第16話 家探し
学校、それは未熟な人々に知識や将来への道筋を授ける場所であり、同時に人と人の関わり方を学ぶ場所。日差しが強く、様々なことが隠しきれないままに暴かれゆく様はまさに人との関わり方から湧いて出て来た事。在ること在らざること、有るもの有らざるもの、在ることに非ざるもの。
人々があったのだと思い込んでいること。
「よお、怜珍しく昨日はひとりで歩いてたよな、どこ行ってたんだ」
冗談めかして語りかけて来る生徒、彼は怜と勇人が日頃から厨二病と呼ばれるようなそうだと思わされるような発言を度々繰り返し自分の世界に旅立っているのだと勘違いしていた。
事実は、この世の影の中で陰の世界の隅の端の更に表層の中で繰り広げられる現実。
怜は顎に手を当てて昨日のことを思い出しながら訊ね返す。
「なんだ、もしかして帰り道の途中だったか」
怜に思い当たることなど何ひとつなくて、首の中ほど、肩には付かない程度に伸ばされた後ろ髪を揺らし、右に少しだけ偏った前髪を掬い払い応えの声を待っていた。
きっと帰りの姿を目撃して揶揄っているのだろう。そんな怜の想像を裏切り答えられたた場所、怜の姿が生徒の目に入った場所に大いなる違和感を見ざるを得なかった。違和感という気持ちの悪い感情に侵略されていた。
「そこだよそこ、近くの商店街。行ってただろ」
記憶を、自身の辿った道を思い返してはみたものの立ち寄った覚えなど一切なくて。
「人違いじゃねえのか、俺はよく髪形変えるからな」
「いや、その目絶対怜だった。つうかよくも無視してくれたな」
覚えのない恨みを買うという現状に怜は自然とため息をついてしまっていた。出来ることならば返品して差し上げたい、そんな気持ちに充たされ感情の噴水となって胸の中いっぱいに粘り気のある想いの突っ張りが出来上がっていたものの、きっと向けられた感情の返品など今は不可能だろう。
黙り込み切れ長の瞳を細めて同級生を睨みつける怜の姿を見てか、ひとりの同級生が駆け付けて昨日の罪は無のものだと説明を始めた。
「怜と俺一緒に帰ったからそれはないよ。そもそも商店街って怜が行く場所じゃないし」
「当然だ」
怜の頷きは繰り返され、その姿は赤べこのようにも見えた。出された助け舟を一緒に漕いで同調する姿は生徒に納得を強いていた。真実を全力で叩きつけていた。
そうして彼の見間違いという結論を出して責め立てる姿勢を捻じ曲げ折ってみせた後、勇人は怜と向き合い訊ねる。幼さを感じさせる目に宿る疑問は怜の瞳を通して伝えられた。
「なにか気になることでもあるか。俺は気になることしかねえな」
怜の言う通り、同じ形の気持ちを多少なりとも抱いてなぞるのみ。
「見間違いじゃなかったらそれこそ問題だね」
勇人は記憶を探ってみた。有名な都市伝説のひとつに存在する怪異、ドッペルゲンガー。身近な人物の視界に映り込んではうわさとなる、そんな存在。見てはいるにもかかわらず誰も話すことはなく、無言であるのだと伝えられている。
まさに、勇人がこれまでの闘いで向き合ってきたうわさ話と同じ匂いを漂わせるモノだった。
「ドッペルゲンガーだな。確か俺自身が出会ったら殺されちまうんだったな」
オカルトに対する知識を多大に持ち合わせているわけでもない、そんな怜だったもののそれでも話程度に聞いたことはあったようだった。
「俺らには魔法がある。オマケにひとりじゃねえから負けることはないだろうけどな」
しかし勇人の中にひとつの疑問が浮かんでいた。もしもドッペルゲンガーが魔法を扱うことが出来たらどちらが強いだろうか。もしもドッペルゲンガーのうわさがこの件の始まりに過ぎないとしたら、ふたり三人と様々なドッペルゲンガーが現れたとしたら。菜穂のように強力な人物が向こうの怜に手を貸していたとしたら。名前の無い在籍者のように得体のしれない人物が全力で襲いかかってきたとしたら。
懸念と不安、青ざめた感情は尽きることなく流れ続ける。
ふと勇人はかつて触れた様々な並行世界のことを思い出していた。自分自身がそれぞれに別の心情、別の行動で綴った運命。その住民がここに来ていたとしたら。
――別世界からの移動……まさかそんなことあるわけ
言葉に変えることなくただそっと仕舞っておくことにした。
☆
この世界に住まう若葉 勇人の幼い顔立ちを知る者からすればどれだけ力説されたところで別世界の勇人だと信じることなど出来ないだろう。父親似の凶暴な顔を歪めて勇人は過去からの追撃を殺し続けていた。
妹の鈴鹿。彼女を魔女と言う存在から守るために戦え、世界の破滅を止めるために戦え、命のひとつが失われたところで何も変わらないからせめて世のために戦って散れ。
祖父の言葉による存在否定、周囲から避けられる顔、勇人に声を掛けられる度に化け物を見るような目を向けて怯える臆病な妹。
味方などあの世の何処にもなかった。もしかするとこの世の何処にもないのかも知れない。
自身の家を探してはみたものの、そこに在るはずの場所にあったのは別の一軒家。開いた窓から届いて来た単純ながらにカッコよく、耳に記憶に心によく残る音楽を聴き届けて立ち去って。
更に別の過去を思い出した。
向こうの世界の終焉、それは自身が戦うことを拒んだ罪の清算だったのだろうか。凄惨たる光景が生産される様子をただ眺めていることしか出来なかった。
蒼黒い水は世の中の底のようでまさに世に終わりをもたらすモノとして相応しい物質だった。
世の終焉が間近に迫ったその時、勇人は〈神〉と名乗る幼子の手によって生き抜き方と戦い方を脳の髄にまで叩き込まれた。
蒼黒い水を、破滅が遣わせた始まりの象徴の姿を持った終わりを手に掛けて世界の闇を〈分散〉するチカラ。人類亜点一種の魔女と呼ばれし人物よりも上の人類亜点二種たる存在、天使。世界の闇を世界の全てから世界の中へと〈分散〉して均衡を崩して破滅を呼び起こす。闇の中では真の姿を現すことの出来ない天使の望むことは真の姿を持って天界よりも下の地界で普通に過ごすこと。
つまり、天使に適した環境を創り上げたいが為に人類にとっての世界を破滅へと導いた結果があの世界だった。
「天使は闇の中本当の姿では生きて行けないからね」
〈神〉の現実離れした現実を幻想だと振り払うことは簡単だったものの、現状を見て受け入れる方が賢明だと勇人は判断した。
「で、どこからでも気色悪い水の入った試験管を出せるようにしたってことか」
「そう、私の時と空間を操る能力でね」
勇人はひとつ、疑問をぶつけてみた。
「結局てめえは何者だ。魔女か天使か人か」
天使の微笑みのようにも見える無邪気な貌で〈神〉は幼い声を風になびかせた。
「私? 人類亜点一種と二種の間。人も魔女も天使も全て持ち合わせて地界に適応できた一柱の〈神〉だよ」
そう語る幼子は歳不相応に見える妖しい笑みを浮かべて空間を開いて人々を吸い込み始めた。
家の場所が異なる。それは困ったことだった。もしも家を見つけることが出来なかったならば、野宿を考えなければならないかもしれない。それだけは勘弁してほしい。それが本音だった。
重い脚を引き摺りながら進む。泥の中を歩くようなそんな不快な心地に纏わりつかれて。あまりにも重たい足取りは疲れ故のものだろうか。誰にも頼るつもりの無かった勇人だったものの流石に耐えかねてその名を呼んだ。
「おい〈神〉よこっち来いよ。どうせ全部見てるんだろ。大層な名をかたって痛々しい奴め」
愚痴や嘆きにも似た言葉はきっとすぐさま神を名乗る幼子の耳に入ったものだろう。どこから現れたのだろう。どこに身を隠していたのだろう。いつのまにやらその場に現れた〈神〉はそのあどけない顔を覗かせ訊ねる。
「何かお困りかな」
とぼけた様子は勇人に怒りを与えることしか出来なかった。一色の感情に染め上げられた頭では乱暴な言葉しか出て来なかった。
「疲れた眠い、ただ俺の家がねえんだ。場所が違うんだ、早く教えろよこのガキ」
「破滅した世界から連れ出してあげたのにその口調、とっても残念だね」
そう、まさにその通り、本来そこで終わるはずの世界から連れ出してくれた。本来紡ぐことの出来ないはずの続きを与えてくれた恩人であることは間違いなかった。
「すまねえ、ただ野宿だと俺死ぬぞ。金もないからどこに泊まるとかそんな話も出来ないしな」
折角続きを見せてもらったところですぐに途切れてしまうのはあまりにも意味の無い結末だと鋭い瞳で語っていた。
その感情の揺らぎを〈神〉が見ていないはずがなかった。
「そうだね、私が見てきた並行世界の話だけど、何処でも家はさっきの場所で合ってた。ここは何かが違うんだよね」
いかに神の如き力を得たところでそれは全知全能からは程遠い。〈神〉は言葉をひねり出してみた。
「例えば、すずかちゃんを探して聞き出すか、此処の勇人をとっちめてみればいいと思うよ。多分何かわかると思うから」
「鈴鹿、あの馬鹿か」
別世界とは言えどもこれまで日常時では散々鈴鹿の文字を書き換えて馬鹿と呼んできたのろまに頼ることは癪に感じられたものの、今はそう言っていられる場合ではなかった。
勇人は過去からの責め立てに頭を突かれながら鈴鹿が通う小学校へと向かったものの、勇人は気が付いていなかった。『鈴香』はそこには居ないのだということ、通っている学校すら異なるのだということ。〈神〉はその可能性を既に目にしていた。
「もしかしたら学校も違うかも知れない。そしたらヒントも何もないわけだけど」
それは恐ろしい。深い霧の中に隠れてしまっているように思えてくる。
「じゃあどうしろって言うんだ」
〈神〉は微笑んで答えを下した。
「すずかちゃんの通う学校が分からないのなら、次は勇人の学校を探してみればいいと思うよ」
それはそう、正しさに溢れていた。しかしながらそれも正しいとは限らない。此処の勇人は違った学校に通っているのかも知れない。その可能性を危惧しつつも〈神〉とともに学校へと向かって行った。その途中の道、運命の分かれ道を選び進んでいるような錯覚んび包まれながら勇人は湧いてきた疑問をぶつけて会話を始めた。
「そう言えばお前は人々を並行世界に運んで何がしたいんだ」
「覚えてない」
〈神〉の答えはあまりにも単純で不完全な存在だと訴えていた。全知全能からはあまりにもかけ離れたモノ。それとも存在が人から離れることで人として生きた記憶さえ薄れてしまうのだろうか。
「そっか、ガキの頭じゃあやってることもその重要性も理解できないか」
〈神〉は勇人の背に乗っかって耳元で笑い混じりの言葉を吐き付ける。
「ガキだなんて笑わせてくれるよ。私、この姿になる前は大人だったみたいだ。ほとんど覚えてないけど」
「忘れてんじゃねえか、あとうるせえ」
「あと私女の子だからそこのとこ理解して言葉選んでね」
勇人にとって男だろうと女だろうと関係なかった。子どもは子ども。特に妹のことが嫌いだった勇人にとっては子どもという存在そのものに多少の抵抗感が生まれてきてしまう。
――いつから苦手になったんだったか
思い出す間もなくたどり着いた学校。その校門をくぐろうと行った時、〈神〉は一度大きく指を鳴らしてみせた。はじける音は空気をも裂いて広がる。それと共に勇人に説明を始めた。
「今の私たちは存在が在るのと無いの、そのふたつの間にいるんだよ。誰かに見つかって本人に見つかったり他の魔法使いに目をつけられたら堪ったものじゃないからね」
「……ありがとう」
幼い女の子を背負ったまま開かれたガラスのドアを、大きな建物の入り口を通り抜けて勇人は靴箱を確認し始める。まずは自分のクラスを。元の世界の自身の靴箱の位置はつい昨日のことのように思い出すことが出来た。記憶を手に取り眺めて目の前に映る景色が一致していることを確認して。
勇人は教室へと向かって駆け出した。
「いいね、ゴーゴー。もし倒せたら私が覚えてる限り元の姿に近付けて戻って結婚してあげるね、イケメンさん」
勇人は呆れ混じりにため息をついて幼子の頬をつつく。
「どこまで変わっても結局顔で見てんだな」
「世界の神話見比べてみなよ。みんな今どきの下手な人間なんかよりよっぽど人間味があるよ」
そうしてようやくたどり着いた。それでもまだ自宅のヒント、並行世界の自分を知った段階でしかないのだと悟りながらも大きく口を開けている教室の窓から様子を覗き込み始めた。
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