第17話 デート企画の公開処刑

『薬膳スムージー ~夏~』

 春や梅雨と比較すると一目瞭然。冷製飲料という点もあって実に売り上げは好調だった。


 夏は発散する時期である。それゆえエネルギーは上へ外へと流れ出てしまい、補わねば疲労する。

 そこでそのエネルギーを補い巡らせる食材を選んだものをひとつ、

 逆にエネルギーを発散しきれず滞らせてしまう者に向けては汗や尿で発散できるような食材を選んだものをひとつ、

 と、二種類を同時発売し、さらに双方、脱水で血が粘らないよう水を補い血を洗い、心臓の負担を軽くするものを配合した。


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 ●エネルギー補充中心タイプ

 君薬)桃果肉:滋養強壮、精神安定、カリウムなどミネラルにより水分補給の効率を高め さらに食物繊維により腸内環境を整える。桃パフェなどは糖・脂質・水分とミネラルを補えるので理に適っていると言える。

 臣薬)桃膠トウキョウ:モモキョウとも読む。桃の樹液、コラーゲンであり、足りぬタンパク質を補うことができる。別名『桃の花の涙』。

 佐薬)オレンジ果皮:上行した氣を降ろし消化を促進、桃の果肉や樹皮の巡りを助ける。

 使薬)グレープフルーツ果汁:苦味が血を洗い血熱を冷まし、ビタミンやクエン酸が上記三種の代謝を助けて肝臓の解毒や疲労回復が期待できる。

 ※ ワーファリン剤を服用している者や桃アレルギーは禁忌、陰(水)の多い者は医師や薬剤師と相談すること

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 ●エネルギー発散中心タイプ

 君薬)赤しそエキス:体内の部分的に滞った熱を全身にまんべんなく巡らせ、余分な熱分は発汗の形で体外に出して解毒をする。

 臣薬)ハトムギエキス、トマト果肉:瀉下作用により体の余分な熱分を利尿し体温を下げることで赤しそによる発汗での疲労を緩和する。

 佐薬)レモン果汁、果皮:上記グレープフルーツと同様

 使薬)ハチミツ:酸だけでは脾(胃腸)を傷めるため酸を緩和し巡らせるためのエネルギーを補うことで調和をはかる。

 ※ 陰虚体質の者や虚証には不向きであり妊産婦は禁忌。特にハトムギの瀉下作用は胎児を異物と見なし排泄に働くため煎じ液を用いた本製品は決して飲用しないこと。

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 赤しそと聞くと梅干しを漬ける印象から酸味を連想して身震いする者も少なくないが実際に酸味が強いのは梅のほうだ。むしろ赤のチリメンジゾを干して乾燥させた紫蘇葉は芳しいシソの芳香を放つためその香りが全身に氣を巡らせ発汗・解毒をする。

 夏の五行に相当する色は『赤』、臓器は『心』。実際に赤しそも然り、またトマトなど赤く利尿作用のある食材は水の巡りを緩やかにし心臓への負担を和らげるものである。

 一方このような夏野菜のほとんどにはアルカロイドが含まれているため腎臓病などでカフェインなどのアルカロイドが禁忌とされている者は摂取制限がかかる。

 妊娠している千鶴ちづるは特に問題なく食しているが。


 ひとつの物を集中的に過剰摂取すれば何でも毒となる。アレルギーや禁忌がない限りは旬のものをひたすら偏らず多種類にわたり摂り続けることが丈夫な体を維持することに繋がるというものだ。


「シュウくん、例の企画は印刷できた?」

「もちろん。これ以上ないくらいパーフェクトだ、さすがは俺」


 健康維持のために一品に偏らず満遍なく百種類摂り続けた西太合。その満漢全席と言われる食事法を取り入れ……ているわけではないが、最低でも一日に三十品目を目指して献立を配分する秀吾しゅうごに従い千鶴が調理をしている。

 秀吾は「最低限でいい」と言うが千鶴には時間があるのだ。何ら苦ではないため家事担当ではない日にも気が向いた時に作っては、作り置きしているようである。


 今もその作り置き用に調理をしているまさにその最中だ。

 トントンと包丁で食材を切る音がダイニングに響く。秀吾はそれを聞くと不思議な事に心安らぐのだ。今まで育った環境にはなかった音だからだ。


 翌日に何が起きるか想像だにしない様子で心地よい時を過ごしていた。



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「あれ…ここにあったファイルは?」

 翌日の午後、社内の自分のデスクに放置していた、とあるものがなくなっていることに気付く秀吾。それがまさに命取りになる瞬間だった。


「え? 主任が今朝、午後からの会議に使うって言ってたじゃないですか。もうお配りしましたよ?」


「うそ!?!?」


 会議の時間は目前。


 ――(マズい! 見られたら本気でマズい! 間に合え!)


「申し訳ございません資料に私物が混ざっておりました!」


 全力で走って勢いよく会議室のドアを開けた労力も虚しく、すでに役員は目を通していたあとだった。


「あ 私物ってこれ? 『夫婦九州周遊計画書』……堅苦しいな」


 ――(あああああああああ! なんでこんなときに全員そろってんだよ!!!)


 普段は遅れるはずの役員までも今日に限って早く到着していた。自分のプライベートな企画に隅なくチェックが入っていくさまに秀吾は愕然と膝から崩れ落ちゆく。そんな秀吾をよそに役員たちは好き放題 話を進めていった。


「デートプランニングの模範など斬新で良いですね。内容はなかなかロマンチックでしたよ」

「たしかにねえ。これを一枚のチケットにして販売すれば案外少子化対策にも繋がるかもしれないし細かいところを修正して正式に一日デートプランで売り込もうか」

「新規事業計画はもうこれでいいんじゃないですか? 地域活性化にも貢献できますし全国にも拠点を置いて観光事業として取り組めば一石二鳥ですよ」

「しかし都道府県ごとに大使を置く必要があるよ?」


 この日は珍しく秀吾は一言も意見を述べなかった、だからこそというべきか話は円滑にまとまり、


 そして明日、デートコースのリハーサルを実施するまでに至ってしまった。


 その夜、翌日がデートであるということよりも社内評価に響いてしまうことで頭がいっぱいの秀吾はベッドに入っても尚、目が冴えてタブレットを再確認していた。


「ちーさん、どうしよう…俺、緊張し過ぎて寝れない」

「いいから早く寝なさい。熱でも出したら社内評価が落ちるわよ」


 自分もまた企画に巻き込まれていると知りながらも千鶴は冷静だった。秀吾を落ち着かせるためでもある。だがリラックスしてもらおうと考えを巡らせるほど、

 ――『ご無沙汰なんでしょ』

 先日の提携旅館の女将が言った一言がよぎる。


 ずっと気になっていたのだ。だから思わず、いや、この騒動に乗じ、いっそ躊躇いなく率直に尋ねた。


「た、……溜まってる……でしょう? 口でしてあげようかと、思うのだけど」


 率直にもほどがある。言い回しの度合いで表すならば舌下投与のニトログリセリンに匹敵する威力だろう。案の定、秀吾は確実に意味を理解した上で、それもこのようなタイミングで言われたことに思考が停止して絶句し硬直した。


 しかし千鶴はそれを『やっぱり嫌かしら』と思い直したのだ。


「こ、こんなときにごめんなさい。少しでも緊張を和らげようと……でもほら、こんな見苦しい体系だし、同じ人と二度も関係をもたない主義だものね? いいの、ちょっとでも緊張がほぐれて眠れるようならこのくらいの冗談は言わせて」


 千鶴でもドギマギするようだ、急に饒舌になった。

 秀吾は秀吾で、今更、と感じるほどのタイミングで思わぬことを蒸し返された、が、今しがたまでの社内評価に対するプレッシャーなど払拭されたことを強く実感した。


 そして意固地に高い自分のプライドを今ようやく改めて後悔する。この性格とポリシーがこのように弊害になるとは思ってもいなかったのだ。


 今や千鶴も安定期に入ったため激しくなければ性交も可能だと医師からも確認が取れている。もうワンナイトなどにこだわっていない自分がいることも秀吾は自覚済みだ。


 しかしフォローしようにも

『シャワーでヌいてるから平気だよ』

 などとは口が裂けても言えない、そこはなぜかなけなしの羞恥心が勝っていた。かと言って、

『勃っても何もしなくたって、ちーさんさえ居ればいい』

 だとか

『ちーさんは一度限りのワンナイトとは規格外だから二度目だってあるんだよ』

 なんてことを正直に口走れば何故だか自己嫌悪に陥りそうで怖いのだ。


 ――(ちょっとでも偉そうに聞こえたら何だか嫌われそうだし、ちーさんから嫌われるのは嫌だ。金銭面はどうにでもなるし今までだって金で解決してきたのに、なんか絶対に嫌だ)


 すべて、そのまま伝えればよいものを。


 相手の心に根を下ろす、ということは、その本心、真心を信じてもらうことなのだ。医薬品でもそうだが信頼がなければ受け入れられないものである。

 相手が自分の心に根を下ろしたなら尚のこと。


 だが千鶴は不思議と今この瞬間に秀吾がどんな気持ちでやきもきしているのか、薄っすらわかったのだ。それは秀吾が千鶴のふくらんだ腹から手を離さないからである。

 だから思わず笑ってしまった。


「シュウくんは本当に医学以外の表現が下手よね」


 千鶴の中にはもうあの女将の言葉への憤りはない。秀吾も後ろめたい気持ちが薄らいだ。


 実際問題として貝原益軒の『養生訓』では男性の射精については月に二回と制限がある。貝原益軒のそれは庶民に向けた『何事も八分目』という民間療法だ。そう、つまりそれ以上の回数はその当時の庶民にとって『腎氣(生命力)』を消耗する回数であり若さを失って以降の発散は無駄どころか生命力に直結するという教えである。


 千鶴に手を出さないのは大切だからだとか緊張しているからだとかそんな抽象的な物ではなく生命維持のための『月二回』を実施してのことだ、などと、いざとなればそんな言葉で論破しそうな勢いである。本当は大切だから手を出せないのだが。


 一方で、今まで未解決だった『寝る時の電気』の問題は、夜盲症だった秀吾が千鶴に合わせるようになった。気付かぬうちに夜盲症が治っていたようだ。それに明かりを消して眠りたいという千鶴にどうしても合わせたかったのだ。


 ――嫌われたくない


 今まで散々、クズ呼ばわりされても平手打ちを食らっても平気だった秀吾がようやく『誰か』を自分の人生に加えたのだ。人生初だろう、『配慮』というものをマスターした瞬間だった。


「………………ヤりたくないと言えば嘘になる!!!!!」


 千鶴の包容力に翻弄され思わず本音は飛び出てしまうが節度はしっかり守り、ちょっとだけ勃ちかけたので


 一人でトイレに駆け込んだ次第だ。


 少し気の毒に感じながらも千鶴はなんだかその姿がかわいく思えて「今更なんだから見せてくれてもいいのに」と終始笑っていた。


 翌日の休暇デートが冗談抜きに業務であることを思い知るまで、あと十二時間といったところか。


 そんなことは頭から消え去っており、すでに眠りについた千鶴の隣に自分も横たわり、その静かな寝息にひたすら安心感を覚えた秀吾は千鶴の呼吸リズムに自身の呼吸も合わせた。すると、スッと意識が遠のいた。


 これがf分の1という周波数なのかと思うほどに、それはとても心地よいものだった。




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