第六章:ひとときの安らぎとともに/03

 エリシアが戻ってきたのは、彼女が浴室に行ってから大体三〇分ぐらい経ってからのことだった。

「あの……変じゃありませんか?」

 妙に恥じらいながら、おずおずとした様子で戻ってきたエリシア。

「中々似合ってるじゃないか」

 その声に反応して振り向いたシンは、そんな彼女を見て笑顔で褒める。

「……そう、ですか?」

「ああ、似合ってる。おばちゃんのセンスも中々だな」

「そ、そうですか……なら良かったです。こういったタイプの服は、あまり着た経験がないもので……」

 シンに似合っていると言われると、エリシアは安堵した様子でホッと胸を撫で下ろしていた。

 そんな彼女の格好だが――――さっきまでとは全く別のものだった。

 上は紺色のオフショルダー・キャミソール……要は肩の出たタイプのインナーだ。その上からさっぱりとした白いローブを羽織り、下はふわりとした黒のプリーツスカートに、同じく黒のニーハイソックス。履物は焦げ茶の革製ロングブーツといった具合の出で立ちだ。

 そんなコーディネートの全てが、上から下まで新品揃いだった。

 流石にあんなボロボロのドレスでは……と思い、さっきシンが店主に頼んで買ってきて貰ったものだが、中々どうしてよく似合っている。エリシア元来の品格も失われておらず、それでいてドレスのように目立ち過ぎず……といった具合のベストな雰囲気だ。

 これなら、誰と会ってもエリシアがこの国の第一王女だと気付かれることはないだろう。

 彼女を王女と思わせないとの同時に、エリシアの可憐さ、可愛らしさも存分に引き立てた最高のコーディネート……。

 あの店主、見かけによらず服のセンスはかなり良いようだ。少なくとも、シンが適当に選ぶより百億倍はいい。

 ――――とまあそんな感じで、エリシアはひとっ風呂浴びてサッパリした後、綺麗になった身体に新しい服で心機一転といった感じだった。

「おや、上がったのかいエリシアちゃん」

 そんな風なやり取りをシンと彼女が交わしていると、すると台所の方から戻ってきた店主がエリシアの姿を見て、ニッコリとしながらそう声を掛けてくる。

「あ、はい。お風呂ありがとうございました。凄く気持ちよかったです」

「だったら何よりだよ。その服も似合ってるねえ」

「本当に、何から何まで……ありがとうございます」

「良いって良いって、気にしないでおくれよ。それにお代はあたし持ちじゃないしね。にしても……エリシアちゃん本当に可愛いねえ。あたしのセンスも、中々どうして捨てたもんじゃないだろう?」

「凄く素敵だと思いますっ。折角選んで頂いた服ですし……大事にしますねっ」

 ニッコリと微笑むエリシアを横目に見ながら、店主は「そうかいそうかい」と嬉しそうに頷くと。するとシンも含めた二人に向かって「さ、夕飯も丁度出来上がったところだよ。食べな食べな」と言ってくれる。

「それじゃあ、わたくしも手伝いますね」

「良いって良いって、あんたらは仮にもお客なんだしさ。お客はお客らしく、席に着いて待ってなよ」

 手伝おうとするエリシアを席に座らせつつ、店主は一旦台所の方に戻ると……料理の盛られた皿を幾つも持って来ては、手早くテーブルの上に並べ始める。

 そうして並べられた夕飯は、先程の宣言通りにかなり豪勢なものだった。

 分厚いステーキに新鮮な焼き魚、後は村の近場で採れたであろう山菜を用いた料理が何品か。稲作が盛んなことで知られているエクスフィーア王国だけあって、主食はほっかほかの白米だ。

 ちなみに、食器は当然のように箸だった。

 余談だが……この世界は意外に箸を食器として用いる文化圏が多い。エクスフィーアの北方、シンも慣れ親しんだデューロピア大陸でも、ナイフやフォーク、スプーンなどの金属製のカトラリーとともに広く用いられている。

 この辺りの食器事情に関しては、このエクスフィーア王国が古くより海運貿易の要衝として栄えてきたことが大きいのだろう。エクスフィーアを中継点としてデューロピア大陸や、他の東西の大陸に数多の物資や人間とともに、こうした箸食の文化も広まっていたと推測されている。

 であるが故に、食卓にはこうして普通に箸が食器として出されているのだ。

 ――――閑話休題。

「へえ、コイツはご機嫌だな」

「すっごく美味しそうですね……!」

「ほらほら、見てるだけじゃ勿体ないだろう? 冷めちまう前に、早くお食べ」

 食卓に並べられた豪勢な夕飯を前に、二人揃って目を輝かせるシンとエリシア。

 隣り合って座る、そんな二人に愛想を振りまきながら、冷めない内に食べろと店主は苦笑い気味に急かす。

 すると、二人は互いに一度顔を見合わせた後で「「いただきます」」と揃って店主に礼代わりの挨拶をし、すぐさま箸に手を伸ばした。

「あれ……シンさん?」

 そうして食べ始めようとした折、シンがごく自然な動作で行った行為をチラリと目にして、エリシアが不思議そうに首を傾げる。

「ん?」

「シンさんって……その、左利きなんですか?」

 疑問符を浮かべるエリシアの方へと、茶碗片手に横目の視線を向けるシン。

 そんな彼は、左手に箸を持っていたのだ。

 そのことが示す事実は、彼が……シン・イカルガが左利きであるということ。

 ついさっき、食べ始める前もシンは箸と箸置きの位置をわざわざ左右逆転させていたのだ。それを見てエリシアは不思議に思い、何気なく彼にそう問うていたのだった。

「なんだ、今更だな」

 首を傾げながらなエリシアの質問に、シンは食事の手を止めぬまま、今気付いたのかといった風に反応する。

「いえ、今初めて気が付いたので。そういえば剣も右腰に差されていましたよね?」

「まあな」と山菜の煮物に手を付けながら、頷くシン。

「俺は元から左利きなんだ。エリシアは俺みたいな左利きの剣士、珍しいのか?」

「ええ、まあ。前に近衛騎士団の訓練を視察した時に、何人か左手で剣を振っている方を見た覚えはありますが……実際にこうして左利きの方と近い距離で接するのは初めてですから。なので少し、気になってしまいました」

 エリシアの説明してくれた理由に、シンは左手に持つ箸を動かしながら、やはり食事の手を止めないままで「なるほどな」と相槌を打つ。

「それより、エリシアも早く食べるといい。おばちゃんの料理は絶品だぞ」

「ですね、私も頂きます。……わぁ、美味しいですね!」

「そうだろ? 朝飯も絶品でな……行き倒れてた俺にとっちゃあ、何よりものご馳走だったよ」

「シンさん……行き倒れていたんですか?」

「そうそう、聞いておくれよエリシアちゃん。今朝のことなんだけどさ、買い出しに行こうとしたら、丁度ここの真ん前でバッタリ倒れててねえ。ホントにびっくりしたよ、それはもうね――――」

 隣同士に並んで箸を動かすシンとエリシアに、二人の対面に座って自分も一緒に夕飯を食べ始める店主。三人はこんな具合に取り留めのない会話を交わしながら、時に笑顔も交えつつ……本日の夕餉ゆうげのひとときを、穏やかに過ごしていったのだった。

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