第四幕 魔女の本音 お菓子の誘惑
第20話 また噂
うわさ話、それは時として学校の外の出来事であれども無遠慮に足を踏み入れ広まるのだということ、その内容はまさに地域で繰り広げられる話だという。
「最近この辺でよく死者出るよね」
「ああ、もしかしたら最近夜中に見かけるって言うドレス姿の少女、そいつが犯人かも知れないよ」
あの厳しい冬は何処へと消えたのだろう。勇人には訪れなかった気候、凍える寒さ。それでも勇人にとってあの冬は最も厳しいものだった。肌は寒さを感じられなかったものの、悪寒は幾たびも感じさせられた。幽霊船から始まり菜穂の刀の扱いを目にして向かい合い、更にはドッペルゲンガーを名乗る並行世界の自分と存在の奪い合い。
勇人の中ではどこまでも容易く断言できた、空気よりも軽く納得を吸い込むことに抵抗感など何ひとつなかった。間違いなくこれまでで最も厳しい冬だった。首筋を襲ってくる刃の如き鋭い寒さだった。
戦いによって獲得する冷え切った雰囲気。感覚を失うことで沈み込んで虚無を感じ始めた心。勇人はいつでもいつまでも冬を引き摺り乗り越えられない。越冬は山よりも高い厳しさを持っていて勇人の心を冷たい手で引っ張り続けていた。
個人の想いなど、ひとりのことなどに執着することなく時間は次の季節に目を移していった。そうして訪れた五月。世間に住まう人々は温かな服から薄くて動きやすそうなものへと身を包む衣を変えていた。
温度を感じられなくなった勇人は思う。元々あった感覚が人類の亜点への進化によって失われる。それはつまりかつてあった感覚は必要ないのだということではないだろうか。
勇人は自身がヒトの身から遠ざかっているのだと実感して、目的に近付いているのだと感じていた。鈴香を守るための準備が出来つつあるのだと目だけが夏のような熱に揺れていた。
そんな勇人の顔を見て何を感じ取ったのだろう。机を挟んで向こう側、すぐ目の前に怜が立ちはだかった。
「勇人はさ、最近色々失くしてるんだろ」
「なくしてるって」
誤魔化そうと浮かべた薄っぺらな笑みは親友の視点を逸らすにはあまりにも曖昧な存在、表現としては三流以下でしかなかった。
「大丈夫、分かってるんだ。勇人はさ、何食べても美味しいって言わなくなったし、帰り道に通る家から匂う魚の煮つけのしょうゆっぽい匂いにも反応しなくなった。昔はそれだけで顔を傾けて誘惑に微笑んでたのにな」
感覚の喪失、もともと持っていたものの消失は外側から見れば確実に人柄を変えて行って、自分自身を焦点ときた全ての興味から手を引いているように見えた。そこに宿る心の色は本当に色付いているものなのだろうか。怜の目には勇人が心の色をも失っているように映っていた。
「もう無理に戦う必要なんてねえから、頼む、一緒に勇人の感覚を取り戻す方法を探そう」
怜の提案は心からそのまま飛び出してきたものなのだろう。しかしそれが勇人に響いて行くものだとは限らない。勇人は表情のひとつも変えることなくただ自身の目標を口にするのみだった。
「悪いけど俺は戦いから離れられないよ。鈴香を守るためにもっと強くならなきゃいけないから」
そうした発言は確実に勇人の変化を示していた。もはや自身のことなど見捨てていた。彼は生を味わうことなどとうの昔にやめてしまっていた。
「そうか、なあ勇人、もしよかったらこの前のドッペルゲンガーを回収してた真昼さんと満明のとこ行かないか。強力な協力が得られるはずだぜ」
響かない、言葉が心に響かない。勇人は確実に感覚の喪失が人生から色を落として白黒の世界へと案内している様が、無のセカイへと手招きしている様が目に見えた。
それ程までに勇人の身体は、心は。その人生は感覚に頼り切りだったのだと思い知らされた。
うわさは更に流れている、人々の心を惹き付ける確かか不確かかそれすらつかせない話たち。
「最近あのふたりの厨二病の片方さ、昔と比べて興味薄くなってるよな」
「だよな、やっぱそう思うか、実は人殺してるから余裕がないんですー、かもよ」
怒りが湧くこともなければ悲しむことでもない。勇人はもはやそれを情報だとしか思えなくなっていた。世界が色あせて、全てから色が失われ始めていた。
勇人の心は息絶えようとし始めていた。
そんな彼の様子を怜は見逃すこともなくしっかりと目を心を通して見つめていた。
「そうだな、やっぱり真昼さんに色々話した方がいい。感覚がなくなって人と違うってことは普通の人なら耐えられない毒とか撒かれても気づかねえってこと。魔女ならフツーに家に突撃してやってくることだし、勇人は無事でも妹は死ぬぞ」
まさに人類の亜点に到達したモノ。行動に躊躇など要らない。人を想うことなどやめてしまった輩も多いのだという。
怜の説明を耳にしてハッとした。鈴香を守るために強くなりすぎると却って鈴香が耐えられない環境を視ることが出来なくなるということ、それに他ならなかった。
意識が自身のセカイの外を向いたその隙を塗って進むように愉快の言葉がよく似合うような声の響きが聞こえてきた。ひとりふたり三人。数えようにも特定できない声の数々を聞き逃すことなく、怜の耳はしっかりと捉えていた。
「ほら、中学生が学校見学に来たぞ。可愛い子いるかな」
「全く、怜。子どもと言っても俺たちと殆ど歳変わりないだろ」
言葉の端に優しさが滲んでいた。鈴香もいつの日かこうして見学する日が来るのだろうか、そうした普通の日々を鈴香から奪わせないようしっかりと守り戦い抜いて見せなければ。
そう思いつつも暗く真剣な想いだけでない。勇人の貌は優しく明るい微笑みに照らされていた。
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