僕は世界を異にする
さて、この黒歴史はいかにして育まれたか。
僕はこの黒歴史を知識のなさが引き起こしたと考えているが、大抵の人は僕の無神経さや倫理観のなさを原因としたがる。
知識があれば、無神経でも倫理観がなくてもこのような黒歴史は作らない。でも、大抵の人が言うように、無神経でもなく、倫理観があれば、知識がなくてもこの黒歴史は生まれなかった。どちらも成立するのだ。
僕としては、知識があればこんなことにならなかったで終わる話なのだが、そもそもそういったエイプリルフールをやろうと思えてしまう僕のあり方も興味深いものなのかもしれない。
これまでの話でもふれているように、僕は自身の病気や痛み、ひいては人生を自分だけのものと考えている。僕に何らかの感情を寄せる人がいようといまいと、僕自身を肩代わりできるはずもない。だから、病気や痛み、生き方に口を出されるのは嫌だ。
すべて引き受けるのは僕なんだ。外から痛みもなく好き勝手言える人なんか相手にしてやる義理もない。僕は僕以外の人間すべてにその発想を適用している。それがたとえ友人であろうと、家族であろうと、僕の痛みを我が事として泣く人なんていないと思っている。万が一いたとしても、それで僕の病や痛みは軽減されない。
つまり、病や痛みを引き受けない僕以外の誰かの心情を慮ってやる必要はない。まして、僕のあり方を決められるなんてあってはならない。
だからこそ、僕は僕の病や痛みをどう扱い、どう表現するか、自分で決めていい。その決断に誰かの意思を考慮する必要はない。
こういう発想で生きているから、この黒歴史を生まないために必要なのは、人が言うところの倫理観や心配りではない。自身の病気に対する的確な知識なのだ。
僕が黒歴史と思っているポイントもまさにそこなのだから。もしも、知識として正しいエイプリルフールだったなら、僕はこれを黒歴史とすることもなく、このエッセイも生まれていなかった。間違いなくそうだ。
僕の世界において、僕の病や痛みに関して他人が何を思うかはどうでもよく、正しい知識がないのは恥ずべきことだ。
その点で、僕は人とは異なる世界を生きているのだろう。だが、自分の病気について知ることを頑張れるなら、それもいいありようだと僕は思う。
ここで黒歴史を供養し、僕は先へ進む。知識のなさゆえの黒歴史を作り出さない慎重さとともに歩んでいく。
(了)
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