第10話 学校の地下

 昼休みのこと、怜は勇人を引き連れ一階を進んでいた。廊下を渡って変わり映えのしない二階以降との違いを見せつけられてその先に現れた美術科へ続く連絡通路。その姿を目にしてこそ怜は思う。

――クソったれた校舎だな

 亀裂、破片、ひび割れ、呼び方は人それぞれだったもののこういった物があちらこちらと探せば幾つも出てきてしまう。そんな校舎の崩れ具合いに怜はため息をついていた。

「ボロッボロだなあ。その内どこかからぶっ壊れるんじゃねえか」

 想いはついつい口から飛び出してしまって勇人へとしっかりと伝わって行った。彼はどのような顔でこの言葉たちを受け入れるつもりなのだろう。全くもって予想もつかせなかった。

「確かに学校側も直せないのかな」

 此処は私立高校、そうある以上は生徒や教師の報告から校長や理事長といった人々の許可を通してからの修繕工事となるのだろう、しかしそれにしても動く気配のひとつも感じさせないのは一体なに故であろうか。

「まあいい、それより俺が知ってるのはこっちだ」

 更に連れ回して続く場所、廊下の中で怜が壁を叩いて音の違いを確認させる。中身が詰まったような鈍い音が響いている中で所々に人が三人程通ることの出来そうな薄い板の音が挟まっていて明らかに空洞があるぞと知らせていた。

「薄い壁が悲鳴上げてんな、叩くななんて語り散らしてるみてえじゃねえか」

 それからどうするつもりなのだろう。勇人の背筋を妙な手触りで撫でて這い回る予感とは裏腹に怜自身は何もしない、ただそれだけだった。

「決戦は夜だ、たまに襲って来る中学のガキも連れて来るからそれでいいな」

「中学生に襲われるって、年下に何やったんだ」

 しかしその情報ひとつたりとも吐いてはくれなくて、諦めを手にした勇人は自身について思うことを這わせて影のある表情を浮かべていた。先ほどのような背筋への気持ち悪い感触、こうしたもののひとつさえ受け取ることが許されない存在になってしまった。これから触れるもの味わうはずだったもの、花や空気の香り。そうしたものが何ひとつ受け止められなくなってしまったのだから。怜が頑張って勇人の感覚を取り戻すと言ってはいたものの、可能なことなのかそれすら分からない。

――もしかしたら、これから何も聞こえなくなって何も見えなくなって

 生物として必要なもの、進化というモノであるのならば全ての感覚が失われたとしてもきっとそれらに代わる感覚で補われることだろう。痛みと香りと味は毒も身体への攻撃も効きにくくなるならば失われたままかも知れない。しかし他は新たな器官が生まれて代用されるのではないだろうか。より感性から遠い方へ、危機も狩りも必要がなくなる、もしくは相手を選ばなくなってもいいのならば欲望だけで感情も薄れるのかも知れない。そこに残されるのは無感動で無機質な察知のみ。

 背筋に寒気が走った。気温さえ分からなくなっても心はその変化を欲しがって求めて手を伸ばして足掻くもの。

――嗚呼、これからが息苦しい

 嘆くしかなくて嘆きも出て来なくて。ただそこで燻る想いに風を与えて抑え込むだけ。想いは昏い霞となってどこまでも自身の世界の味気を奪い去ってしまうだけ。

 もはやこの世に期待できることなど鈴香と怜の無事だけだった。

「じゃ、今夜にも決着を」

 そう言葉にしてふたり教室へと戻るのみ。それ以上のことなどありはしなかった昼休みの探索だった。

 やがて授業は執り行われて生徒たちの様子がいつも通りなことに胸を撫で下ろす。日常の全てが侵されてはもはや休まる場所もない。お天道様は日差しを注ぎながら見ている。きっとこれからの勇人と怜の行ないも見ているだろう。菜穂も加わって今回ばかりは味方してくれるのではないだろうかと淡い期待を、少しずつ自信を薄めて掠れ行く期待の色を果てが見え始めているこの気持ちで、儚く削れて溶けていく気持ちで眺め続けていた。

 やがて授業はひとつ終わって今日も残すところあと一度。寄り合う生徒たちは言葉を交わし合い、今日もまた呑気にうわさ話を繰り広げていた。

「知ってるかな。この世には面白い儀式があるんだってさ」

 隣の男子生徒が興味を示して顔を寄せて来るのと同時に口を横に開いて妖しい笑みを魅せ付けながら、口元に人差し指を当てて続きを紡ぎ伸ばし繋げ行く。

「この儀式は自前のカメラと油粘土の板、美術科の保管室にある過去のコンクールの優秀作品の三つを使って行なうんだ」

「ほうほう」

「まずは優秀作品の小さなアカシアを机に置いて」

「おうおう」

「そこから遠ざかってアカシアの木を見上げるような形で座り」

「ほほう」

「粘土の板に願いを書き綴ります」

「ほほほう」

「で、胸に粘土を当てて心に願いを染み込ませて三度唱える」

「おおうっ」

「最後にアカシアに念を送りながらカメラを構えてパシャリ、そうすれば叶う願いはしっかりとかなえられるのだという」

「おおっおおっ」

 勇人はそのうわさに嘘の香りを感じていた。

 叶う願いならば儀式は要らない、叶わない願いならば儀式をしても無駄、全ては願掛けでしかなくて学校に忍び込んでまで行なうことではないというのが結論だった。

 勇人はうわさ話の澱んだ空気に疲れていた。いったん外の空気を吸うべく教室の外へと飛び出す。その先の廊下を金髪の男が歩いていた。近付いて、すれ違いざまに言葉をこぼして。


  あのうわさだが、貴様自身が実行した並行世界もあるのだよ


 言葉の意味を噛み砕くと共に目を見開いて振り返るものの、その先には男の姿などありはしなかった。



  ☆



 晩ごはんを済ませ、勇人は鈴香へと目を向けた。女の子の顔というよりは可愛らしい子どもの顔といった見映えで勇人にとっては見慣れたその顔、自身もまた似た顔をしていた。

「どう……した、の」

 妙に途切れ途切れで歯切れの悪い言葉は話すことに慣れていないためだろうか。それとも本人の性格なのだろうか。鈴香の問いに対して勇人は微笑んで返すだけのこと。母親似である以上母もまた子どものような顔をしているのだとか余計な思考を脳裏で行き交わせながら鈴香をしばらく見つめること三秒間、鈴香の顔が熱を帯びて赤くなったその時にようやく口を開いてみた。

「学校生活どうかな、ツラいこととかない?」

 内心冷や冷やしつつもぶつけていた、放り込まずにはいられなかった。鈴香の歳で苦しいのであれば非常にかわいそうなものである。

 鈴香はニッコリ笑顔をみせて高く細く大人しそうな声を出していた。

「大丈夫、なにも……ないよ」

 よかったよ、そう返して勇人は立ち去った。

 冬の夜の外は寒気という化粧に彩られ、乾いた黒い空の色に相応しいものとなっていた。調和する景色と気温たちは美しくて楽しみがいのある世界だった。去年までならばそう思っていただろう。

 今となってはそういったことのひとつも感じられなかった。寒気はこの身体では全く感じ取ることが出来なくて、暗黒の空は雲の形がハッキリと見えてしまう。そう、進化に伴って身体の異変は確実に現れてそれを自覚する度に心までもが侵されているような気がしていた。

 感受性のひとつやふたつと言わんばかりに奪い去られている気分、感覚が変わると共に人として大切なものが奪い取られているような気分を味わう羽目になっていた。


 そうして想いを夜闇に広げながら歩き、学校へと辿りつた。

 そこで待っていた姿を捉えた目が大きく見開かれた。脅威敵意外敵、ザラザラとした想いは心を擦って止まらない。そこに立っていた巫女服の女だけは決して分かり合うことが出来ない、そう確信を持っていたのだから。

 巫女服を纏った女、〈斬撃の巫女〉菜穂はその目の端に勇人の姿を認めると共にゆっくりと歩み寄り、日本刀を引き抜いて勇人の喉元に向けて、冷たくて色の宿っていない視線を見せていた。

「家に帰りなさい」

「なんでだ」

 勇人も相手に倣って瞳から感情の色を消し去って見つめてはみるものの、菜穂の真似など容易ではないものでどうしても感情がにじみ出てしまう。

「いいかしら、これは私と先輩のデート。殺戮デートなの」

 果たして菜穂の語るデート内容は怜が喜ぶようなものなのだろうか。

「家よりも土に帰りたいのね、分かったそれなら後輩としてお手伝いしてあげなくちゃ」

「黙れ」

 気が付けば手を引いて、周囲の闇から雷を集めていた。〈分散〉するべく相手を目に映して、気を研ぎ澄ませていた。

 そこからの緊張感の中、術はある人物の声が飛び込んでくると共に途切れた。

「勇人、来たぜ」

「先輩、待ってたうふふ」

「お前は呼んでないんだけどな」

「お前じゃなくて菜穂って呼んで」

 そこからはいはいアホ、そう繋げた怜がいた。ようやく貯められた暗い感情が安堵となりため息とともに出て行った。怜の隣に立つ少年に目を向けて、勇人は訊ねた。

「キミ、名前は。俺は若葉 勇人」

「前原 一真だ、多分その内彼女が出来る」

 なんと、中学生の彼にその内彼女というのだ、何処か羨ましく思いつつも勇人の手には収まり切れない荷が想いことのように思えていた。

「父さんの友人の呪い使いの娘が魔法の世界に入ったら付き合うんだ、目立つとこなくて普通な感じがそそる」

「そっか、仲良くしてあげてね、多分親切な人が好きだろうから」

 勇人の祖父には決して話すことの出来ない事実が増えてしまった。「あの忌々しいクソメガネの祖先が」そう嘆いていた、何度も幾重にも呪うように重ねて言葉にしていたその一族の友人の息子とこれから共闘するのだというのだから。

 その様子を見ていた怜だったがやがてずかずかと歩み寄り、一真の首を豪快に掴んでみせた。

「おい普通に話せるなら何で俺には毎回襲いかかって来るんだ」

「コミュニケーション……コミュニケーション?」

「訊くな」

 そのやり取りに流石の勇人も和んでいた。仲間の内のひとりが全く信用できないという状態の中でも未だに笑う余裕があるのかと自分で驚き口を開いていた。開かれた口からは言葉のひとつも出ることなく、ただ現状を見つめることで精いっぱいだった。

「じゃ、勇人と一真仲良くなったわけだしふたりで組んでくれ、俺は菜穂と組む」

 怜の目に走る感情は如何なる色をしていただろう。少なくとも勇人や一真を見つめるものとは異なって濃い澱が下に溜まっているように見えた。

 菜穂は首を左右に振って勇人の手を取り語って見せた。

「私は彼と組むからそこの慣れ合ったふたりで行ってらっしゃい、先輩」

――仕掛けてきやがった

 勇人は理解していた。この女の危うさというものを。きっと内側で殺し、守り切れなかった、〈斬撃の巫女〉の力をもってしてもなどと言って次に敵のことをうそぶくつもりであろう。

 怜の視線は夜よりも冷たくなってしまっていたものの、それでも譲らないという想いを口にし続ける菜穂の姿を認めてため息をつき、全てこの女の思惑通りに進める他なかった。

 怜と一真、勇人と菜穂。たった二組によって構成された夜闇の中の闇への潜入が決行されようとしていた。

 怜が笑いながら窓を開いてそこから忍び込む。

「事務員のおっさんの目え盗んで鍵開けるの大変だったんだぜ、割らなくていいだけ感謝しろよな」

 それからすぐそば、怜が壁を叩きながら歩き続けてようやく見つけた空洞の音。そこを指して勇人と菜穂の足を止めた。

「俺らは違うところから忍び込む。だから一分だけ数えてここぶっ壊せ」

 怜は怜でどこから忍び込むつもりだろうか、何やら何処かの教室の鍵を、キーホルダーの輪を指に入れて回しくつろいだ様子で一真と共に歩いて行く。

「怜、再会を祈って」

 勇人の言葉を受けて怜は振り向きもせずに左手を挙げながら去るだけだった。

「そう、一分後ね」

 菜穂は壁を見つめる。

「ねえあなたさあ」

 戻って来た静寂の中、突然放たれた菜穂の言葉に大きく身を震わせ話に耳を傾けた。

「どうして私の仕事をあんな平気な顔で奪うのかしら、そんなことできるのかしら」

「はあ、仕事か」

 勇人の気の抜けた返事に対し更に静かな憎しみを沸騰させる。言葉は感情任せに飛び出すばかり。

「私はね、幽霊を斬ったらそれでお金がもらえるの」

 勇人は疑問符を頭に浮かべるだけ。〈斬撃の巫女〉というだけあってやはりそういった依頼のひとつやふたつ舞い込んで来るものなのだろうか。そう考えつつもこれまで迷惑をかける想いをしたのかどうか、それすら分からない、知ることが出来ない。

「そんな働く偉い立場の人の仕事をあなたは何度も奪った」

 それは果たして事実なのだろうか、殆どうわさ話を削り取っているだけの勇人には身に覚えがなかった。菜穂が単に気に食わないから言っているだけのことではないのだろうか。そう思って彼女の言葉を聞き流そうとしていた。しかしただ表情すら見えない闇の中でいつもより少しだけ固い声から本気の感情だけを見て取って勇人は冷たい対応でやり過ごすことなど決して叶わないのだと悟って諦めるのみだった。

「ねえ、お金すらもらわずに人の仕事を奪って金の回りを悪くすること、そんなに楽しいの?」

 訊ねられたところで過去の自身の想像力がなかった、そう返すしかなかった。

「ああして流れて来たうわさ話だって一か月後には私の手元にお金を運ぶ立派な依頼に姿を変えるの、その邪魔をしないでよ」

「俺はただ……」

 人々がうわさをすることで現れた怪異を打ち倒して鈴香を守るための実践経験にしていただけ、自分勝手な行動であることには変わりない、自身の想いに嘘をつくことなど出来なかった。

 しかし、ひとつ思い返してみた。手を伸ばして人を地獄へと引きずり込む影はどうだっただろう、菜穂が動くまで放っておけば更なる被害者が出た可能性も大いにあり得た。

 更にもうひとつ思い返した。亀裂から伸びる手はどうだっただろう。うわさの主にとって大切な人、そんな彼の想いを一か月も中庭に縛り付けた上に再会のひとつも無しに切り裂いてしまうのだろう。

 そのような慈悲の感じられないこと、許してもいいのだろうか。

「俺はただ……結果とは言え困ってる人や無念の霊が差し出す手を取ったんだ。なにも悪いことをしたつもりはない」

 更に意見を重ねて菜穂の心に重しを乗せ続けた。

「菜穂が金儲けの為に幽霊放置したとしてだよ。それで犠牲者が出た方が……よっぽど悪いことだろ」

 勇人は胸を張って自身の行ないを誇ることが出来た。少なくとも欲に目がくらんで心のひとつも見えない女のやり方などより余程いい、本気でそう思うことが出来た。

「このクソガキ、魔法の世界のビジネスを壊すつもりね」

 睨みつける菜穂。そんな施錠成る巫女であるはずの彼女の痛々しい程に棘だらけの濁った声も醜い感情だけで創り上げられた言葉もすべて無視して勇人は話を逸らした。

「それより早く壁壊せよ」

 きっと菜穂はこの機会に勇人に対して警告がしたかっただけなのだろう。仕事と使命の壁は乗り越え手を取り合うことなど決して叶わなくて、そうする必要も感じられなくてただ現状のまま進み行くただそれだけ。菜穂が言いたいことなどそれひとつ、これ以上は何もない、そう信じて勇人は菜穂と共に進むことにした。

 菜穂は刀を振り上げて、目を閉じる。息を大きく吸って勢いよく吐いて。開かれた瞳が闇を捉えると共に刀は勢いよく壁に叩きつけられその口が開かれた。

 そこから内へと進み、薄明るい階段を降りて降りて降りて降りて段々だんだんダウンダウン……。

 後ろに警戒の目を張り巡らせながら長い階段を進み続けることどれだけの時間が経っただろう。

 ようやく見えて来た景色に勇人は驚愕の情というものを覚えた。

――これは

「なにが見えるのか、言ってごらんなさい」

 菜穂に促されるままに瞳が捉えたモノを言葉に変え始めた。

「人とは違う……土人形かな、それが蠢いてい」

 言葉はそこで切られた。背中に走る衝撃は言葉の続きを悲鳴へと生まれ変わらせた。そうして勇人は床へと転げ落ちた。

「……そう。だったらそこで死ね」

 心すら感じられない言葉が開戦の合図となる。大量のヒト型の土人形が勇人めがけて勢い任せに飛びついてきたのだった。

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