第12話 伯父の最期
珍しく従兄弟会のグループLINEが鳴った。
施設で過ごしている伯父が、もう長くないだろうとの連絡だった。
伯父は2月29 日生まれで、今月うるう年で29日があるので喜んでいるかな?と思っていた矢先の連絡に、しばらく携帯を見つめていた。
銀行員だった伯父は、とても厳格で神経質。
息子二人にも、厳しく接した。
それが原因で、家族の間に隙間風が吹く事もあったが、昨日兄弟二人で御見舞に行って来たと従兄弟が再びLINEをくれた。
少しホッとした気分だ。
厳格な家庭で育つと、最終的に親とどう向き合うのか?
まだ先の事とはいえ、うちの夫のような場合にはどうなってしまうのか?と時折思う。
夫の実家は、立派なDV家庭で男尊女卑も甚だしい。
夫には年子の兄がいるが、幼少の頃の記憶では....父が母にお皿を投げつけ、母は顔から流血。
何を思ったのか、医師である父は母を自分のクリニックに連れていき、父自らが母の傷を縫ったという記憶。
今なら決して許される事ではない。
いや、当時でも許される事ではなかっただろう。
そんな家庭で育った夫は、極力実家には寄り付かない。
勿論、冠婚葬祭等の理由がある時は、付き合いはあるが、普段誰一人実家に近づく者はいない。
私も、子供が小さかった頃は、頻繁に行き来していたが、ある年のお正月に起きた小さな事件からは距離を置いている。
事件とは…義父の出身は九州で、今もお正月料理は、九州の郷土料理が多く並ぶ。母は料理上手で、どれも美味しい。
その郷土料理の一つを、子供が食べることが出来なかったのだ。
大人風味の少し癖のある料理で、粘り気のある口当たりが子供には好まなかった様だ。
勿論子供に食べるように即したが、口に合わず出してしまう。
それを見た父は激怒して、俺の故郷の料理を食べられないとは何事だ、怒!!!!!
お前は、どんな子育てをしているのだ、怒!!!!! と血管が切れそうなくらいに怒鳴り狂い、私は机に頭を擦り付けて謝った。
夫は、何も言わなかった。
幼い頃から、きっといつも怒鳴り狂っている姿を見てきたのだろう。
父親は、絶対。
おとなしく席を立ち実家を後にした。
義父は、今月で90歳になったが、変わらず元気にしているようだ。
どのような最期になるのかなんて、誰も分からかい。
私の祖母が、最期が近づいて来た時に「初めて死ぬで、上手に死ねるかわからへん…」と言っていたのを思い出す。
多くの事をお金で解決出来る時代であっても、出来る限り人に心を寄せてもらえる最期でありたいとは、私は思っている。
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