第12話 菜穂の闇 怜の光
菜穂の手に、菜穂の足によって転がされて異形の群衆の中へと放り込まれてしまった。襲い掛かって来る異形たちは動きがのろのろとしているように感じられ、勇人はその手を素早く後ろへと引こうとするもののそれもまた遅くてあまりにももどかしかった。
――遅れるな、早く、一刻でも早く〈分散〉するんだ
遅すぎる、動きのひとつひとつが遅すぎて思考の加速によって置いてけぼりにされた身体はようやく手を後ろへと引いたところ、ゆっくりと稲妻が集まり始めたところだった。
――遅い、間に合え、せめて片面だけでも
想いは上手く通じたのだろうか、腕は突き出され稲妻は独特な音を立てながら空気を引き裂き始めた。
安全圏から舌打ちが聞こえたような気がしたものの今はそれに構っている暇はなかった。
稲妻がどう動いたのか確認する間もなく後ろへと振り返って再び腕を肩の後ろへと引いた。集う稲妻を想いのままに押し出すように撃ち出して。
空気を噛み締めながら進み続けるそれは異形を塵へと変え始めた。
「あれは、闇なのか」
異形、それは人の手によって創り上げられた人の失敗作。日を浴びることも叶わず人の力にも敵わず日の下にも適わない。創り上げた人物が閉じ込めいなかったことにしてしまった、そうした行為によって付随された闇など勇人には知る由もなかった。
人々の心の影響で闇にもなり得るのだということを、その恐ろしい事実を勇人の今の状況では知る由もなかった。
周囲の異形は消え去って、勇人は辺りを見回しながら進み続ける。どこに人のなりそこないが、心すら持つことを許されないまま本能で動く人物がいるのか分かり得ない。予知も魔法もなくても分かる未来が存在する一方で予知を行なう余地も魔法を通す隙間も与えてくれない未来、そのような物も大いに存在した。許されざる存在は猿の仲間とも思えない姿をしていた。どこか歪でまさに人の器として産み落とされたが為に足りないものがある、そう語っているよう。
「怜たちと再会すれば完璧かな」
そう言ってみせたものの、どの方向へと進めばたどり着くのかそれさえ分からない。時たま埃だまりのように待ち構えている異形を塵へと変えて辺りを汚しながら勇人は進み続けていた。
歩き続け足を踏み出して、やがてたどり着いたそこを目にして勇人は目を見開いた。階段へと続く道、階段の陰から伸びるその影は紛れもない菜穂の姿だった。
「なんで……戻って来たんだ」
待っていた環境から与えられた疑問、重ねられる疑問符。頭がはてなでいっぱいになり始めていた。
「いったいどういうことなんだろ」
菜穂は口を鋭く開きながら尖らせた声を、言の葉の刃を勇人に向けてみせた。
「あなたが無能だからたどり着けない、この程度の術に嵌るの」
「菜穂は何を知ってるんだ、もしよかったら」
その続きを言葉にすることなど叶わなかった。しかし知ることは叶っていた。菜穂の態度により叶えられていた。
刀を向けて、彼方をも見透かす瞳で、殺意の色で勇人を射貫いていた。
「外へいらっしゃい、私を倒すことが出来たら進むことできるから」
一体何をしたのだろう、勇人には分からなかった。今できることなどただひとつ。従うことただそれだけ。
ふたりがたどり着いた場所、それは学校のグラウンド、砂とサッカーのゴールネットによって構成された運動に最適な場所、そう、闘いという運動にも最適な広場だった。
「貴方には話してなかった能力があるわ。私が斬ることの出来る範囲」
「話してなかったも何も何ひとつ聞かされてないんだけどな」
その程度の言葉は視線ひとつで斬り裂かれてしまった。勇人の命は、菜穂の手のひらの上に収まってしまう程に貧弱、この言葉で収まる程度の存在という役割を与えられてしまっていた。
「私が斬ることの出来るものは何も実体や幽霊、縁を切るといったような古来より語られた迷信じみた行動だけじゃないの」
そこから更に言葉を加え、殺意を咥えていた。言葉の中から染み出る感情の苦みに勇人は思わず顔をしかめていた。
「私、『貴方が怜のとこにたどり着く』っていう結果を斬ってやったの」
仲間のふりをして組んだふりをして結局は敵として立ちはだかる。この展開は予想できていたものの、力業による悪しき業はあまりにも豪快で尊敬の念が湧いてきてしまうほどのものだった。
「正直貴方のことが嫌い。怜と一番仲良くするのは私がいいの、他の誰でもなくて私だけで。私だけが怜を愛して私だけが怜のことを知っていて私だけが怜の大切で」
「自分勝手だな、怜に嫌われるよ」
勇人の声には微かな怒気が織り交ぜられていて、本気の正気を正面から叩き付ける様を目にすることが出来た。
「いいえ、大丈夫、殺せば『勇人がこの世に存在してた事実』を斬るから、死人には口はないもの」
勇人は手を構える。死すれば鈴香を守ることが出来なくなってしまう、怜とともに歩む人生がなくなってしまう。ここで覚悟を決めて相手を消し去る。そう、心に誓っていた。重ねて誓いを捧げ続けた。幸い、菜穂の心の奥深くにまで闇が根付いていた。
――あれを〈分散〉すれば
想いを巡らせる中、校門から新たなる刺客が現れるのを端目に捉えた。それは勇人がよく関わる人物。名など無くても実感は持つことが出来なくとも、確かにそこに在籍する者。
男は一瞬だけ勇人にわざとらしく微笑みかけて校舎へと、迷うことなく怜が開け放っていた窓へとたどり着き、そのまま飲み込まれるように忍び込んで行った。
☆
名前さえない在籍者の彼が歩き目にした光景は穴の開いた壁だった。初めから通り道でしたよと言わんばかりの豪快な開きぶりについつい口を開いてしまう。
「誰の仕業だろうな、怜じゃなさそうだ」
魔力の痕跡、過去の道筋の色が異なった、この闇が纏わりつく感覚は怜や勇人のものとは程遠く、誰が行なったものか堂々とした態度で示していた。
「〈斬撃の巫女〉の気配。あれが〈分散〉される前に急がねばならないな」
名前の無い在籍者、彼の足は闇に消え入るような静けさで進められ続ける。一歩踏み出せば確実、二歩踏み出せばもっと確実。目的地へと堅実な進みを見せていいた。
家庭科室の中へと吸い込まれるように入って行く。床下収納の開かれた様を目にしてそっと近づいて行った。ドアを見つめ、入り込む。階段を、小刻みな段に足を乗せ、降りて下がって地下へ闇へ澱へ。
やがて灰色の目で捉えた異形の姿を何事もなく、まるで初めからそこにいないモノのように相手にもされないまま進んで行った。
「所詮はその程度、私の存在を認めることも出来ないなど」
進んだ先に響く声が開戦の合図を告げていた。
「課外授業の始まりってか」
続いて間もなく風が吹き荒れ始める。押し出すような風の刺激は男の心をも打っていた。
教師は巨大な岩が混じり溶け込んだ土人形を従えて殴り込ませていた。自身は全く動くこともなく、無表情を貫くといった様だった。
土人形の豪快な動きを風で払って寸での回避に専念し続けていた。千年にも思える攻防は所詮は数十秒の出来事。怜は土人形の魔力の流れを、血管を思わせる脈を見つめながら語った。
「不純物混ぜれば壊れそうだな」
綿密な魔法ほど純度が必要、この岩と土で創り上げられたゴーレムは固く強そうで荒々しく見えても実のところ繊細にも程があるといった様だった。
「俺の出番だ」
叫びながら一真はビニール傘を思い切り振って強化ガラスをも打ち砕く。大きな水槽は一真の気迫にその衝撃に討ち負けてその身体から濃い緑色の液体をこぼし始める。
「なんてことを」
「ナイス一真」
感謝の想いを放り込むと共に風は液体を掬い上げてゴーレムの身体に吸い込ませてバランスを打ち砕いていた。
「所詮は濡れた程度、それで我が研究が打ち砕かれるなど」
しかし、男の言葉などもはや聞き入れていないのか、ゴーレムはうなだれるように下を向いていた。やがて身体は崩れ始めて姿のひとつさえ失われてしまっていた。
「はっ、水は良くてもあの液の成分には耐えられなかったみてえだな」
「終わりだな」
怜と一真、彼らの言葉の不揃いなこと。このまま戦いは終わってしまうのだろうか、終わってしまうのだった。
一真はビニール傘が曲がってしまっているのを目にしてそのまま投げ捨て研究者、高校教師に向けて足を上げ目にも止まらぬ速さで顔面に向けて回し蹴りを放つ。そのまま教師は素直に倒れ込んでは抵抗のひとつもない。
「戦い、短かったな」
「相性ありきだろ今回は」
ふたり立ち去ろうとしたそこに立っている男の姿を目にして怜は思わず立ち止まってしまった。
「待てよ、なんでここにいる、お前は呼んでないぞ」
呼ぶ気がない、呼ぶ名もない。そんな金髪と灰色の目が浮世離れした男に向けて地に足のついた睨みの目を向けて訊ねを繋ぐ。
「何を知ってるんだ、まさか、このクソイカレタ計画の関係者か」
灰色の瞳は揺れて微笑みに、情の動きに微かに歪んだ。
「まさか、私はただ高校の生徒をやっているだけのものだ、美術科のな」
本人曰く、夜の散歩をしていたところつい先ほど勇人と菜穂が向かい合っている姿を目にしてしまったが為に入り込んで、怜の気配を探ってここまで来たのだという。
「死者になってしまう前に、このイカレ計画が必要になるより前に勇人のこと、救いに行くべきだ」
そう残して怜と一真を引き連れて来た道を辿るように戻って行った。
この世の静寂とはどのようなものなのだろう、教師はその答えを今知ってしまった。計画は全てが台無し、手を差し伸べてくれる人物などとうの昔に絶滅してしまっていた。
想いを這わせる。愛していた、愛している。それは籍を入れて人生を共にしたい人物。笑顔が日の輝きに透ける女だった。
きっと彼女とならどのような苦しみでも共に進んで行ける、ケンカも意見の分かれもふたりを別れへと導くには至らなかった。
そんなふたりの関係を断つように通り過ぎた車、残像の線を引きながら身体も想いも存在も全てを粉々に砕いて。
「また明日。来年には結婚しようね」
最後の言葉が別れの言葉、その来年がこの世で何よりも楽しみだった男にとって目の前の現実はあまりにも残酷で情の欠片も感じさせない運命だった。
魔法使いとして出来ることはただひとつ、愛する彼女を生き返らせて本来そこに在った『来年』を取り戻すこと。そう胸に誓って魂に刻み込んで研究を進めてはいたものの、全ての結果は今目の前にハッキリと映されていた。身体の生成も上手く行かず魂の引き戻しも完成されないまま迎えてしまったこの時。まさか自身の半分強の人生を歩んだ程度の人物に止められるなど思いもしていなかった。もう、何も手を着けるつもりがなかった。人生も何もかも、進める気分を得られなかった。そもそも、男の想いはいつまでもあの日で止まったまま最後の笑顔と全てを壊したあの光景が焼き付いたまま。
当然のように来るものだと思っていたあの日の明日を今も迎えられないまま。
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