第22話 幼馴染と韓国へ
秋の薬膳スムージーがリリースに向けてすでに製造開始した折、
妊娠の体は『溜め込む』陰であるが、出産は『外に出す』陽、つまりこれから季節は陰に傾いていく一方で千鶴の体には陽の気がもっと必要ということだ。
そんなタイミングを見計らったように、陰陽五行の思想はうまい具合に出来ている。
陰が始まる秋のエネルギーは外氣を肺から体内へ取り入れるものである。つまり取り込むエネルギーの質によって冬に体の内側で保持しながら巡らせる効率も決定づけられる。肺から陰を補給し続け、それをいかに『体内で巡らせる』ための陽を培うか。秋という季節には『培陽潤肺』の薬膳が求められてくる。
そこでの『陽』は『陰中の陽』、太極図で言えば黒いエリアの中にある白い丸を指す。それがどのように出産に役立つのかと言うと、この太極図の陰中の陽こそ女性が生命を外に生みだすエネルギーであるため『秋冬の陽』を摂り入れることはまさにその手助けとなるのである。
もちろん秀吾も
秋に補うべき陰は季節の果実から始まる。
(五行図における『五果』はまた異なります)
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『季節の薬膳スムージー ~秋~』
君薬)リンゴ、ナシ、ブドウ 各果肉
臣薬)
佐薬)シナモン熱水抽出液:肺から摂り入れた気を全身に巡らせる
使薬)キンモクセイシロップ:気を巡らせ身体を温めることで上記食材が効果を出しやすいよう調整に働く
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潤いを保つ点では肺経の経絡に帰する
秋には粘膜を潤す白いものや、摂りこんだ陰を巡らせるためのピリッとした辛味のものを摂るのが薬膳としては理想である。
食卓に並ぶもので多めに摂るとよいのもやはり白と辛味。代表例を挙げれば生姜やネギ、ニラ、玉ねぎなどである。
塩をふった新生姜をオリーブオイルなどに漬け込めば保存が効く上に多くの料理にソースやドレッシングとして使い回しも可能である。
また冬に不安の高まるのが血管障害だが、その予防効果を期待できると言われるケルセチンを多く含んだ玉ねぎの皮を出汁として煮出したものをコンソメなどで味付けし、炒めた玉ねぎをその出汁で煮込んでスープにするのも良い。そこにチーズやバゲットを浸けてオニオングラタンスープを作るのも悪くないだろう。
それから皮の多い鶏ももと白菜、ネギ、ニラと一緒に白キクラゲをトロトロに溶かしたトロみある薬膳スープも捨てがたい。
加えて、夏にエネルギー発散したまま補わなかった者は空っぽのまま秋に体温を上げるエネルギーを使わねばならなくなるため疲労を伴うことが多い。日本では鰻、韓国では参鶏湯を土用に食す意図がそれである。そこで秋に補うに最適なのは山芋(特に自然薯)である。手軽に摂取できる上、胃腸も整えるので効果は覿面だ。
秋は食欲の季節と言うが、食材や使い道も豊富である。
しかしそれらの食材をただ使えばよいという話ではないのが薬膳である。
例えばナツメや
と、随分眉唾な前置きをしたが、室野観光の地産地消薬膳はもはや地域活性化企画を超えて季節の薬膳スムージーシリーズで安定的に定着し全国へと運ばれていた。
ようやく九月中旬に差し掛かり、観光業では繁忙期の一歩手前、地域活性化事業も数日間程度は休暇を取れるほどにひと段落ついた折だった。
そんな都合の良い時期にもかかわらず、千鶴が実家に行くと言い始めたのだ。
それも秀吾を置いて、しかも、平日に。
「この俺を置いていくとは!」
「平日のほうが安いのよ」
「でも帰りは祝日じゃん! 俺も遊びに行きたい!!!」
「遊びに行くんじゃないのよ。一度だけ……前振りしなきゃ」
「うあああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
「駄々をこねないで。遊びたいなら
ついに千鶴の実家に顔合わせに行ける日が来たのかと思いきや、あと数段階は乗り越えなければならない『前振り』とやらがあるらしい。今までも千鶴のペースに極力合わせようと耐えてきたのだ、これ以上ワガママを言ってその努力が水の泡と化すよりはここでもう少し耐えて千鶴の準備が整うのを静かに待つべきだと判断した秀吾はそれ以上ワガママを言うのをやめ、……
腹いせに晴弘を韓国(ソウル)に付き合わせ東大門市場でキンパとおでんをオーダーした。
「
手を併せて食べようとしたところ屋台の女性店員が晴弘に気付いてしまった。ここでは日本の一介の会社員である毒舌王子よりも世界のボクサーのほうが目立つのだ。
「ヤグラ選手デスネ! 握手クダサイ!」
「え、あ、ゴマスミダ」
立ち上がって頭を掻きながら照れくさそうに握手する晴弘を秀吾は露骨にやっかみ、再び不機嫌になって親指で晴弘を指して店員に声掛けした。
「アジュマ。コイツ クズオ スンミダ」
「てめぇ 誘ってきた分際で何言ってんだ」
「ふん。どうせお前もこういう展開を期待して付いてきたんだろ」
「んなわけねーだろ常識的に考えてよぉ」
「ハハハ、どうだか」
嘲笑だが笑顔になった秀吾を見るなり店員は目を丸くして改めて驚いていた。
「オニイサン スゴクイケメンデスネ!!!」
外見至上主義大国では人柄よりやはり外見である。秀吾は改めてご満悦となり
「カムサハムニダ ドゥナ〜、キンパ チョンマルマシッソヨ〜」
調子に乗り始めてチップまで渡していた。その金額に仰天した店員は口を手で覆い叫ぶ。
「어머어머! アンデ! アンデ! 半分返シマス!」
『ㅋㅋㅋ。見ろよこのルックスと財力を』
世界で活躍する晴弘に陳腐なマウントを取る様は実に見苦しかったので晴弘も首を横に振りながら着席しておでんをかじる。その空気を察した店員は将来性を感じて晴弘側に付いたようだ、
「応援シテマス! オッパ、ファイティン!」
精一杯の誠意を伝えたことで調和が果たされた。
しかしその誠意も他の屋台を食べ歩いているうち かすみ始め、晴弘は思わずポソリと呟く。
「うーん。やっぱソウルは所詮万人向けなのか釜山のが本場の味だし美味いな。なぁシュウ、せっかくだし一泊して釜山行かね?」
今更の提案に秀吾は思いっきり顰めっ面を返す。
「え やだよお前と海外一泊なんか」
「クソッ! こっちが誘われた立場なんだから少しは融通効かせろよ! じゃあ今回の旅費全部お前が奢れよ?」
「仕方ないな、日帰りツアーなら支払ってやるよ」
「経費で落とす気か!? 尚更一泊しようぜ。着替えは俺が調達しといてやるからお前の会社に掛け合っといてくれよ」
「やだよ、お前のそのクソダサなセンスでこの俺の着替えは任せられない」
「……俺は試合で負けそうになった時お前の顔を思い浮かべると KO 勝ちできるんだ」
「そっか。俺のおかげでもうすぐ世界チャンプだな、俺がお前を勝利に導いてやってるならもっと感謝しろよ、俺に」
「お前がサンドバッグにされてんだよ、気付け」
結局 遠路はるばる釜山に行きチムジルバンで冷たく甘いシッケを片手に羊タオルを頭にかぶり数種類のサウナや大浴場を満喫して夕食は施設内食堂でチャミスルと水冷麵とキムチを味わった。
「減量大丈夫なわけ?」
「あー。ライト級から上げたし問題ねえよ」
ライト級で筋肉が順調に付きすぎてしまい減量が過酷だったことからウェルター級に移行したところ心身ともにラクになったという。
「オマエ、白身のタンパク摂りすぎてたじゃん」
「確かにそうなんだよな、専属栄養士が指摘してくれて初めて知ったわ」
例えば陸上で言えば白身タンパクは瞬発力を要する短距離や障害物に向いている。しかし鍛えた部分に確実に筋肉が集中して付いてしまうのだ。
その点、マラソンなど持久力を要する長距離には赤身肉、ヘモグロビンが適している。とりわけ体に衝撃を受けやすいスポーツではヘモグロビンが容易に壊れてしまうため常に鉄剤を必要とする選手もいる。それと同時に持久力にもまた酸素を運ぶヘモグロビンが必要となり、それは有酸素であればあるほど消費も激しいのだ。
逆にボクシングは白身、赤身、どちらも必要であるがウェイトが重くなるほど瞬発力よりも一発の力が物を言う。つまりパワーも瞬発力も偏らずトータルバランスがすべて均一的な晴弘にはどちらの肉も大切であり偏った食事が困難だったのだ。
そのような経緯によって体重と戦闘タイプからウェルター級に落ち着いたのである。
水冷麺で落ち着いてしまうと移動が面倒になり、
そのままチムジルバンの休憩広場で寝泊まりし、
朝になれば二周目の入浴とサウナ、
朝食はご飯にキムチモヤシスープに目玉焼き付きの定番モーニングセット、
と、
チムジルバン設備内だけで何もかも解決してしまったために釜山らしさのかけらも味わうことなく、
帰国した。
「ほら見ろ! 女の子もいないからこんな有り様、目に見えてたじゃん!! ポジャンマチャにも行ってないのに! 俺の時間を返せ!」
秀吾がスパークリング直前の晴弘を捕まえて足止めし抗議を食らわせている最中、SNS では二人の並んだ寝顔写真が公開されておりジム内でも騒然となっていた。
『世界チャンプ候補のボクサー矢倉晴弘選手が釜山で王子系イケメンとチムジルバン・ブロマンス』
この不名誉な記事が韓国発信にて拡散されていたという。
ブロマンスはどうでもよいが晴弘が秀吾の幼馴染である旨を知った室野社長はすぐさまこれを使い晴弘を呼び出させ、『室野社長と握手している世界選手』の写真をホームページに大々的に掲げて投資家たちを沸き立たせた次第だ。
『地元から出た世界の選手だとは存じていましたが、まさか我が社のホープと幼馴染だとは不思議な強い縁を感じました。とても心強いです。矢倉選手にはぜひうちの地産商品で健康維持増進に励み勝利してほしいですね』
と、あたかもずっと知人だったかのような記事で便乗を果たした。
しかしその同時期、このくだらない日常の傍ら。
千鶴は実家で一人、戦闘態勢に突入していたのだった。
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【あとがき】
スポーツ栄養学については授業で聴いた内容と作者の解釈が混在しているため教科書にない可能性があります、参考文献やソース資料は存在しません(フィクションなので PubMed でも調べていません)。
作者の専門は遺伝子工学や生命科学なので出した論文も基礎医学がほとんどであり管理栄養士としては論文を出していないのでエビデンスは食い違うことがございます。
何卒ご容赦願います。
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