第11話 傍観は悪なのか
「さあ天孫降臨 神の妙薬! 体に摂り入れればあなたの健康寿命は伸び ガンも治ると言われている『
産婦人科を出て夕食の買い物に行こうと商店街に立ち寄った
薬機法でも違反に当たるため本来は通報せねばならないイベントだ。
千鶴はヒヤヒヤした様子で秀吾の顔を覗いた、が、当の秀吾はまるでアトラクションでも眺めるかのように黒曜石の瞳を煌めかせているではないか。これでは声をかけるかさえ迷ってしまう。
とは言え千鶴はまだ秀吾の毒の面を見尽くしていない。
秀吾は純粋な好奇心という毒を持って無邪気な笑顔を千鶴に向け、
「近くで見てみよう」
と千鶴の手を引いて人混みの中の最前列まで出て行った。
これがこの後すぐに毒霧と化し地獄絵図となることを千鶴はまだ知らない。だがなんだか嫌な予感がすることは確かだった。
「僕らにもください」
珍しく他人に丁寧に物を頼む秀吾。
その整った笑顔に販売者も思わず二人分用意して手渡すが秀吾が二人分を受け取り、まず一人分を試飲した。
販売者が慌てて止めに入り、
「彼氏さん! もう〜、ゲンキになりたいからって二人分飲んじゃダメですよ〜、彼女さんにも差し上げてください」
とトークするが秀吾は一人分飲んだだけでもう一人分を返し、さらに丁寧な口調で返した。
「確かに霊芝と人蔘の香りがありますね、それもわりと高濃度だ。でも妻は妊娠中でして。それと霊芝や田七人蔘は
「あ…で、ですが、これは妊婦さんの体にもよくて…」
そう言いかけた販売者は咄嗟に口を噤む。
—— (あれ…なんか見覚えある…気がする…モデルさん? 俳優だっけ? あれ!? それにしては詳しいな。誰……誰…!?)
秀吾は眉間にシワを寄せ嘲笑を浮かべながら口をつけていないほうの試飲カップを持ち上げて見上げた。
「『妊婦さんの体にいい』ね…そんなものが存在するとでも思ってるのか?」
実に低い声。紛れもなくいつもの社内でキレる直前のそれである。
秀吾の様子がガラリと変わったことに気づいた販売者はよくわからない悪寒を覚え、
「ど、どういう意味でしょうか」
と声を絞り出した。
秀吾は多くの見物人の前で音を立ててカップを置く。当然その中身はパシャリとこぼれるが貴重な商品である高級生薬を無駄にしたことよりも何か得体の知れぬ恐ろしさが販売者を襲っていた。
「『妊娠中に摂取しても問題ない』ものなら聞いたことはあるけど。ただそれも十人十色ってやつだろ? 医薬品の販売許可を得ていたとしても全ての人間に『薬効』だけが働くような言い回しは禁止されてるはずだ」
「あ…ええと、あ! 副作用のお話ですよね!? それは問題ありません!」
「『副作用』の報告がないことなんか知ってるんだよ。俺が言ってるのは『証』に合わない場合の『毒性』の話だ。『副作用』と『毒性』の違いも伝わらないなんて言葉の通じない豚だな。もう一度噛み砕いて言ってやろうか? 『こんな作用の強いものを誰彼構わず安易に勧めて体質に合わない奴が摂ったらどうする?』」
周囲で見ていた見物人たちがざわめき始める。明らかな営業妨害行為なのだがただの言いがかりにも聞こえないためこのやり取りを動画で撮り始める者まで現れた。
「お前がさっきこれを飲ませた女性は明らかに目元が青白く爪まで白かった。髪質も艶がなく皮膚には水気が足りていない。陰虚、貧血の典型例だろ。食物を消化吸収すれば少しは改善するだろうがそれがままならないから肉づきも弱々しい。つまり脾気虚の併用、消化吸収力まで低下している可能性がある、そうは思わなかったのか?」
「……?? と言いますと??」
「ここまで言ってもわからないならもう犯罪に等しいな。陰虚で脾気虚の奴に陽の強い霊芝や田七人蔘なんか明らかに『毒』だろ。陰虚だったら先に陰を補ってからじゃなきゃ陽を補えないってのは東洋医学で必ず学ぶことじゃないか。お前はインフルエンザ患者にもカツ丼なんかを食わせたりするのか?」
このセリフは瞬く間に文字化され生配信で中継がなされる。いつの間のやら『
そして次のセリフがトドメとしてニュースにまで取り沙汰されることとなる。
「ってかさ妊娠と貧血に田七人蔘なんか絶対禁忌なのは常識だろ。高麗人蔘ならともかく同じ物のつもりで勧めたならキチガイとしか言えないな。高麗人蔘が貧血改善や安胎薬で用いられてるからって田七人蔘は全く違う、血圧降下に用いられるほど血を減らす上に子宮内膜を剥がすんだぞ。ほらあの女の人、今に見てみろよ、あと三十分もすれば絶対に倒れるぞ? あーはははははは!!!」
何がニュースとなったかと言えば毒舌よりも最後の高笑いである。
「あ! この人、あの室野観光の薬膳師だ!」
売れない動画配信者の男性がスマホで動画を撮る手を止めないまま秀吾を指差して叫ぶ。が、そのセリフには即座に反応した秀吾が被せ気味に怒鳴り返した。
「そのクソダサな肩書きでもう一度この俺を呼んでみろよ!? 赤ら顔のお前には寝てる間に
もはや「殺す」と名言しているようなものである。その人でなしな言葉を皮切りに民衆が一丸となって秀吾を叩き始めた。
「ていうかあんた、なんで見てるだけだったんだ!」
「そうだ人殺し!」
「分かってたならあの女の人が飲む前に止めなさいよ!」
「本当に倒れたら通報しますよ!」
しかし秀吾のことだ、一歩たりとも引くはずがない。
「うるさいんだよ! 何も知らなかったお前らのほうが犯罪者だろ! 無知は恥なんかじゃない、罪なんだよ! それに実際手をかけたのはコイツだろ!」
販売者を指差すが、
「その販売員さんは会社に従っただけじゃないですか! あなたが教えてあげるべきだったんです!」
とまで正義を貫く者もいる。無論そんな理屈は秀吾にとって火に油を注ぐようなものだ。
「だったら俺が知らなかったならどうなってたと思う!? ヨメを流産させられるところだったんだぞ! この無知な販売員に!」
「でも知ってたじゃないですか! 事後なんですからタラレバなんて有名人としてみっともないですよ!」
「俺が有名なのとこの事件と何の関係があるんだよ、論点すり替えんな この無能ども!」
「うわ、やっぱり聞きしに勝るクズだってのは本当なんだな。有名人なら少しは自重すればいいのに…」
まさに背水の陣だったその時。
千鶴が一歩前に出た。
その瞬間、皆が一斉に口を閉ざした。秀吾も口を噤み、少しだけたじろぐ。皆の視線を浴びる中で千鶴は深々と頭を下げた。
「夫が混乱を招いてしまって申し訳ありません。イベントも台無しにしてしまって損害が出ることでしょう」
損害賠償など秀吾の両親が肩代わりすれば済む話だが金のことより人命である。千鶴は頭を上げて貧血の女性に向き直った。
「そこの方はこの販売員さんがすぐ病院に連れて行ってくれます。補水液とヘパリン、鉄剤の投与などでおそらく対処してくれるはずですから。ね?」
千鶴から話を振られた販売者は無言で髪を振り乱して頷いた。
そして最後に千鶴は付け足した。
「夫は医者じゃありませんから、口出しする義務がないのは確かです。ちょっと今スランプで…同業イベントを茶化してみたかっただけですからどうか許してあげてくれませんか」
言っていることは生ぬるいが物腰柔らかい口調と丁寧な言い回しに何故か先ほどまでのギスギスした空気が和らぐ。
その後は販売者が貧血女性の対応を終えたあと再開したイベントにて、コンプライアンスの問題はあれど秀吾が問診と視診により『証』を診て結論を出す係にさせられ他社を手伝い売り上げ貢献まで行なった。
実際問題これがまさに医療行為に当たるため禁じられているのだが、あくまで販売している対象物は『健康食品』であり秀吾が行なっているのはその『説明』という名目で推し進めイベント自体は事なきを得た。
幸いにも損害賠償は請求されなかったが…
動画公開に加え報道までされてしまい、双方の会社にデメリットが生まれたことは事実だ。
これを機に霊芝と田七人蔘のエキスには禁忌・注意事項が記されるという改善が見られ、秀吾の『梅雨の薬膳スムージー』もまた話題性から春のそれとは比にならないほど売れたのだが、双方の会社には悪印象しか残っていない。
ニュースは一時だけで終わったが動画は拡散され、情報部が収拾に労力を費やし、社長が謝罪会見で謝り倒し、その輝かしい頭頂に憐れみを抱いた者たちが「室野社長かわいそうすぎ」「公開処刑エグい」「全部あのバカ王子のせいなのに」と同情の声を上げる始末となった。
更には「てか王子、結婚してたんだ」から「よく結婚相手がいたな」まで話題が広がり、仕舞いには「デキ婚でしょ絶対」と核心を突く者まで現れた。コメント欄までが地獄絵図である。
株主たちはあれほど騒いでいた『霊芝』について手のひらを返したように言葉を慎むようになり、『茯苓』を『霊芝』と呼ぶことをやめ秀吾の望み通り『茯苓は茯苓』と改めた。
良いやら悪いやら、毒とも薬ともなる『言葉』たちは依然、揺らぎの中で青い照明のやうに明滅し続けている。
だが秀吾と千鶴の関係性はまたこの二日間で変化を遂げたことだけは間違いない。
チームメンバーが「私たちまで肩身狭くなったんですよ!」「よく平気な顔で来れましたよね!」と秀吾を責め立てるも、秀吾はいつものような理詰めの反論もせずあたかも理路整然と
「俺には千鶴さんだけがいればそれでいいんだよ。だから謝らないぞ」
などとわけのわからない理屈を吐き捨て満足気な表情で頬杖をつき目を閉じる。
当然ながら皆、天変地異を見たように固まった。千鶴を除いては。
秀吾はあの時、千鶴に謝らせてしまった後ろめたさを感じた。それと同時に千鶴が本当に、言葉通り、世界を敵に回しても味方してくれたのだと肌で感じ、そのことに満たされた。
それは単に甘やかされ自由に放置されてきた今までの人生にはなかった特別な瞬間だったのだ。
何にも代え難く言葉として表現し兼ねる『人間らしい』感情。自分以外の者を自分の人生に根付かせるという許容。
それを『愛』と呼ぶのだということは、まだ自覚などしないだろう。
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