第19話 夜空の真昼

 恐ろしく暗い空、空の星々以外の全てを食らい飲み込んでしまいそうな暗黒は世の中に不安と安眠への誘いをもたらす。

 人々の手が加えられたアスファルトとコンクリートの大地には鉄とガラスの森林が広がっていて、そこから透けて零れる明るい六等星たちが輝き闇を遠ざけていた。

「戦いは終わりだ。並行世界ドッペルゲンガー。お前だけ絶望的に似てなかったぞ」

 満明の声は闇にも沈まない。喧騒の光こそが鎮めてくれるような鉄の色。落ち着いた声と言葉を聞き留めて、勇人は大切な人のことを思いつつ、乾いた笑い声を添えて会話の橋を架けた。

「あの顔に似てたら鈴香怖がるだろうな。俺もそうだけど結構怖がりなんだよ」

 満明の目は細められて勇人の言葉のひとつひとつを受け止め今日という短い時間で受けた印象と重ね合わせて心象の間違い探しを行ない訊ねた。

「臆病だった、お前のイメージはそうなのか。昔はそうだったのか」

 勇人はきょとんとした顔を見せて声もなく答える。勇人がそこまで勇敢に見えたものだろうか、名に似つかわしくない心をした少年はもういないのだろうか。

「あとお前、歩き方おかしいぞ」

 勇人は言の葉のさざめきを聞いてようやく気が付いた。内股気味の歩き方をしているということを。昔クラスメイトに揶揄われて以来意識して男らしく歩こうとしていた努力が全て闇の中に、虚無の焔で燃やし尽くされてしまっているということを。

 感覚が薄れて行く毎に本来の自分の身体の本質から心までもがむき出しになって行って。その様を自覚してしまった途端に恥ずかしさの蒸気と本来の自分という恥の姿への愛しさと憎しみの混じった不安定な旋律が心を包んで行って。勇人はあまりにも苦しくて仕方がなかった。

 そんな想いは彼には見えていないのだろう。歳相応のしわが刻まれた顔に鋭い笑みを着せて歪め、鈍色の視線が勇人を掴み、何かを視ていた。どこを見ているのだろう、どう見ているのだろう。その答えはすぐさま満明本人の口から語られた。

「人類亜点一種、魔女に似ているな。魔力の流れが。勇人、魔法界隈での苗字は」

「魔法での? 知らないけど俺は若葉 勇人って言います」

「ああ……若葉家か」

 そこから加えられた言葉は満明の持つ知識。満明の手によって勇人の頭にも知識が書き込まれて行く。

「若葉家は代々男が〈分散〉を扱うんだ。妹が男の後ろに立って魔力を送って。外の、自然や魂の魔力を軽々と指で扱う。まるで魔女のようだな」

 勇人はこの戦いの開始地点をその目で再び見ていた。その瞳が見ているものは闇に覆われた単純な景色などではなくて追憶。

「魔女になる薬」

 こぼした言葉、伝えるべきでない事実を言葉にしてしまった口を慌ててその手で覆い塞いで全てを仕舞おうとしていた。

 しかしながら失言の端を聞き落としてしまうほど満明の経験は浅くはなかった。

「そうか、それか。何故女に任せないのか謎だったが、そういうことか。手っ取り早く魔法使いを育てていたんだな、薬の力で」

 言ってはならない。女の方には魔力だけがあって才能は欠片ほどにも引き継がれはしないのだということだけは。

 弱みはさらけ出してしまえば飲み込まれてしまう。特にこの男のような人物ならば用心は最大まで引き上げておかなければならない。魔法のセカイに携わる年月が仲間の存在を、未だ知らぬ人物たちの影を掃除屋を名乗る男の背後に見ていた。

「いかに周囲の魔力とか他人の魔力とか言ったところで多少は自分の魔力も所有者の印、支配の楔程度には使うからな。その分が繋がってる女の方に流れてしまったんだろうな」

 そこから語られる言葉は勇人の運命を、これまでの人生で述べられた数々のことを必然だと叫び散らすようで聞くだけで心に鞭を打たれる感覚に陥っていた。

「魔女由来の遺伝子の変質が魔力の混入によって女の方にも影響してしまったのだろうよ。それで生まれ落ちる子は男とも女ともつかない子どもの顔と声、男の骨格も女みたいになっちまって代々そっちの遺伝が強く出やすい、そういうことだ」

 推測をただ述べ連ねる。それだけで満足したのだろうか。鈍色の視線は仄かに淡く柔らかに霞んでいた。やがて地に伏している異界の勇人を足で軽く小突いて盛大な笑い声を上げた。

「つまりコイツは例外ってことだ……おや、ひとり野宿が増えてんな」

 そう語り、地に伏したもうひとりを勇人のついでと言った様子で拾い上げる。勇人は目を見開いた。それはあまりにも見慣れた人物。まごうことなき友人の姿を持っていたのだから。

「怜、なんで」

「安心しろ、こっちはニセモノだ。若者の経験じゃわかんねえかも知れねえが、魔力の質が根本から少しズレてんだ」

 それを見抜くのは歴戦の業なのだろうか。見分ける感覚もその道のりも勇人には想像が付かないでいた。

 そんな勇人だったものの、ふと気が付いた。明らかに見落としていた大切なことがひとつ、勇人の口から飛び出した。

「あの子どもは」

 満明はふたりの男を担いで背を向けて教えてみせた。

「心配するな。さっきまでなかったドッペルを持ってきた俺の妻がどうとでもするだろうよ」

 既婚者だということが言葉に染みていた。勇人が手にした印象としては目の前の男と結婚というものがどうしても結びつかないということ。つまり意外性は心に驚愕の情を産み落としていた。

「若者は自分の夢だけ追ってりゃいいんだ。現実は、大人が幾らでも見てくれるし出来る限り支えになってやれる」

 そうした言葉だけを残し、闇の中へと飲み込まれるように消えて行った。



  ☆



 互いの顔すら見えない中でも魔法の気配だけははっきりと見えた。この世界の中では魔力の色合いこそが顔の代わりで魔法そのものが手足の代わり。スタイルの良さは力の種類に量、化粧に本人の魔法の使い方。

 まさに全てが現実と変わりがない。見栄えがそれ程までに大切な世界だった。

「醜い魔法は自分を痛めるものかしら、満明の右腕みたいに」

 過去に悪魔の〈分散〉に失敗して右腕が見ることすらためらわれるような嫌悪感の塊の悪魔に侵食された満明。魔法のセカイでは醜いことなど分かっていてもそれでもなお結婚することにした。

「もう遠い日のことね」

 これから真昼の戦いが始まる。幼子はただ真昼を見つめ訊ねた。

「あなたからかかってきたら? 私戦闘向けの魔法持ってないんだよね」

 あくまでも時と空間を司る。宇宙を思わせる存在。その可愛らしい顔に収まる小宇宙の発現。彼女の発言は間違いなくて本人はあまり攻撃が得意ではない。それこそが〈神〉の髄。

 そんな言葉にも構わず真昼は手帳を取り出した。

「どうせ躱すことで自信がとかそんな事なのでしょう、分かってるわ、簡単な話だと思わないかしら。いつでも逃げれるくせに」

 そう、いつでも並行世界に移ることが出来る。あくまでもこの世界に映り声を奏で存在の香りをまき散らしているに過ぎない。

「バレたか。だってキミはさ、何処の世界線にまで逃げても追ってきそうじゃん」

 見抜かれると共に見抜いていた。情報など無くても分かるといった様。まるで本人のようで薄気味悪さを極め尽くしていた。

「生意気な子どもね、その言動といい絶対見た目の三倍以上でしょ。いいかしら。本当にそれを見抜いてるのなら」

 真昼は手帳を開き、ページをめくる。その中に綴られたものは様々な幾何学模様と文字の組み合わせによって創り上げられた真昼の世。魔法陣を引くことで文字たちを、詠唱の異邦文字訳を書き留めた手帳。

「私、詠唱は何週間も前に終わらせる派なの」

 そう告げられた。本来強大な魔法を放つためには必要不可欠な言葉を交えた魔力の練り固め。そうしたものの代わりに真昼は言葉を選ぶ。

「制限してあげるわ。あなたの能よ凍てつけ、時の魔法よ、凍り付け」

 手帳に書き留められた魔法は、解き放たれた。手のひらに収まる世界に閉じ込められたそれは薄い水色の輝きをみせながら、闇に透き通る色の弱々しさで、確実な強さを訴えていた。

 輝きの後に視えるものなど何もなく、闇と静寂が返って来た時には真昼の魔法が既に行使された後なのだと、自身に付けられた見えない跡を時の操作の失敗によって確認する。

「遅い」

 いつの間の話だろうか。真昼は二振りの剣を手にして〈神〉に肉薄していた。口の端に手帳を咥えた豊満な胸をした女の姿がその目に大きく映っていた。

 剣を振るい、小さな身体を容赦なく分断しようとするもののそれは叶わない。〈神〉にはこれ以上近付くことが出来ない。世界の法則が許してくれない。

「ふふ、どうして空間を抑えなかったのか」

「過去からの追撃が恐ろしかったのでね」

 それを耳にするや否や〈神〉は隔てられた空間越しに指を振りながらニヤけを浮かべる。

「違う違う、どうして両方奪わなかったのかなって」

「受けた本人が分かってるでしょうが!」

 片方しか抑えきれない。この大業にはそうした制限が設けられていた。幾つもの大きな魔法を封じ込めることなど真昼の頭が許さない。こうしている内にも使用している魔法に、自らの力に脳を潰されてしまいそうだった。

 詠唱が必要な規模の魔法をいくつも同時展開することなど人類の脳では、生物の能では決して達成できないことだった。

「ふうん、これが真昼さんとやらの全力かあ。仲間がいっぱいいるんだよね。そりゃあ危険だねえ」

 危険そのもの。それは理解していた。ひとりでは勝てなくても同じ程度の実力を持つ者が何人もいるのだとすればあまりにも危うい。それを全員抑えきれない時点で〈神〉を名乗って良いものだろうか。思考に陰が過ぎっていた。

「まあいいや、私はまた別の世界に行くよ。新しい父親似のイケメン勇人を迎えに行かなきゃ」

 そう告げて、身体は存在は、この世界から消え失せた。

 真昼の肩から力は抜け落ちて、剣は消え去った。

「男の好みまで……何もかも私そっくり」

 男どころか女まで、真昼は全てを射貫くような目つきの鋭さを持つ人物が好きだった。過去に置いて行かれて今を共に歩むことの出来ない最愛の少女。手を繋ぐことが出来なくなって四十年近くは経っただろうか。敵の魔法使いの組織に潜入して殺されてしまった彼氏、姿すら見ることが出来なくなって三十年以上は過ぎ去ってしまっただろう。遺影のひとつたりとも残されることなく抹消されていた。

 ふたりとも目つきの鋭い人物だった。そして夫に迎えて未だ共に魔法の界隈で戦い続けている彼もまた、鋭い鈍色の瞳が真昼の心を撃ち抜いていた。

 結局のところ、真昼の好みはいつまでも一貫していて相手がいなくなってしまっても尚、また同じような人物を好み付き合う。性懲りもなく愛する相手を切り替える。

 氷のような冷たい心、そう思われても仕方のないことだと冷え切った夜に相応しいまでに冷え込んだ目で今を見ていた。

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