を照らし、その姿の片りんを映し出す。

 そこに、暗闇を見通せない目に微かに映った姿に、その目を丸くした。大きく広げた瞳にあの影が残像の如く残っていた。

 無言の少女、その表情は見るまでもなく分かってしまう。手に取るように解ってしまう。闇に沈んだ黒いドレス、その上品な姿に似合わない表情を闇の中に描いていた。きっとそう。口を張り裂けてしまいそうなほどに大きく広げ嗤いながら目の前の好きな人を、洋子が感情を味わっていたその人物をその口で味わうつもりなのだろう。

 感じられないはずの寒気が身を襲っていた。心臓が止まり、何かが喉を通して這い上がって来るように感じていた。しかしそれは全て勇人が得た錯覚。実際のところ心臓の鼓動は何処までも速くなり、世界のコマ送りが遅く見えていた。喉を通して上るものはおどろおどろしい感情で、そうしたモノたちが勇人の中で暴れ続けていた。

 運ばれ続ける焦りと危機感は全身をこわばらせ動くことに対して、動けという意思に反して、拒絶の意を示す。勇人が持つ驚愕が動くことを拒絶していた。

 やがて洋子だったモノは動き出す。顔を近付け唇を寄せて。彼女の、〈お菓子の魔女〉の好意の示し方は熱いキスでも強い抱擁などでもなく、食べること。愛も憎悪も嬉しさも悲しみも無関心さえも、ありとあらゆる感情が食へと回る乏しき環状の巡り。

 横に広げられていた口が縦に開かれる。今日の食事が建てられようとしていた。そこまで来てようやく勇人の手は動き始めた。

 先ほどまで誓い合っていた愛に代わって拒絶の意を手に取り振り回すように突き放してみせて。洋子、魔女と成りて羊子となった少女を地に転がして勇人は目を見開き想いの衝動のままに手を引いて稲妻を手繰り寄せる。

「お前なんかに近付いたのが間違いだった、消え失せろ」

 空気を漂う稲妻を押し出し放ち、羊子にその衝撃を思い切り浴びせる。噛み付かれる羊子は張り裂けた声で醜い叫びを上げるものの、勇人は止まることはなかった。再び手を引いて稲妻を空気中に集めて目に映る姿へと変えて。

 一方で苦しむだけでは済まされない羊子は口を広げながら勇人に勢いのままに肉薄した。

「自ら寄って来るんだね、お前の気持ちなんか受け取れない」

 言葉と共に雷を放ち、更に立て続けに腕を引いては引き寄せた稲妻を感情のままに撃ち続ける。

「間違えてた、受け入れることなんて間違えてた。そうだよ、死ねよ、殺すんだ、鈴香の敵になるなら今すぐ」

 口撃の混じった攻撃。勇人の遺伝子に混ざった本能。新しく刻まれた魔女と同質の想いは勇人の優しさを踏みにじっていた。

 羊子が生きるための本能に従って魔力補給の人喰らいになったように、勇人は鈴香の敵を殲滅することに取り憑かれていた。

 腕を引いて集まる雷を浴びせては再び腕を肩へと引き寄せ稲妻を手繰り寄せ。

「死ねよ死ねよ、敵なんか全員死ねよ鈴香に牙を剥くやつなんかこの世にいる価値ないだろ」

 立て続けに責め立てては攻め続ける。そこに他の感情の入る隙間などなかった。勇人本人の他の感情さえ割って入ることもなかった。

 羊子の弱り果てた叫びは掠れたうめきへと変わり果ててやがてその口は微かに動くだけで声すら発せないまでに成り果てて、朽ち果てようとしていた。

 容赦などいらない。そうした姿勢を濃厚な殺意を稲妻に変えて撃ち込もうと幾度目か数えることもなく繰り返しの稲妻の手繰り寄せ。腕を引こうとしたその時、その動きは止められた。

 鋭い殺意を持った瞳が大切な人の救いを妨害するモノを、行動の邪魔をする者を、はっきりと捉えた。

 その姿はどう足掻いても見間違いようのない、同級生の親友の姿をしていた。

 そんな友人は勇人の手をしっかりと掴み、これ以上の攻撃を許さない。その手は勇人の攻撃を遂行させないためであろう、微かにも動けない。その目は勇人に対してやめろと強く訴えかけているようで合わせられた目を逸らしてしまう。

 勇人の失われた目の色はまさに使命に憑りつかれているよう。魔女の性質とはそこまで人を変えてしまうものだろうか。

「放せ、怜。鈴香の敵になるやつなんだ、闇の中に命ごと〈分散〉しなきゃ」

 色を失った言葉など受け止めてはもらえないのだろうか。勇人の言葉に対して言葉が重ねられる。

「それはさせねえ、ホンモノはそんなこと望まねえから」

 まるで今ここに立っている自身が偽者だと呼ばれているような錯覚に陥れられた。紛れもない自分自身が己でないと否定されている。それはもはや存在の否定のようにすら感じ取れる仕打ち。

「思い出せよ、目の前の子は勇人に対して殺されるようなことやっちまったか」

 明るい笑顔が咲き誇る、明るい声は夏を思わせる元気いっぱいの音色を奏でていた。夜闇で苦しむ魔女、ここまで追い詰めてしまったのは何処の誰だろう。正義というガラスの壁一枚隔てて感情を痛みを遮断して、人間という存在という事実から顔を背けて魔女というラベルを貼り付けて命に劣悪な価値を付ける。人として最悪だと思っていた行動を今ここで行なっているのは何処の誰だろう。

「こんな魔女としての貌が本性だと思ってるのか。この子の笑顔は嘘だったのか。思い返してみろよ、洋子の表情は何色だったか」

 その笑顔は、貌の色。差し込む優しい日差しにも負けない輝きに勇人の薄暗い影に閉ざされた心は安らぎを得た。零れて差し込む光がこの上なく温かくていつまでも触れていたい、そんな気持ちを呼んでいた。

「一緒に歩いたこと、一緒に話したこと、どれもひとりの可愛い女の子だった、そうだろ」

 ここぞとばかりに追憶の表層に浮かび上がる彼女の声を今も耳にしていた。名前を呼んでくれる時、並んで笑ってくれる時、味すら感じられない食事に味を与えてくれた彼女。

「殺そうなんて、俺、どうかしてたよ」

 ようやく気が付いたその目に映り込む羊子の姿は苦しみに充ちていた。洋子の明るみなどもはやそこになくて、浮かべる笑顔にはあの輝きなど宿っていなかった。曇り切った笑顔に目を向けて、勇人は稲妻を収め、呟いた。

「大丈夫、魔女の闇だけを、世界の中にまき散らしてあの笑顔を……取り戻すから」

 怜の表情の和らぎを見て、その手をすり抜けて、勇人は腕を引いた。

 集う稲妻に違いなど見られなかったものの、鋭い輝きを受けた勇人の表情には、暗い感情の雲など何ひとつ浮かんでいなかった。

 最も澄んだ瞳で魔女の嗤い顔に覆い尽くされ隠された洋子の笑顔を見る。

「魔女に纏わり固まりし闇よ、少女の心にしがみつく闇の根を断ち切りこの世界に蔓延りし闇の中に〈分散〉されよ」

 突き出された腕は稲妻を放つ。突き放しているように見える仕草の中を引き寄せが、受け入れの気持ちが多大に泳いでいる。瞳の深海の、底なしの心海の、暗く見通すことの出来ない底から届く優しく温かい星のような輝きは洋子にも届いていた。稲妻の煌めきは洋子に纏わりつき羊子という魔女の人格を演出している闇の舞台、小さな劇場を砕いて塵に変え、世の中へと消し去って行く。

 塵となり散りゆく闇はやがてその姿を保つことが出来なくなりその場にひとりの少女を残すのみだった。

 闇の中、勇人は地にて眠りの姿を見せ続ける洋子へと駆け寄ってしっかりと抱き締める。

「ほら、よかっただろ。実は好きなんだろ、互いにな」

 怜の口によってふたりの関係に挟まれた余計な声は余分な問いを運んで来ていた。

「あんまりそういうこと言ってたら怜にも揶揄われる状況作っちゃうぞ」

「おおよろしくよろしく」

 夜闇などまるで見えない、そんな明るい関係だった。

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