僕は世界を異にする

染井雪乃

黒歴史はいかにして芽吹いたか

 高校最後のエイプリルフール、僕は渾身の嘘を当時の友人グループの一つに送信した。それは、「余命宣告を受けて、一年の命と言われた」と報告するものだった。非常に珍しく、治療法も存在しない病気にかかっていて、普段も病弱な僕が言うからこそ、一定のリアリティのある嘘だ。

 社会経験を経た現在の僕は、エイプリルフールとはいえど、その類の嘘に本気で怒る人もいるのを認識している。しかし、当時はそんな認識はなかった。ギリギリのラインを攻めて、すごいエイプリルフールをやってやろうの一心だったのだ。

 少し詳しい事情を話すと、そのグループでは前の年に「留年しちゃった……」と迫真の嘘をついた人がいて、僕も含め、ほとんどの人が騙された。その人のキャラクターだけでなく、春休みのこの時期であるからこそ、リアリティも高まり、信じてしまう。そして、爽快なことにエイプリルフールの嘘はその後一年は本当にならないというジンクスもある。騙されて楽しみ、嘘そのものが実現しないことにもほっとできる。秀逸な嘘としか言いようがない。


 僕の渾身の嘘――余命宣告の報告――は、留年の嘘よりも反応が悪かった。前の年のことを覚えていて警戒している人もいただろうし、嘘の内容に眉をひそめる人もいた。一人はしっかり騙されてくれて、自分の嘘のクオリティに満足してスマホの前で得意気にしていた。

 今現在、この友人グループのメンバーの誰とも交流がない。こう書くと愛想をつかされたようだが、このグループは連絡不精ばかりが集まっていることや卒業式の後に進路決定する人が多い学校だったことで、自然消滅した可能性が高い。学校で会うならまだしも、自分から相手の合否を尋ねるメッセージを打つなんてできない。合格と不合格の間には容赦ない壁があり、不用意に踏みこめば気まずくなる。僕らはその気まずさを引き受けてでも相手の進路を知りたいとか、交流を続けようとか、そんな積極性は持ち合わせていない。その意味では、僕らは限りなく同類だった。

 

 この春のエピソード自体は、僕の少し無神経なエイプリルフールであり、若気の至りと解釈できる。高校に入って初めて友人ができたがゆえの経験のなさや世間を知らないことを考えれば、若さゆえの過ちとして処理できる。

 僕がネタにしたのは僕の病であり、僕の痛みだ。それなら、咎められるいわれはない。

 つまり、僕はこのエイプリルフールを恥じているわけではない。だが、このエイプリルフールが黒歴史を芽吹かせてしまった。僕の黒歴史にとって、これは発端といえる。

 後にこれが発端となった黒歴史ができたとき、僕は心から思った。

 何がリアリティだよ。慢心もいいところじゃないか。

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