第21話 昼休み

 勇人は昼食の手前の風景には目もくれずに自身の頭の中をひたすら覗いていた。味覚が失われているということは毒物への耐性は充分なのだろうか。味というものは口にしたものの性質を大まかに見分けるための合図で、おかしな味がすれば吐き出してしまうのもまた本能の為せる業。つまりもはや毒など見分ける必要もないということだろう。

 この授業が終わってしまったら苦しい時間が訪れてしまう。何を口に入れても味がせず、何を噛んでも食感のない、生きるためだけに栄養を摂る。そんな食事時間。かつて大好きなひと時だっただけに今は惨状が常に参上してきているようにしか見えなかった。


 この苦しみはいつ失われるのだろう。かつて何かを味わっていたという思い出、それさえ思い出すことが出来なくなってしまえばいいのに。永遠に妹を守り抜くだけの人生、それ以外に意味の無い存在へと早く成り果ててしまえばいいのに。


 生き地獄は、彼の意思とは関係なしにやってくる。時間は、彼の感情などお構いなしに去って行く。

 教師のひと言によって授業は締めくくられて、勇人は怜と共に教室のドアをくぐり抜けた。勇人の味覚が薄らいで以来、弁当は持たされていなかった。味覚がないのは食事事態が要らない証拠、勝手にそう結論を縫い付けて祖父は家族に命令していた。


 食事要らない人物には与えるな、鈴香の目をごまかすために夕飯だけ食べておけ、などと。


 勇人は空腹を感じていた。ヒトの名残りだと否定はされたものの、何となく感じていた。このままでは死んでしまうだろうということ。飽くまでも毒への耐性が付いただけ、エネルギーを得るには外から持ち込むしかないのだということ。

 優しい母にしっかりと相談したところ隠れて勇人の手を両手で包み込み、食費を手渡してくれたのだった。

「私にも兄がいたから分かるわ、この家で母似で生まれてきた男の子は一生ツラい想いをして最後まで報われないまま死んでしまうってこと」

 言葉でしっかりと包み込み、手をそのまま引っ張って勇人を引き寄せてしっかりと抱き締める。

「どうか四年後、鈴香を魔女の手から守り切った後あなたが幸せになれますように」

 本心の温もりは、何処までもぬるくて優しく沁み入って、勇人の切り詰められた心を癒していた。

 そうしたことがあって、毎日学食で毎日楽しみの無い日々を歩んできていた。

 きっと今日もまた何もないまま、楽しみさえ感じられずに怜との会話だけを心の支えにした栄養補給の時間を過ごすことだろう。


 心の支えすら必要としない人生、それはいつ訪れることだろうか。


 何もかもが遠ざかっていくようで、苦しみの情のシミに支配されてしまいそうだった。心は皺とシミに塗れた勇人だったものの、それでも構わないと受け入れる心を持つ一方で何処かそれを受け入れきれていない自分が居座っていた。

 そうして虚無という概念で舗装された人生の道筋の中に、その出会いはあった。歩き続ける闇の中にひとつの輝きがあった。

 きょろきょろと辺りを見渡しながら困った顔をする少女。栗色の髪としっかりと膨らんだ柔らかな胸と一方で小さくまとまった尻が可愛らしくて、不思議と可愛らしさの塊という印象を抱いていた。

 その少女はこの学校の制服とは異なる柔らかなポロシャツを身に着けていた。

 少女は茶色の大きな瞳で勇人の姿を収めると共に訊ねた。

「すみません、私迷っちゃったんですよ、食堂まで案内してもらえませんか」

 そこから続けられた話によればこの学校とは異なる制服を着た少女は学校単位で行われている高校見学にてここまで来たのだという。

「ってことは中学生か」

「怜、子どもって言っても俺たちとふたつしか変わりない」

 そうした会話を聞いて少女は口元に手を当てて控えめに笑ってみせた。

「案内、いいですよ。俺たちもちょうど食堂まで向かってたところなんで」

 少女は目を輝かせて、続けて目いっぱいの笑顔を向けて。

「ありがとうございます」

「敬語じゃなくていいよ、ええと、名前は」

「私は小城 洋子。食べることが大好きなの。でも甘いモノは急にムリになってきたけど、ある日から突然」

 勇人は目を端に逸らし、違和感をつかみ取っていた。甘いモノが食べられないのは気分や成長の末ではないだろうか。そのはずだ、 そう心に刻んで繰り返してはみたものの、突然すぎる味覚の変化に自身の変化を重ねて寒気を感じ取る。

 違和感は頭の中で妙な静電気を蔓延らせるものの、どうにか抑えて自己を紹介することとした。

「俺は若葉 勇人。好きなことは……」

 続きが何ひとつ出て来なかった。様々な感覚が鈍って行く恐怖とこれまでの楽しみを奪われることによって増え続ける虚無。もはや何を愉しむにも自身には余裕が残されていなかった。

 そこに怜が言葉を覆いかぶせて会話を一気に塗り替えてうやむやにした。

「俺、日之影 怜。好きなもの、というか人は子どもと子どもみたいな顔した人、あと声も子どもっぽかったら完全に大好きだぜ」

「最初以外全部俺じゃん」

 怜による誤魔化しはしっかりと会話に味付けが出来たのだろうか。洋子は思わず静かな笑みをこぼして顔を明るみに染めていた。

「本当にそう。勇人くんは子どもみたいでかわいいよね」

 先輩としての貫禄など初めから持っていなかった、先輩としての存在感などとうの昔に失われてしまっていた。

 洋子をふたりで案内して、食堂でも洋子を挟むように守り抜くように歩き続けていた。

「お嬢さんを護るふたりのナイト、なんつって」

 中学生の可愛らしい女子を高校生ふたりで挟むという構図は周りの目からすればどのように映っただろう。普通の知り合いや先輩後輩の関係に見えただろうか、否、いじめのようにしか見えなかった。主に怜の切れ長の目が、カッコよさの象徴が裏目に出ていた。

 そうした周囲の目を否定するように洋子は明るい笑顔で会話を出迎えて弾んだ気分を乗せた声で会話を繋ぐ。

 こうした時間に、勇人は久方ぶりの特別を感じていた。

 やがて無機質な白い壁に垂直な仕切りを目にして、勇人は立ち止まる。

「俺がふたりを導く」

 怜は乗り気だった。気に入ったふたりをエスコートするイケた男となってしっかりと立って。

 そうしていつもと異なるメンバーでテーブルを囲んで行われた食事の中にて挟まれる会話は味のない食べ物に味を与えてくれる。感情は、人との新たな関わりは、空気から香りを見失ってしまった勇人に新しい香りをつけてくれる。見えるはずの色を取り損ねてはその瞳には色を見る余裕がないのだと感じていたものの、この景色は乾いた瞳に潤いを、荒んだ体に新しい色を染み込ませて見せてくれる。

 勇人にとって洋子の笑顔は希望そのものだった。

 食事を終えた後、流れるように洋子の言葉にて勇人の連絡先と住所を引き出されてしまったものの、全くもって後悔はなかった。

「私、来年から絶対にここに通うから」

 そう語る、高校見学にて偏差値などそう高くもないこの学校を選ぶ時点で初めから成績が秀でているわけではないことは断定出来た。そんな平凡な学校に絶対に通うとわざわざ宣言するということ。それはきっと勇人と怜のふたりと過ごすこの時間からの影響を少なからず受けているのだろう。

 食事を終えてふたりは洋子を中学生たちの集合場所に、先生が待っているはずの教室へと案内して手を振りながら自室へと戻って行く。

 教室へと戻る途中に鳴り響く電子音、しかしながらそれを特に気にすることもなく進み続ける。進んで、階段を上り気分は昇り、ふたりで先程の美女の話をしながら足を進めてやがて教室の前へとたどり着いた。ドアを開いたそこにて待ち受ける光景に勇人は目を見開いた。

 教師が立っていて周囲は静か。チョークを片手に語りながら黒板に文字を刻み込むように書いている姿を見て背筋に寒気が走らないはずがなかった。

 つまるところ、遅刻というものであった。

「待ってくれ、俺たちは迷ってた中学生をしっかり送り届けたんだ、なあ勇人」

「先生すみませんでした、ただこれは本当です」

 善行を先行させても時を超えることなど出来はしない。教師は遅刻を優しい口調で咎めつつも軽く頭を小突くだけで済ませてそのまま席へと座らせる。

「それだけ? そんなに怒られないなら俺たちも中学生案内して遅刻しようぜ」

 そんなヤジを飛ばす男にいつも通りの怒声を飛ばした後、再び声を切り替えて授業は進められる。

 ちょっとした時間の無駄遣いが授業に大きく影響してしまうもの。故に教師の空気は異様に張り詰めていた。

 先ほどよりも固く鋭く尖った声を素早く操って、授業を手早く進めて、人々によって形作られた遅れをしっかりと取り戻してみせた。

 そうして急ぎを運び込まれて進んで行った授業を初めとして、他の授業は普通に進むためにどうしても進みが、時の流れが遅く感じられた。

 全ての授業が幕を閉じたそこでようやくふたりの男の歩む予定への道筋が解法された。歩むべき希望に続く道が開放された。

 怜の言葉によれば真昼という人物は五十代、しかしながら美人だった頃の面影がしっかりと残されているが為についつい目を向けてしまう、その顔に惹き付けられてしまうのだという。

「既婚者の成れの果ての幸せルートみたいなものだなありゃ」

「それは羨ましい。俺もそういう人生歩みたかったな」

 歩き続けていつまでも変わりのない道を横目に勇人は首を傾げた。

「なんでそんな真昼さんなんて歳が全然違う知り合いがいるんだよ」

 待ってました、言われなくてもそんな言葉が染み出た笑顔がこんにちはと告げていた。

「いいか、真昼さんはこの辺の魔法使いたちの間では有名なんだ」

 それを聞いても実感が湧かなかった。魔法使い自体親と悪しき教師を除いては殆ど同じくらいの歳の人としか関わっていないのだから。

 やがてたどり着いたのはほどほどの広さに留められてまとまった家。白と紺色が主役のそこは傍目に見ても一目見ても凝視しても、ごくごく普通の家にしか映らなかった。

 怜の指が呼び鈴を幾度となく押し続ける。

――小学生かよ

 久々に慌ての感情が鳥肌となって内側を駆け巡っていた。教師に怒られて数時間後、またしても怒られる。それは勘弁だった。

 肩をこわばらせて身を竦める勇人の意思とは関係なしにドアはしっかりと開かれた。

 そこから顔を覗かせた女は大きくありつつも鋭さを持つ目で怜の姿を捉えて微笑んだ。

「やっぱり怜なんだ。そうかなとは思ってたけどさ」

 いつも連打しやがって、そう繋いだ言葉に怜が更に言葉を結び付けた。

「分かりやすくていいだろ、敵じゃねえってアピールだ」

「迷惑、もう入れてやらない」

 そう言いつつも真昼は礼も知らない客人をしっかりと上げて。

 勇人はそこで目にした男の姿に素っ頓狂な声を上げた。

「えっ、もしかして満明さん」

「よお、若者。また似てもないドッペルゲンガーにでも追いかけ回されたのか」

 挙げられた右腕には相変わらず包帯が巻かれていた。シワの刻まれた顔に宿る鈍色の眼はあまりにも記憶に強く残っていた。

「怜、聞いてくれよ。この可愛い顔した男の並行世界での顔凄かったんだぜ。怜や俺よりも目つき悪くて人相最悪だったからな」

「ぜってー仲良くなれねえな、可愛くない勇人は勇人じゃねえし」

 子ども顔、男の子とも女の子ともつかない、とはいえ中性的という言葉を当てはめるにも違和感のある顔の方が邪悪の権化の如き人相よりも関わりやすいのは明白だった。

 そうして笑う男たちの声を留めて真昼は疑問を放り込んでいた。

「それは良かった、で、何の用か話してくれないかしら」

 ついに門外不出の若葉家の魔法の在り方が暴かれる、勇人は真昼という女性と向き合い、その目に捕らえられて離すことが出来ないでいた。

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