第24話 刹菜の刻

 夕焼け小焼け、大焼け大空。空の白に混ざる薄い朱の層がどこまでも広がる景色は勇人の心を見事に打っていた。その景色は目を惹いて見る必要のある地上へと視線を引くことすら許してはくれない。その目は空から退くことが出来ないままでいた。

 その空は一日の終わりを告げ始めているようで、心にどこか物足りない美しさを彩ってくれる。そうした感情が織り成す好みなど人々が勝手に決めたものなのだろうか。

 勇人はそれでも構わない、心の中でそう結論を出していた。勝手な行ない、しかし人が景色を目にしてどのような情を抱こうとも勝手なこと、きっと神さまは許してくれる。

「綺麗な景色だね」

 勇人がぽつりと零した言葉に怜は淡々と答えてみせた。

「そうだな、この空の向こうに敵が現れる夜が控えてるなんて信じられないよな」

 空が顔を変えてしまったそこに敵は現れる。空を見つめるお天道様、沈みかけの太陽。それが見ていない内に悪さをしてしまおうなどと思っているのかただ単に夜が戦場なだけなのだろうか。勇人は思い巡らせてみるものの、どうにも結論を掴むことが出来なかった。

 しばらく夕空を見つめていた勇人だったものの、怜のひと言で空から目を背けてふたり歩き始める。目に広がる景色の全て、何もかもに夕日が焼き付いていて世界が独特な色に染まっていた。そこに美しさを見るのは人の心が織り成す感情の芸術なのだろう。

「逢魔が時は近い。今の俺らは魔に逢おうとしてるんだよな」

 逢魔が時、午後六時ごろ。逢うという字を使っている理由は何だろう。ヒトと魔は親しいものなのだろうか。勇人は思考を巡らせてみた。日々起きる犯罪や悪しき行ない、そうしたきっかけのひとつに魔が差すという言葉を当てはめることもあって、やはりヒトと魔は親しいものなのだろう。腐れ縁やある種の悪友のようだった。

 魔に逢う、そう言った怜が向ける目の先にはつい最近訪問したあの家が建っていた。そこから伸びる影が聳え立っているようで、より大きく見せてくれる。

「魔に逢うぞ、逢魔が時に、間に合うんだ」

 名前の無い在籍者、そう名乗る男が時たま放つ発音の重なりに触発されてだろうか、それとも人知れず出てしまったものだろうか。怜の口からダジャレがこぼれていた。

「さあ行くぞ」

 呼び鈴を押して、何度でも押して。家の口が開かれて怜の言う魔を待っていた。

 ドアは開かれてそこから美しさを保ったままの女が現れた。

「真昼さん、夕飯作り続けていいからさ、刹菜と話がしたいんだ」

 ここで頼る相手が刹菜なのだという。彼女は頼りになるだろうか、少しの心配が滲み出て来て今にも噴き出てしまいそうだった。

「そう、嬉しいわ。刹菜に構ってくれる人なんて魔法使いしかいないみたいだから味方の魔法使いと話せて喜んでるみたいなの」

 真昼は夕日に似合わぬ笑顔の輝きを見せながらふたりを上げた。

 すぐに家に上がり、刹菜の座る部屋へと導いて真昼は去って行った。

「刹菜のやつ、魔力の質が良くないみたいで一般人には嫌われっぱなしなんだ」

 そういう人物もいるのだろうか。勇人は改めて自身に刻まれた遺伝子が、流れ続けるその血が魔法使いの一族のものなのだと確認していた。

 部屋のドアを開く。軽い感触のあまり怜は勢い余って吸い込まれるように部屋の中へと滑り込んで行った。

 そこに待ち受けていたのは髪の房を左肩に垂らしてニヤけを浮かべる女の姿だった。

「いやんエッチ。なに女の子の部屋に侵入してきてんだ。排除をお望みで? ゴミはお掃除」

「ふざけてる場合じゃない」

 怜の対応はあまりにも冷静で、刹菜の扱いには慣れ切っている様が手に取るように目に見える。

「それより聞いてくれ」

「イヤだ」

 拒否を口は示したものの、目はしっかりと怜の方を見つめていた。言葉と態度が釣り合っていないようだったがそうしたものまで含めて彼女なのだろう。ふざけに隠された真面目の片りんを見た気がした。

「勇人が魔女に会ったんだと、戦って一応今は何もないみてえだが」

「それは大変。魔女って魔女みたいな美女のことだろう。ついつい尻尾を振って性愛の道へと進むとこだったんだね」

 言葉こそはふざけていたものの、貌もいつものニヤけを浮かべていたものの、雰囲気からしっかりと聞いているのだとつかんでいた。態度も言葉も彼女なりの化粧なのかも知れない。刹菜は急に話に寄り添い進み始めた。

「で、魔女だね。最近うわさになってるのは……あのうわさの魔女か、人をお菓子のようにぼりぼり食らう食いしん坊のお嬢さん」

「多分そうだ、黒のドレス、まさにそうだよな」

「正しくは時間は知らないけど夜中三時をおやつの時間だと勘違いしてるし〈お菓子の魔女〉とかかな」

 謎の推測が繰り広げられる中、勇人はひとりこの会話から置き去りにされていた。当事者が一番話について行けないという状況だった。

「さあさあ、これからどのように魔女から魔を引き離すか考えようじゃないか」

 刹菜の言葉はただの飾りだろう。きっと人類亜点一種とまで呼ばれた変異を除去するなど奇跡でも起こさなければ出来ないことだろう。

 つまり無効化するか倒すか、アプローチの手段は多くとも二択の問いでしかなかった。

 刹菜の右手は肩のあたりにまで上げられた。手のひらは上を向いていて、勇人と怜はそこに視線を集められていた。

「よし、私の綺麗で長い指に見惚れてもらったとこでお話進めますか」

「細いから長く見えるだけでそうでもないぞありゃフツーだ」

 お得意のニヤけ面にはもはや慣れてしまった。良いことか悪いことか、定かでなくとも話を進める上では差支えがなくなって助かってはいた。

「魔女ってさ、誰を狙ってると思うか。どのような人を追いかけ回すと思うかな」

 怜は肩を竦め思考を諦めていた。勇人は身に刻まれたことを、自身の身に刻み付けたことを、自然と口からこぼしていた。

「鈴香みたいな子」

 刹菜のニヤけは緩み、更なる問いが残されたニヤけを貫通して届けられた。

「それ、どんな子か」

「どんな子って、いい子だよ。ゆっくり途切れ途切れにしゃべる子で優しくて、笑顔が純粋な子」

 刹菜は右手の人差し指をゆっくりと振って、話を引き繋げた。

「そういうことじゃないんだ。魔法的にどういう身体でどういう根拠あってか、なんだ」

 勇人は記憶を巡らせた。過去に書かれているはずの理由、どうして鈴香が狙われると祖父が語ったものか。

 答えは雷のような豪快で雑な輝きと軌跡を持ち込みながら勇人の頭の表層にまでたどり着いた。

「魔力、ああ確かにそうだ。魔力が多くなるからって言ってた」

「お見事。私がキミたちの口から聞きたかったのはそれだね」

 刹菜の貌は相変わらずのニヤけで塗りつぶされていたものの、微かに滲み出る優しさが隠れ見えていた。チラリと現れてはまた隠れて、刹菜の本心はシャイなものだと勝手に印象の旗が建てられた。

「そう、魔女ってやつは周囲の魔力に食いつくんだ。他の魔女は魔法を使うために周囲の魔力を使うけど〈お菓子の魔女〉は……食べることで取り入れてる」

 難しい話は一切必要ない、そういった態度を取っていた。そこから解決方法の提案へと話を流してみせた。

「つまり、魔力の多い人をエサにする。そう見せかけて実は護衛いました、なあんて流れさ」

 そうしてこの話題はしっかりと閉じられた。勇人の手に、口によって無理やり閉じられた。

「つまり囮、流石にダメだろ」

「囮で御取り作戦、受け付けなかったかな、魔法使いの方で用意しようと思っていたんだけど」

 それならば話は変わって来るだろうか。勇人は頷いて、刹那は続きを紡ぐ。話によって目の前の他人との関係を紡ぎ合わせる。

「大丈夫、みすみす食わせるなんて真似なんか絶対許さないから。そんな物語、私は紡ぎたくないから」


 やがて街は闇に飲まれ始める。この闇はどこまで広がっていてどこまで伸びているのだろう。闇の中に住まう各地の人々はそろそろ枕と布団を用意しているのだろうか。

 人々が寝静まる時間にふたりの男は探していた。ある人物、倒すべき対象を。

「こうやって夜の中出歩くのたまんねえな」

「そうかな、何も見えないからなあ」

 勇人にとっては不安が募る暗闇の大地も怜にとっては魅惑的なものなのかも知れない。

 それからしばらく歩いてはみたものの、その探索は空振りに終わった。行動の全てが無駄に終わり、得られたのは残念という言葉を飾るに相応しい結果と虚しさと疲れ。ただそれだけ。

「どうだ、ここまでやってまだ一応課外の0時限目とか出る気起きるか」

 怜の日常なのだろう。いつも様々な目的のために暗闇の中を走り抜けては風を走らせて戦いに明け暮れる日々。それこそが怜にとっての日常生活。必要のない授業など受けている暇はない。それは分かり切った話だった。

 勇人の中にまたひとつ、いつも隣にいる友人の不明な点が解消された。

 怜は今日の無駄な徘徊を想いながら辿りながら、得られたことを口にする。

「恐ろしいまでに静かだったな」

「た……確かに」

 同じように勇人も思い返してこぼしていた。

「多分、人食うのは何日かにひとりでいいんだろ」

 そういうものなのだろうか。魔法使いとの交流が未だ輝いて見えるほどに新鮮な勇人には魔法のセカイのことなどよくわからなかった。

 結局これから探索を続けるわけでもなくただふたり家に帰るのみ。きっと勇人も明日の授業には出られないだろう。こうして生真面目な表層すら崩れ去ってしまった。

 夜闇の中で流れて来る風を手に取り耳にしながら怜の言葉はどこかへと向けられる。

「ああ、今日は平穏そのものだったんだな、いいよ、ありがとう。ゆっくりとおやすみ」

 それからも加えられる風のこぼす言葉に耳を傾けて笑い混じりに感情を言葉に変えていた。

「そこの国は今日も楽しそうだな……いやまて、そこの争いはもういいから。おう、さんきゅ」

 怜に倣って風を掴もうと手を伸ばしてはみたものの、手に収まってくれることなどなくて、緩やかな音を立てながらすり抜けては見えない何処かへと流れ落ちて行くだけだった。

「勇人には、いや、何処の風使いにも出来ないだろうな、あの子は俺にしか話してくれないから」

 いったいどのような風なのだろうか。目を凝らして、その姿を確かめたいという欲望に素直になってみて。

 結果から言えば正しく見えたわけではなかった。そこにはただ渦巻く風があるだけ。しかしながら勇人には視えた気がした。


 怜の斜め前、そこに浮いた風の衣を纏った幼い女の子の姿がその目に映った、そんな気がした。

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