第六章:ひとときの安らぎとともに/02

「ふぅ……」

 店主の好意にあずかり、浴槽に足を運んだエリシア。今まで着ていたボロボロのロングドレスを脱ぎ捨てて、一糸纏わぬ姿になり……決して短くはなかった牢獄生活で汚れ切った身体を洗い清めた後、湯気の立つお湯の張られた浴槽にそっと身体を沈めていく。

 そうすれば、肩まで湯に浸かった頃に口から自然と出てくるのは、心からの安堵を滲ませた吐息だった。

 温かいお湯に身体を預け、ほっと一息。

 こうしていると、今までの過酷な体験から来る疲れも全部消えてしまいそう。全身に蓄積した疲労が、お湯の中に溶け出していくかのような……そんな感覚を覚えながら、しばらくの間エリシアはゆったりと湯に浸かっていた。

「……なんだか、こうしているのが夢みたい」

 リラックスしながらお湯に浸かり、三分ぐらいが経った頃だろうか。浴室の天井をぼうっと見つめながら、エリシアはポツリとそんな独り言を漏らす。

「シンさんに助けて頂かなかったら、今頃……どうなっていたのかな」

 続けて口から出てくるのは、そんな何気ない気持ちからの呟きだ。

 ――――本当に、こうしているのが夢みたいな気分だ。

 セレーネの襲撃に遭い、教団に捕らえられてから数日。どうにか自力で脱獄したはいいが、窮地に追い込まれてしまい……偶然にもシンに助けられて、なし崩し的にだが自分は彼に……光の勇者だという彼に力を貸すことになってしまった。

 そんな一連の出来事が、たった数日の間に起こった出来事だというのに……まるで、年単位の長い間に起こったことみたいに感じてしまう。それほどまでに、この数日間はエリシアにとってあまりに濃密な時間だったのだ。

 ――――同時に、シンが助けに来てくれなかったら、とも思う。

 もしも、彼があの時助けてくれなかったら……自分はどうなっていたのか。

 そんなこと、今のエリシアには想像もつかない。

 脱獄した以上、牢に戻されるのは間違いないだろう。どうやら自分は教団にとって必要な存在らしいから、すぐにどうにかされることはないだろうが……果たしてその末に、自分はどうなっていたのやら。

 少なくとも、今のようにゆったりと湯に浸かっているということは無かっただろう。よしんば・・・・フィーリスたち近衛騎士団が助けてくれるにしても、もっとずっと後のことだったに違いない。

 それを思うと……エリシアは助けてくれたシンに対しての感謝を抱く気持ちが半分、同時にこの状況を不思議に思う気持ちも半分、といった心境だった。

「それに……一体わたくしの何が、シンさんの……光の勇者様の力になれるというの……?」

 そんな複雑な気持ちを抱くのと同時に、エリシアの頭の中にはそんな疑問も浮かんでいた。

 自分の何が、光の勇者であるシン・イカルガの役に立つというのか。一体自分のどんなところが、黙示録の魔獣の復活を阻止するのに必要になるというのか…………。

 シン自身、詳しいことは分からないと言っていた。スフィルの石からの任務を帯びた彼でさえ分からないことなのだ。一応は当事者であるといえ、まさか自分が考えて分かるはずもない。

 考えるだけ無意味、そうは思いつつも……しかしエリシアは、どうしても考えてしまうのだ。確かに自分はエクスフィーア王国の王女だが……それだけだ。シンのように特別な存在というわけではない。

 だからこそ、エリシアは答えの出ないことだと知りつつも、思わずこうして考えてしまっていた。

「――――エリシアちゃん、着替え置いとくからね」

 考えても考えても、明確な答えなど出ない思考の迷路。出口などどこにもない、不毛なばかりの無限回廊。

 エリシアがそんな無意味な思考の渦に囚われる中、彼女の意識を現実へと引き戻したのは……浴室の外から聞こえてくる、宿の店主のそんな声だった。

「あっ、はい。ありがとうございます」

 脱衣所から聞こえてくる店主の声に、ハッと我に返ったエリシアはお礼の言葉で返す。

 どうやら、さっきシンが頼んでいたエリシアの着替えを買ってきてくれたらしい。店主は礼を言うエリシアに「んじゃあ、ゆっくりしなよ」とだけ言うと、さっさと脱衣所からも出ていく。

 遠ざかっていく店主の気配を感じながら、エリシアはそっと表情を緩め。そうしながらもう一度、真上の天井を見上げると……また独り言を呟いていた。今度は戸惑いの色のない声で、確固たる決意を胸に。

「…………とにかく、わたくしのすべきことはひとつだけ。シンさんが……光の勇者様が必要としてくださるのなら、理由はそれだけで十分なの。わたくしたちの生きる、この世界を守るために……王女として、そして一人の人間として。私に……出来ることを、精いっぱいに」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る