第16話 浮気現場

「男はね、結婚目前や奥さんが出産を控えたときにフラッと浮気に走るのよ」

 秀吾しゅうご千鶴ちづるの距離が近づいたと思った矢先、同僚が千鶴にまた下らぬことを吹き込んでいる。秀吾のクズっぷりが強く根付いているということをよく物語っているようだ。


 七月に倒れたことをきっかけに千鶴はまだ出産予定まで半年ほどだが休職することになった。それはいいのだが、たまに職場に顔を出すと秀吾に会うよりも先に同僚に捕まり、このように井戸端会議が始まるのである。


「この前なんて主任ったら提携旅館の美人女将とランチしてたのよ!?」

 そのような話題は秀吾本人からしっかり聞いていた千鶴は秒と置かず

「旅館の郷土料理に薬膳を取り入れられそうか、というミーティングよね?」

 といつもの無表情で返しをした。しかしそれも少し面白くないため同僚は話を盛った。

「でもただならぬ雰囲気だったの、笑顔だったのよ? あの主任が! 仕事相手にはサイコパスのあの主任がよ!?」

「交渉がうまくいったからじゃないの?」


「距離が近かったわ! 手を触ってスキンシップも取ってた! (嘘はついてないわ、女将のほうが主任の手を握っていたのは事実だもの)」


 事実確認ができない以上は疑うことも証明することもできないが本当であれば良い気分ではない。実際、その日は「今日はランチミーティングだから外食するね」と言い残していた。

 そして、それは今日もである。


「今日も例の女将が来るの!」

 同僚からそこまで言われてしまえば無視もできかねる。ここで適当にあしらってしまうとまた尾ひれ背ひれと話が膨らむ恐れもあるのだ。



 そして同僚から連れられ、秀吾と女将を尾行する羽目になった。



 すると会社をあとにした二人はどんどん人気のないほうに行くではないか。


 和装美人と王子が並んで歩くとかなり目立つ。変装もなしにこの有名人が本当に堂々と浮気などするだろうか。


「大変だわ……前は会社近くのカフェでランチだったのに。それに本当なら話は前回でまとまったから今日ミーティングする必要なんてないのにどうして」

 あとを尾けながら小声でヒソヒソと余計な情報を説明してくる同僚に千鶴が少しウンザリしたときだった。


 秀吾の前をリードして歩いていた女将がふと振り返り、秀吾の目をじっと見つめた。

「この先にちょっと行ってみたい建物があるのだけど、一時間くらい、付き合っていただいてもいいかしら」

 気があるのは確かであり、ミーティングと関係ないのも事実だ。真昼間に軟派をするというのは秀吾でも弁える行為だ。



 ところで秀吾は今、空腹である。

 つまり苛ついていた。


「隠れ家的なところでランチミーティングをするのかと思ってたけどそんな下らない用でこの俺を連れ回したなら今からでも旅館で食中毒事件が起きたときの対処を考えておいたらいいと思う」


 そのような厭味にも女将は笑顔で秀吾に近寄り、両手を優しく握った。


「安定期って言っても奥さんとはご無沙汰なのでしょう? ちょっとくらい息抜きするのも夫婦円満の秘訣じゃない?」


 もっともらしい理由だが『涼しい職場で韓国ラーメン食いたい』が頭を駆け巡っている衝動で秀吾は香水臭い女将の手を振り払った。


「女遊びなら結婚前に充分やったさ、ヨメさえいればもう遊ばなくたって平気なんだよ (早く戻って韓国ラーメン…乾燥ネギを大量に入れよう。社長が換気扇回し始めたらあのハゲ頭にラーメンの残り汁をぶっかけてやる ※)」

 ※ ただの八つ当たり


「理解できないわ、浮気は男の甲斐性でしょう?」


「さあね。俺はワンナイト派だったし浮気なんて一度も経験ないから。男じゃないんだろうな」


「動画で観たことあるけど奥さんってそこまで美人でもないでしょう?」


「俺は顔で選ぶわけじゃないから。まず香水臭いのキライ。一人でその『行ってみたい建物』に行ってシャワーでニオイを落として出直して来たら本社でミーティング受けてやるから。俺は戻るね」


「やだ、据え膳を断るなんて有り得ない! このクズ! ED なんじゃないの!?」


「あーはい、もともとクズだから何とでも……」


 会社への道のりを戻ろうと振り返った秀吾だったが、尾行していた二人と目が合ってしまった。


「!?!? ぎゃああああああオバケ!!!」


 叫びたいのは同僚のほうだったのになぜか秀吾が血相を変えて悲鳴を上げた。同僚に同行していた千鶴を見たからである。

 どこからどこまで聞いていたのかと思い返すほど恥ずかしくなり、思わず秀吾は女将も同僚も千鶴さえもその場に置き去りにしてダッシュで会社へ逃げ帰ってしまった。


「なんか、誤解だったみたい。ご、ごめんね千鶴さん、身重の体なのに」


 同僚は何もかもが誤解だったことを察し千鶴に謝罪するが、千鶴はなんだか胸の奥がくすぐったいような気分で少しばかり浮足立った。


 ――(仕方ないから今晩はシュウくんの好きなペスカトーレにしてあげよう)


 一人放心している女将を置いて千鶴と同僚はその場を後にした。



 その夜、今日の話題には二人して一切触れなかったのだが、秀吾はまたよそよそしい素振りで自社の旅行サイトを開いたタブレットをさりげなく、いやぎこちなく千鶴に見せた。


 悪いことをしたわけでもないのにバツの悪そうな顔である。


 千鶴は笑いを必死でこらえながらタブレットを受け取り、

「いいわね水族館。どうせならプランニングしちゃいましょうよ」

 と、秀吾に勧める。秀吾も「そ、そう? 夏だもんね、じゃあ企画書つくるよ」と下僕のように企画書をまとめ始めた。



 そしてそれは今後会社の命運を決めるほどの新たな『事業』の爆誕へと繋がるのである。



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