第三幕 平行世界より

第15話 ふたり

 それは何ひとつ変わりの無いはずの景色、しかし元々いた世界が変わり果ててしまったがために今ここにある景色は全くもって異なるものとなっていた。

「破滅の水とやらがない。ははっ、間違いなくここだ。生き抜くための、戦い抜くための場所」

 少年は戦いを望んでいた。その少年は過去を覗き込み、鼻で笑っていた。

「この並行世界が元居たところとどれだけ違うか分からないが、また鈴鹿を殺すところから始まりだろ」

 少年の隣には誰もいない。友だちなど誰ひとり作ったことはない。作って来たのは敵、ただそれだけだった。少年は地に咲いた花を踏みつぶし、その瞳に宿る凶暴性を揺らめかせていた。

「その前に『俺』を殺すか、並行世界の俺を」

 凶悪な顔を更に歪めて大地を見おろして見くだす。そう、背が高いとは言い難い山の上から見下ろしていた。かつて勇人が幽霊船を目撃したその山、その出来事を知る由もなく、同じ名を持つ者、並行世界よりの訪問者は思考を捨て去りかつてこの地を踏んでいた者と妹を、姿など見たことが無くても姿を知る者どもに鋭い視線を射て言葉に棘を込めて放った。

「どっちでもいい、見つけ次第殺すだけだ」

 凶悪な面をしたその少年、その目は勇人の父親にそっくりで、彼の名は若葉 勇人。父親似の世界の男ともうこの世には、何処の世にもいない字の異なる女によって構成された兄妹、ただそれだけの話だった。



  ☆



 冬は明ける気配もない、二学期がその幕を閉じたのはいつ頃の話だっただろう。それは十二月の話。

 あの日死者を蘇生させようとしていた計画が打ち壊された。その次の日のやり取りを勇人は思い返す。妹の鈴香や母親に似た子どものような顔、性別の判断を付かせなければ忠誠的という言葉を当てはめるような顔立ちでもない、子どものようだとしか言いようのないその顔その可愛らしい目に映す過去はあまりにも理解からかけ離れていた。理解をつかみ取るにはあまりにも情報が少なすぎた。

 それは寒さから、ヒトの感覚から切り離され隔てられて寂しさを感じ続けていた勇人が普通から半歩だけはみ出していることで仲間のような感覚を辛うじて与えてくれる友人を右隣に、左には明らかに普通から外れた名前すら持たない男を並べて立ち尽くしてしまう程に異様な光景だった。

 学校のグラウンド、朝の柔らかな空の下、心の安らぎを与えてくれる明るみの下でそれはあまりにもおぞましく、見ている人々の心に気分の低下を視せる光景が映されていた。

 ドブよりも深くて生きてきた時代不相応の年季をも感じさせる苔のような緑に染め上げられた身体に右目と口が重なり合っていて鼻はあるはずなのに無いというこの世の法則を超えた認識を与えて来る顔が胸の下から生えていて左腕が背中から生えていて右脚が右腕があるはずの位置から生えている異形のモノ、歩くことも叶わずただそこにいることしか出来ない、生物の造りとしても三次元の観点からしても支離滅裂という言葉が当てはまってしまうその存在。そんなものが一日の始まりのお出迎えをしているという巡り合わせに目も口も大きく開かれていた。感情の動きに任せた単純な反応を横目に名もない男は頭を抱えていた。

「おかしい、歩けないはずだ。私は持ち帰った、あの場所に置いて来たはずなのに」

 男の言葉をあるのかないのかヒトにはそれすら分かることの出来ない耳で聞き取ったのだろうか、異形と成り果てた菜穂は無感情に言葉を声にして情報を与えた。

「歩けないけど歩いて来た。独りは平気だけど寂しすぎて消えそうだったから。昨日は構ってくれてありがとう、昨夜はあなたのせいで寂しかった」

「ううん、滅茶苦茶だ」

 どうやら視える人物は限られているようで、一部の生徒が立ち止まる一方で大半の者はいつも通りの日々を何ひとつ変わらない貌で営んでいた。

 怜の目に映る菜穂の姿はどのようなものだっただろう。多少とは言えども関わって来た女の変化に何ひとつ感情を抱かないことなど許されなかった。

「支離滅裂の呪縛は終わってねえってことか。流石にかわいそうだ」

 勇人も同調して頷いた。これならばただ単に遠くへ行ってしまうだけの方が幾程も心の負担が軽い、いかに敵だったとしてもここまでの仕打ちは望んでいない、そう叫びたくてたまらなくて、心は今にも破裂してしまいそうで、抑えることだけで精いっぱいだった。

 異形を見つめる人々の中に勇人は顔見知りの姿を見た。同じクラスに在籍している少年の姿は過去も今も変わらず、かつてこの非日常に触れたとは思えないごくごく普通の雰囲気を纏っていた。

「亀裂から生えた手の件の少年も視えているみたいだ」

 勇人の視線に気が付いたのだろうか。名もなき者もまた、少年に目を向けていた。

 少年は、変わり果てた菜穂に視線を奪われながらその手を伸ばした。そこから流れるような感情の変化に流され巻き込まれ、その目に収まる茶色は揺れ、差し込む輝きさえ朧気に見えた。

「そうか、彼に任せることにしよう」

 男の言葉の意味を知ることもなく勇人と怜のふたりは教室へと足を進め始めた。

 うわさ話は流れて学校中が支離滅裂なバケモノの話題で盛り上がったものの、それから数日と待たずに話題は煙のように消え去ってしまった。


 その日以来、支離滅裂なバケモノの姿を見た者はいない。

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