第13話 浮気の疑念
梅雨になりアロエが栽培所で大量に蔓延っているというので「何か使えないか」という鶴の一声により社員一同は踊らされることとなった。
特に
「アロエの薬理効果は論文を見る限り千差万別だけど抗炎症作用があるということだけは確かだ。けどここで採れたアロエがどうなのか、そもそもどんな品種なのか誰も知らないっていうふざけた状況だ」
「こんなものを社長は……」
「無茶振りにも程がありますよね」
「ただでさえカツカツなのに」
秀吾は美しい輪郭の顎に親指を当て、(めんどうくさいので) 先に片付けてから医大に押し付けてしまおうと皆に適当な指示を出した。
「植物科学の研究センターにサンプルを送って分類を依頼しておこう。こっちでは in vitro の炎症誘起をしておくんだ。ケラチノサイトは高いから HeLa 細胞あたりを培養して IL-1β 添加か何かで炎症モデルでも作って熱水抽出エキスを加えて様子見すれば少しは結果が出るだろ。コントロールは 1X PBS 溶液で。あとポジコンは……溶媒が異なるのはヤだけどひとまずステロイドにしとこう。調べる因子も最小限のサイトカイン……そうだな、TNF-α や IL-6、あと、痛み因子の TRP-V1 あたりを RT-qPCR で調べて、培養上清は ELISA にかけよう。炎症性サイトカインが抑えられれば医大に動物試験を依頼してもいいかもな。ただシグナル伝達機構の上流か下流かで扱いのタイミングが変わるから少し厄介だけど TRP ファミリーの発現を抑制すれば上流阻害だろうね、だとしたら即効性も期待できる」
妥当な内容であるため誰も文句をいう者はいない。だがそのディテールに大きな問題が一件。
「わかりました。プライマーはどうします? 100bp 程度をオーダーメイドしますか?」
「……いや。ちょっと初めての物質で怖いし、既存のやつにしよう。PCR の時間が長引くかもしれないけど 150bp で頼む」
「はい」
「てか、今まで PCR にプライマーなんか使ってたのか? ふざけんなよ。これからプローブに全替えしろ」
「え。でも確認試験ではプライマーなんてデフォルトですし何よりコストが……」
「検体がめちゃくちゃ少なかったらどうする! プライマー同士でくっついて伸長して複製するだろ! ないはずのものが検出されたら洒落にならないから!」
「いや、社長どころか専務が許可しませんて」
「俺が直談判する。一般人の恐れてる擬陽性っていう結果が出る可能性がある旨で筆頭株主たちを脅しといてやるよ」
「さ、最低だこのヒト……! 普通に HeLa ごときで mRNA が採れないなんて有り得ます!? 我々の手技を疑ってるとしか思えませんよ!」
「疑って何が悪い。精神衛生面での予防医学だ、予防」
「あんたが学会発表で突っ込まれたくないだけでしょうが!」
「当たり前だろ、お前らのせいでこの俺が指摘を受けるなんて屈辱なんだよ」
「ひどすぎる! 部長に根回ししといてやりますからね!」
「その部長も言いくるめてやるよ、失敗したら全責任を押し付けるってな」
「駄目だ……ブラックのワンマン経営の走りだ……」
そこで、
そのときは誰もが『助かった』と安堵したが千鶴の口から出た言葉はまったくの予想外のものだった。
「私も主任と同意見です」
え……
と、皆は唖然とする。
「聞き間違い?」
「千鶴さん、洗脳でもされた?」
「そうだよいつも主任を牽制してくれてたじゃないか」
「いいえ。私もプローブのほうが信用できると思ったの。薬膳スムージーが売れ始めた今、いろいろな意味で注目を浴びているでしょう? そんなときに揚げ足取りで足をすくわれやすくなるから。出来る限りデータに信頼性をもたせておくに越したことはないと思うの。それに、高価なものでしっかり試験している、と公にすることは『儲かっている』と見せるブランディングにも繋がると思うのよ。社長もだけど株主たちもそういうの好きでしょう」
嫌な予感にまかせて皆が秀吾に視線を移すと案の定ドヤッと笑みを浮かべている。
「これさえなければ」、梅雨の鬱陶しさを助長しているようだった。
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「あの人の人生から女遊びを取ったらあの人には何が残るの? 何も残らないでしょう? そんな空振りのナルシストに人間らしく生きろなんて車のないカリフォルニアと同じよ」
急に仕事熱心になったらそれはそれで周囲に鬱陶しがられる秀吾。それを千鶴の前で言う社員も問題だが。千鶴は特段、気に留めてもいなかった。
——(あ。シュウくんのご両親ってカリフォルニアなんだっけ。……すごくわかりやすい解説…だけど今は話と全然関係ない…!)
話題は新規アロエの効果をプローブで実証しようというハイコストへの愚痴。千鶴が同調してしまったことで社長が同意してしまったのだ。これで喜ばしい結果が出なければチームは壊滅である。その話でランチタイムの女性陣は言いたい放題だった。
そして最終的に、未だに信じられない『結婚』の話題に到達した次第だ。
「千鶴さん、ちゃんと見張っておいてくださいね」
「いつまた浮気するか知れませんから」
「そうですよ、今は大人しいみたいですけど、人間は変わりませんよ」
一昔前の『井戸端会議』のような言い草である。しかし今も尚このような話好きが存在しているのは事実なのだ。千鶴の実家も似たような傾向があるため少し嫌気が差した。
「ありがとうみんな。私は大丈夫よ。彼の幼馴染に心強いまともな人もいるし、同居当初より主任も性格が優しくなったわ」
そのように誤魔化してはみたものの、千鶴も自分が愛されているわけではないことぐらい知っている。ワンナイト主義の秀吾をこのように妊娠という形で縛ることは逆効果なのではないかと感じていたのだ。
仕舞いには、「デリヘルでも呼ぶか風俗に行かせてあげるべきかしら」とさえ考えたほどだ。
ちょうど最近、秀吾がよそよそしくなったことも気掛かりでいた。
それが勘違いからの杞憂だということは言うまでもない。
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