そして黒歴史は花開く

 他人から見れば恥ずべきことと断じられてしかるべき行動を、僕は数え切れないほどしているのだろう。それらを気にかける繊細さなど、とうに捨ててしまったが。

 先のエイプリルフールの嘘も、人によってはそれそのものを恥じるべきだと言うものだ。実際に言われたこともあるが、「はあ……」と聞き流した。僕の病で、僕の痛みだ。それをどう扱おうと、僕の代わりに痛むのでもない人間がどう感じようと知ったことではない。不謹慎だの無神経だのといった文句は壁にぶつけていてくれ。僕は壁じゃない。

 エイプリルフールとはいえ、そういうことをすると面倒な人が湧くという注意なら、その通りなので参考にはする。


 件のエイプリルフールから数年。僕は時折その話をおもしろいエピソードとして扱った。インターネット空間では強火エピソードとして笑いを誘ったけれど、リアルだと説教をされるなどの面倒な事態も起きた。説教は全部聞き流したが、聞き流すのも面倒なので、僕は次第にこの話をインターネット空間でしか話さなくなっていった。

 インターネット空間に留めておけば、黒歴史にはなりえなかったのに、と今でも思う。それでも過去の僕は止められない。

 大学生になって生物学を専攻していた頃。僕にしては珍しくアルコールの入った席で、僕と同じ病気の人に件のエイプリルフールの話をしてしまったのだ。それが、僕の黒歴史の作られた瞬間だった。

 その人は件のエイプリルフールを責めることはしなかった。ただ、「それって、何がおもしろいんですか。この病気だとそんなことにはなりえないですよ」と僕のエイプリルフールのリアリティのなさを指摘した。

 この件でどんな説教をされても意に介さなかった僕だが、その言葉には穴があれば埋まりたくなるほどの威力があった。生物学を専攻し、自分の病気についても知識があるつもりだったから、恥ずかしくてたまらなかった。

 僕がエイプリルフールの嘘のリアリティとして使ったものは俗説に過ぎず、科学的な根拠はない。そんなもので人を騙して喜んでいた高校生の僕の浅はかさ、生物学を専攻していながらその話に疑問もなく語った大学生の僕の知識のなさが消えてしまいたいほどの恥となった。


 大概の失敗は意識して忘れたり、それを想起させる人と絶縁して思い出すきっかけをなくしたりすれば、いつしか風化していく。それでも、僕はこれだけは忘れられない。

 リアリティとして俗説を使って得意気にしていたことも、その誤りに気づけないまま過ごしたことも、僕の消せない黒歴史になってしまった。

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