第14話 薬膳鍋とは

「会社も儲かったことですし経費で焼き肉いきましょー」

 一人が言い始めると皆が集まるものだ。


「俺、ロースしか食えません」

「私はカルビがいいです」

 そう盛り上がっているところに水を差したのは赤羽あかばね秀吾しゅうご


「夏にこんな大量の牛肉なんて毒だろ。俺の大事な嫁に毒を食わすなよ、お前らがどうなろうと俺の知った事じゃないがこっちには豚か鶏を追加しろ」


「あああああもう! ここまできて毒だのなんだの、せっかくの打ち上げを白けさせないで下さいよ主任!」

 皆の興を削ぐようだが秀吾の言葉には一理ある。

 

 基本的に冬は牛の赤身肉、夏は豚ばら、など一般でも知られている食事法こそが食養生であるように、牛やマトンなどは熱を溜め込む力が強いため冬は体を温めても夏は言葉のとおり『熱中』症にかかりやすくなる。

 対する豚や鶏など淡泊なもの、特に豚ばらのように適度に脂肪がありビタミン B 群の多いものは体の熱を冷ます効果、つまり熱を代謝する補酵素が同時に含まれているのだ。

 豚と牛で温冷が異なるようにロースとカルビでも異なる。豚の足と鶏の足でさえ効能が違う。また羊肉ではさらにラムとマトン、つまり子と親でもまた同じ部位であっても効能が変わるのだ。夏にラムを摂る場合はカルビよりロースのほうが代謝効率がよく多量のアミノ酸によって浸透圧が活発になり水の流れが出来ることで熱中症の予防にもなる。マトンとは全く逆である。


 そんなブツクサとつぶやく独り言のような蘊蓄うんちくを聞き流しながらの焼き肉を無事に堪能しきったあと、二次会では『薬膳鍋』なるものに行き着いた。


 そしてやはりここでも混ぜるスパイスについては秀吾が主導権を握り皆を辟易させる。


「何を何の目的で入れているかも分からない『薬膳鍋』なんていつ『毒』に変わるかもしれないだろ。現にこのサフラン。妊婦にとってこれ以上の毒はないのにお前ら正気か??」


 サフランは店員にスパイス調合をお任せした際についてきたものだ、それを理不尽にもチームメンバーが八つ当たりされているわけである。


「しゅ、主任、それは店員さんが知らずに持ってきてくれたもので…」

 言いかけたメンバーの言葉を遮り秀吾は千鶴ちづるの前に置かれたそれを奪ってテーブルの端によけ、さらなる八つ当たりを食らわせた。

「店員が持ってきたからってそのまま俺のヨメの前に置くなよ」


 実際に血栓溶解作用の強いサフランはその作用から血流改善により体を温める効果があるが、血栓を溶かす力が強いため花芯一本でさえも摂ってしまえば血の固まりである胎盤まで溶かしうるのだ。薬膳鍋でしっかり摂取してしまえばリスクは大きくなることは言うまでもない。


 焼き肉に引き続き誰も何も言えないのは千鶴をネタにされているからだ。ここでもやはり理詰めにされると無視できないため千鶴の分だけはスパイスを少なめにした。


 店員は口をそろえて「薬膳だから妊婦さんにもいいんです」「健康な赤ちゃんが生まれるための養生食ですよ」と言うが。

「主任が理詰めにするとただの文句には聞こえないですからねえ。一応 理論だけは合ってますし、さすがに私たちも『薬膳鍋』なんて万人に『薬』ではないことはわかります」

 店員と揉めないように皆がそう外堀を固め、そして千鶴の身体への気遣いを見せる。



 一方、千鶴にとっては秀吾が最近自分によそよそしくなったのは他の女性と遊びたいのに体裁から遊びに出られないがゆえの無言のサインのように映っていたのだが、その実、秀吾は千鶴の腹が少しずつ膨らみゆくにつれ実感が湧いてきている。千鶴を嫌っているのではない、接し方がブレているだけである。

 それが秀吾本人にさえ自覚できていない『愛』というものだとは、互いに揃いも揃ってわかっていない。

 しかしこの日、何だかんだと難癖をつけつつも確かに秀吾が千鶴を気遣っているのだということは誰が見ても明らかだった。

「ちょっと意外ですよね、ナルシストな主任が自分自身以外のことでこんなにムキになるの」

「確かにねー。愛よね、愛」

「本人たちは無自覚みたいだけど」

「お似合いですし将来きっと安泰ですね」



 それでも、事件は起きたのだ。



 それは誰のせいでもなかった。妊娠中は『100%』という言葉など当てはまらない。どれほど気をつけていても予期せぬことは起こりうるものだ。



 千鶴が倒れたのは、妊娠からちょうど半年、七月のことだった。



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