第二幕 霜夜に輝く銀閃
第8話 幽霊船
それは寒々しい色をした空と輝きの瞬きの下でのこと。木々は生い茂り、闇色に染まる乾いた空気はガラス細工のよう。
ここでひとつの出来事を終えたふたりが誰にも悟られないようにそこに立っていた。
クラスメイトたちに見つからないように、聞かれてしまわないように。互いに立場を知ってしまった勇人と怜は秘匿の闇に身を隠して言の葉を飾りあっていた。
大切なものを見失うな、そうすりゃその手から滑る落ちることはねえからな。怜は語る。友情という平凡で特別な想いは沸点など知らない底無しか。体温よりもずっと高い熱気を滾らせてしっかりと語ってみせていた。
「いいか、魔法使いってのは無法地帯みてえなものだ。アイツら平気で一般人いなかったことにするからな」
確かにこの世にいたはずの人間がある日を境に煙のように消えてしまう。いつものように過ごしていたはずの人、それを収めていたはずの部屋を空白の空間へと変えてしまう。
そういった事件を平気で起こしうる人物たちなのだそう。
「自分からいますよなんて言うアホ魔導士も力を魅せ付けたいだけのバカ魔導士もそうそういねえから現場さえ目撃しなけりゃ大丈夫だろうけどな」
説明は分かりやすく、しかし会話として長めに、そう考えているのだろうか。怜は生き生きとした表情で勇人の肩に腕を回して頬をつついた。
「良いじゃねえかあの能力。〈分散〉つったか、便利じゃねえか」
勇人は乾いた笑いを浮かべ、他所を見渡し木々しか映らないことを確認して言の葉を撒いた。
「怜こそ移動にも便利じゃん、っていうか怜の魔法話も実は実話だったのか」
勇人の頭に後悔が重々しくのしかかっていた。怜が話していたことが事実混じりなことは隣の表情がはっきりと語っていた。
「俺のもってこたあ勇人の話も真と偽りの玉石混交だったんだな」
訊ねるまでもなく分かってるくせに、そう返して微笑んで見せた。
それから互いの立場を教え合うことにした。情報の共有、それを以て普通の友だちから同じ世界に足を踏み入れた同胞の友へと姿を変える。
そうして開かれた情報、それぞれの視点にはこれまでとは異なる価値観が満遍なく蔓延っていた。
「俺は先祖代々魔法使いの日之影家って言われてっからな、はなっから魔法叩き込まれてはい現状ってわけだ」
それは運命と呼ぶに相応しい立場だった。それはまさに勇人と同じ、魔法という名の命無き思想に、姿もなしに糸を引く何者かに身を縛られて宿命と名を刻まれたものに身体を心を魂をも掌握されてしまっていた。
「俺は妹の鈴香の守りが目的」
怜は首を傾げる。当然といえばそうなのだが、やはり魔法への入り口も通る道も何もかもが異なっていた。
「あの子が成長期を迎えたら魔力たくさんになるっぽいけど鈴香自身には魔法の才能がないらしいから魔女とかいうやつらに利用されるだろう。って言われたんでいつの日か来るお守りまでの間の訓練かな」
そうして互いの身の上は夜闇の中、誰に聞かれるとも分からないような場所でふたりの間の明るみに出たのだった。
怜は辺りを見回し、勇人に一直線の眼差しを向ける。あまりにも純粋で真剣以外の言葉が似合わない色の視線に思わず目を見開きつつも、怜の忠告を耳に入れずにはいられなかった。
「いいか、何度でも言うが、どれだけでも言ってみせるが、名前の無い在籍者にだけは気を付けろ。こっちに足踏み入れたならわかるだろ」
実に分かりやすいほどに独特な雰囲気。金髪と灰色の瞳という人間の色によって誤魔化されたこの世の者ならざる何かとしか呼びようのないあの存在。名前すらない美術科の先輩。まさに向こうから私は普通ではありませんと言っているようなもので当然あの男に対して少したりとも気を許すつもりなどなかった。
初対面の視線を思い出すだけでも背筋が震えて嫌な汗が噴き出てしまうほどのものだった。
中庭の亀裂に立っていた時のあの雰囲気。人の気持ちを分かっていながら解っていないような、人に対して理解も不可解も判らせないあの表情。
全ての関りを受け持つ言葉、それを発する声。どのような声をしているのか覚えていない、それだけでなく間違いなく言葉によるやり取りをしたと理解しているはずが会話をしたのかと自他問わず訊ねられるとそんな実感が湧いてこない。
まるで全ての言葉がうわさ話によってやんわりと流れて来てしっかりと覚えているような感覚。
「ああ、うわさ話、そうだよ怜、あの男には近づかない方がいいね、会話したはずのことも全部がうわさ話のように思えるんだ、俺がその男とこう話した、じゃなくて俺がその男とどうやらこういった話をしてたらしい、みたいな噂に変わってるんだ」
怜はそこまで聞いて頷くのみ。
そこから流れる沈黙は、気温や沈み込んだように吹き込む風たちも相まってとても寒く感じられた。
☆
それは凡そ三十分程前の事。これは勇人と怜が互いに魔法使いだと知るきっかけとなった出来事。
それは今でもみんな夢だと思っていることだろうか、それとも冬の寒さにも負けない熱気で盛り上がっているだろうか。
その叫びは言葉になっておらず寝言とも歓声ともつかないものだった。
確かにこの星の泡漂い雲の霧に覆われた冬の空の海に、黒々とした色無き航路を進む船はいた。
そうしたことを噂に乗せて広めていきたい。心はそうはしゃいで訴えるものの、この出来事はこの星空の中に仕舞って知っている人だけが遠くから眺めていればいいだけのものだった。
冬空の下、クラスメイトの男子数人で見つけたうわさ話の真相はこれ以上広めてはならなかった。
「大丈夫、秘密こそが美味しい密になることだってあるのさ」
そこに混ざっていたのは名前の無い在籍者。
「なんだ、お前もいたのかよ、美術科の上級生が」
思わず毒づく怜だったものの、その表情は空から降り注ぐ星の輝きのように澄んでいて、本音を隠すことになど到底届きやしなかった。
勇人は闇に浮かぶ船、というよりは木を組み合わせて造られた舟を思わせるシルエットを見かけてその形を、その闇のカタチを見通して睨みつけていた。
――遠すぎて……〈分散〉出来ない
遥か彼方空の中、それぞれに生きてきたあかしを空に焼き付ける星々と同じように浮かぶ舟にまで届くはずもなかった。
男子生徒のひとりだろう、ある人物が如何にも倍ほどの人生を歩んでいそうな渋みに充ちた声を弾ませて勇人の見た目をも超越する幼い雰囲気を出して見せた。
「よっしゃー、俺の言った通り、この本に書かれた通りだ」
彼が掲げていたのは恐らく雑誌だろうか。よく見かける漫画雑誌と比べて随分と薄く、くたびれた中年男性が手に取るニュース雑誌を思わせる。
「勇人、アイツさ俺らよりはるかに厨二病だぜ、オカルト雑誌読んでやがる」
怜によって与えられた情報、闇より現れた理解が勇人の首を一度縦に振らせた。きっと単純に魔法だとうわさ話だと語る人物コンビと比べれば広く深く濃く、まさにこの言葉を捧げるのが相応しいだろう。大いなる厨二病患者。
それは中々の人数が通って行く道で、否定して断つにはあまりにも普遍的すぎる異常性だった。
そもそもこの背が高いとは言い難いものの夜道の中素人が登るのは危険な山、そこで空飛ぶ幽霊船を見ようと輝かしい目の日差しを浴びせながら訴えたのはあの人物。うわさ話という形で語っていたものの、オカルト雑誌の影響だったようだ。
「もしかすっとオカルト雑誌って出処なだけでうわさ話として形作られたかもな」
怜の低くて冷たい声が冷えた夜の澄んだ空気に混ざって心地が良かった。
人々の熱狂は次第に大きくなっていく。人々の熱は冷気に晒されても冷めることなく一体となって、空に浮かび波ひとつないそこをゆったりと進む舟に向けられていた。
「どうやってやっつけよっかな」
闇の中に潜みひっそりと呟く勇人の細い声など誰にも届くことなくただひとりの悩みを個人の中に留めるだけ。
星は降り注ぐように尾を引きながら揺れる。
雲は途切れ途切れに闇空を優雅に舞う。月という大きなライトを中心にみな楽しく踊っているよう。周囲の熱狂のひとつひとつさえも闇に飲まれた視界の中のひとつの飾りに思えていた。
立ち尽くす勇人は寒さに肩を震わせて肩に走った振動に身を震わせた。
肩を掴む手はしっかりと勇人のことを捕らえて離さない。力は更に込められて引き寄せられて、足に力を込めるもののその抵抗は空しい結果と地面に微かな痕跡しか残すことが出来なかった。
何も見えない、誰が、ナニモノが引っ張っているのかもわからない。そんな状況に心は彷徨って心細さは声すら上げることを許さない。
「おい、勇人あれの舟俺らで撃ち落とそうぜ」
提案の声の主は勇人にとってはとても身近な人物で恐怖感は数字を数える間もなく収まり引きこもり始めた。
「なんだ、怜だったのかよ、おどかして」
「わり、勇人があんまりにも可愛らしかったからな」
子どものような顔だろう。日頃の様子からかんがみるに怜は子ども好きなのだろう。
「からかうのはそこまでにして」
述べた言葉、それを奏で上げる声も子どものようで例の表情は更に愉快なものになっていることだろう。
「でもどうやって……俺たちなにも戦う手段なんか」
「とぼけなくていいぜ」
怜の言葉に合わせて荒い風が木々に悲鳴を上げさせた。葉のざわめきはより一層激しくなり怜の言葉が偽りなどではないのだと示してみせた。
「俺は風の魔法使いだ」
言葉を運ぶ風はその音色を細かく刻みながらも耳へと届けた。勇人の耳がつかんだ情報は、続きの言葉までもが添えられていて、思わず目を見開いてしまう。
「勇人が魔法使いってことも知ってんだ」
それからは目にも止まらぬ速さで展開された。
怜は勇人の手を掴んで宙を舞い始めた。脚を動かし、何かに乗り飛び移り自由自在に動いていた。
「風は俺の魔力で足場に変わっちまうんだ」
怜が薄いカーテンを想わぜるそれに乗って容赦なく突き進み口を鋭く広げる一方で勇人は引っ張られて空気の圧に、世界の寒気に風の気まぐれに圧されて流されて焦るばかり。危機感は褪せる前に新たに持ち込まれて心を塗り替える。
怜が歓声を上げている間、勇人は感性にさえ困らされ続けていた。
きっと今は星を散りばめた美しい夜空を舞っていることだろう。時たま視界に入る木々の遠いこと。それひとつで勇人の恐怖心は幾程でも爆増していった。
想いの弾けは星となって散り続ける中、怜の強い声はしっかりと身体の芯までつかみ取っていた。
「見ろ、あれが幽霊船だ」
人々のいたずら心、暇人の時間つぶし、そう言った物が産み落とした新たなる幻影。それこそが幽霊船の正体だった。
「行くぞ」
怜の手を離れ、支えのひとつも無しに舞う、放られて風に流され重力に身を操られ、実体を持ってしまった幻影の柄をつかみ取り足を乗せる。
立ち上がり、腕を引き、雷を集める。そうした行ないを一定のテンポで済ませて静かな赤みがかった茶色の瞳で姿を捉え、落ち着いた声でいつもの術式を唱える。
「目の前に固まりし世俗の暇潰しの闇よ、世界に蔓延りし闇の中へ〈分散〉されよ」
腕は突き出されて雷の渦は弾けながら自在にまばらにひび割れの如き光の線を描く。
空気を裂いて空に独特な刻印を刻み込みながら突き進みやがて相手に噛み付くように侵食して内側から砕いて行った。
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