第11話 地下研究
暗い廊下は何も見通すことを許してなどくれない。きっと星や月は眠れと言いつけているのだろう。静かな夜の空に浮かんでただただ見守っているだけで。
怜はある教室に鍵を差し込み捻って見せた。
「ここは」
「家庭科室だ、こっから地下に潜入する」
一真の問いにも丁寧に答える様を見届けてついつい頬を緩めてしまう。
「そっか、ただ忍び込んで何するつもりだ」
それに対しては無言という回答を突き返されて会話はそこで途切れた。家庭科室、そこに一体何が待っているのだというのだろう。
怜は床に手を触れて、何やら探っているようだった。
「何さがしてるんだ」
「床下収納から忍び込む」
言葉のさ中に見つけたものを言葉の端にて即持ち上げる。
開かれた収納、そこには扉が収納されていた、否、地下への扉が取り付けられていた。
「コイツの鍵開けて引けば入れるぜ」
家庭科室の鍵を用いて開いて見せて、中へと促して。男ふたりで忍び込んだ先は思いのほか明るくて一真は目を袖で覆ってしまう。
「下になにがいんだろな、楽しみだぜ」
怜は一体何を楽しみにしているのだというのだろうか、一真にはなにひとつ想像も付かせない。学校のうわさ話とだけ聞かされていたものの、うわさで語られることなどすでに通り過ぎているように見えた。まさか地下室などという現実離れしたものまで語られることもないだろう、ただそうした推測のみ。
開かれたドアの向こう、階段はどこまで続いているのだろう。地獄にまで続いているように思えて恐ろしさを感じさせる。
「どうしたんだ中学生の大好きな世界観だろ」
「いや、これ地獄に続いてるのかって恐くなるぞ」
一真の乾いた言葉を聞いて怜は一度軽い笑いを声にして言葉を返してみせた。
「地獄、いいな、ああそうだぜ。ここから先は地獄だぜ、戦場という名の地獄、生き地獄ってやつだ」
返された言葉に対して特に答えることもなく進み続ける。一真の顔立ちは整ってはいたもののどこか頼りなさを漂わせていて、惜しい顔をしていた。
「一真、ここで生き残れたら魔法に触れたらとかじゃなくて早く娘に告ったがいいぞ、可愛いかどうかわかんねえけど、何となくお前の敗北が目に見えてるんだ」
どういうことだろう、想像も付かせない。しかし一真は目の前の悪魔の誘惑よりも親の言いつけを守る人物だった。実際に少女に恋人が、それも彼女が出来てしまうということなど想像も付いていなかった。
「はあ、別にそんなに急ぐことも……っと」
一真が目にした光景は地獄絵図なのだろうか。辛うじて人の形を保ったバケモノが大量にうろついている姿が目に入った。
「なんだよあれ、多すぎだろ」
そう語り、いつまでも階段でやり過ごそうとする一真の尻を蹴押して無理やり戦場のステージへと引き上げた。
「いてて何すんだ」
情けない声を上げながらもゆっくりと立ち上がろうとする一真、異形はその隙を見逃す程度の存在などではなかった。
一斉に一真へと飛びつこうと勢いをつけて走り始めた。
「片目でも見えますよってか」
一真がビニール傘を杖代わりに地に着いて立ちあがったその時、人の形をいまいち成していないモノたちは遂に地から足を浮かせ、勢いよく一真の方へと向かって行った。それは確実に近づき、物理法則に従って近づき、勢い任せに近寄り。
――終わった
一真が諦めかけて傘を構えることすらやめてしまったその時、異形の全ては方向性勢い何もかもを無視してそのまま後ろへと吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
「はっ、諦めるなよ、俺が仲間を助けもしねえカスなんざと同じわけねえんだからよお」
怜の放つひと言があまりにも心強くてこの上なくありがたかった。
風が異形を壁へ、傘を異形居る壁へ、それぞれの持つ攻撃の術が相手に殺意を差し込んで行った。
「俺らの目的は殲滅だ。敵が全滅するまで戦いは終わらない」
風は相手を激しく引き裂いて、それはまさに今の怜の感情の形を成しているようだった。
「ははっ、いいな。このままだと永遠に闘えちまうぜ」
怜の言葉は本気なのか冗談なのか計りも付かなかったものの、実際このままでは永遠に戦いの終わりを視ることが叶いそうもなかった。疲れ果ててそこらの異形にも敵わなくなるのが先だろうと見極めをつけていた。人は永遠の戦いという環境には適わない。それが事実なのだから。
「ぶち駆け抜けるぞ、大量抹殺と元凶への到達、見せてやるよ」
元凶に与えてみせる影響は如何なるものか、いかにもなことを言ってみせたもののそもそも自然発生だとしたら、一真が巡らせる思いは気が付けば怜の声によってかき消されていた。
「こいつらぜってえ人工生物だ、じゃねえとこんなに人口増やせねえだろ、メシも居場所も殆どねえんだしよ」
怜は両手に風を纏わせて周囲の脅威の異形を排除しながら進み続ける。腕を振るい、風を放ち、敵を塵の如く散り散りにして見せて進み続ける。
「見ろよ、ここ」
相手を傘で切り裂き魔力を研ぎ澄ませながら進み続ける一真の動きを引き留めたのは、怜の静止だった。
「見て見ろ、これがあの気持ちわりい生き物生んでる機械だ」
怜が促す方へと視線を流されて。そこにあった液体に充たされた水槽の収まった機械の存在に、一真はただただ驚くばかりだった。
学校という古ぼけた施設の中だとは到底思えない鉄の色、未来色をした無機の空間、一真は水槽に傘の先を向けて怜に顔を向けて訊ねる。
「なんなんだこれ、俺が知ってる限りこんな実験室置く学校なんか知らないぞ」
怜もまた、ちんぷんかんぷんだと表情で訴えていた。
「少なくとも分かるこたあひとつ、私立高校っつーことでクソ教師共は学校から首切られでもしねえ限りはいなくなんねえってこった」
怜が述べたことに間違いなどなくて、一真の頭の中を不穏な推測が過ぎっては切り返して再び通り越して、ひたすらチラついていた。
「まさか敵は教師なのか」
そうとも限らないが繋がりの可能性は高い、怜の言葉によってそう繋げられた。果たして如何なる存在が如何なる目的で研究を進めているのか。一真は水槽の近くに設置された机を探り始めた。
「なにか分かるかも知れないな」
「さあな、相手がアホなら止め方壊し方云々まで書いてんじゃねえの」
机の引き出しの中を探り、研究所のヌシの正体への手がかりの手探りを開始すること数分間。
そこで見た文字列に一真は驚きを隠すことが出来なかった。
「蘇生者組成計画、人と同じ成分で同じ身体を創り出そう。死して地獄へと落ちた魂を呼び出して身体に閉じ込める、ただそれだけで蘇生が組成出来るであろう、粗製にまで至り命の価値が薄れたその時こそ塑性なる命の時代に終焉を与えることが叶う。自然現象に敵う姿、ヒトこそが神だ、従来の神などヒトに造られし者、ヒトよりも下の者、今こそそれを証明し、我が願望に正銘なる照明を」
「なんだこれ……酒でも飲みながら書いたのか?」
一真はただ口を開いていた。開かれた口、言葉なる口は噤まれたまま静止した時を思わせる精神を保っていた。
そんな中学生の姿を隣に怜は目を細めて一真の手に収まる紙にもう一度目を通す。神をも踏みにじる勢いで書き綴られた文字が書かれた紙はきっと手にそれ相応の力を込めて生み出されたものだろう。思い返すだけで笑いが噴き出て仕方がなかった。
「俺の想像以上のバカだったみてえだな、もしかすっと実験止める方法のひとつすら考えてもねえかもしれねえ」
仮に怜の乾燥が事実だったとすれば作ることが出来ても壊すことが出来ない、自らの手に負えない技術など未熟でしかない、施行前に至高にまで重ねるべき思考の試行が足りていない、ただそれだけのお話。
中途半端な状態で行われる偉業は暴れ狂って打ち建てた人物をも討ち倒して遺業へと変えてしまいかねない。
「つっても文章ふざけてるだけで流石になんにも考えてねえわけじゃあねえよな」
それを信じて思考の波に瀕して怜は次のページへ進むよう促した。
「死者の魂を入れる器の作り方」
一真が人の身を構成する物質や必要な化学変化の書き留めを読み上げている間に怜は思い返した。様々な姿をした奇妙という言葉以外が綺麗に当てはまらないように思えるあのおぞましき異形たち、あれはこの計画の中で創り上げられた失敗作だったのだと。
「この世界と地獄は行き来が出来る。向こうの世から悪魔や魂を呼び寄せる人物も存在する ――この実験の過程で恐ろしい生物を創り上げてしまった。此の世と彼の世を繋ぐ仲介人、此方から彼方へと行き渡らせることしか出来ない一方通行の影」
手を繋ぐことで相手を地獄へと問答無用で堕とす影などというおぞましい存在を校舎の中に放ったまま放っておいたのだという。
「クソったれた研究者だな」
怜が言葉を吐き捨てて憎悪を拾い上げていた。やめられない止められない。立て続けに繰り返される想いを時間様は知る由もなく平等に流れ続ける。更に一真は読み上げを続けていた。
「ええと、うわさ話を口にすること。それ程までに想いが強ければこの世界に本来存在しえない闇の塊を引き寄せて実体化することが出来るかも知れない。世界には様々な現象があるものの、その中には人々のうわさによって生み出されて実体化したものも少なからずあるといってもいいだろう」
亀裂を大量に刻むことでそこから染み出るように人々のうわさが生まれてやがてそうした幻想が現実へと変わりゆく。まさに神をも生んだ人の業。
「思いが強い程詳細な魂を生むことが出来る。実現したケースを上げるならば死した父に会いたいという少年が亀裂の中に会いたい人物の手を見てしまったことだろう」
それは勇人が話していたふたつの解決済みのうわさ話。そこまで情報が更新されているということはつい最近出入りしたということは確実だということ。
「まさか、今も近くにいるんてこと」
怜の気付きは後ろの気配をつかみ取った。振り返り、勢いよく風を放つ。
そこに立つ人物。それは怜の二倍もの時を生き抜いてきたと思しき男だった。髪や髭は伸ばされ乱れて不潔感を漂わせ、疲れ果てた目は濁り澱んでいて希望のひとつも感じさせない。
「はて、どこの科の生徒だろうか」
その男は紛れもなくこの学校に勤める教師だった。
「普通科だぜ、ここの学校には幻想科学科なんてものもあんだな、知ってたら即受けたってのに」
言葉を投げつける怜に対して大きな拳が、岩で作られた腕による一撃が放たれた。後ろへと飛び退いて躱し、怜は言葉を紡ぎ続ける。
「課外授業ってか、分っかりやすくて助かるぜ」
そこから幕を開けたもの、それは授業とは程遠い命の壊し合いだった。
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