第7話 愛はなくとも胎児のいる同居が始まる
同居の話はすぐ実行に移された。
・家事は一日交代制とし、都合が悪い場合は当日の朝までに報告。後日、相手に代休を取らせること
・胎教や育児も業務の一環とみなし、妊娠期間も含め産後から子供の自立までにおいて家事や近所との交流など生活のすべてを日報し、業務のすべてを一日交代ないし対等な時間に振り分けること (例 産後、妻が夫の休暇中にパートタイムに出勤した場合、夫が育児を担う、など)
・互いのプライバシーを侵害しないこと
・世帯は同一とするが生計は出産まで別とし、産後は子の生計を両者の収入の加減によりパーセンテージで対等に振り分けること
念書内容も随時見直しを執り行ない、改定の日付と両者の承諾サインを要するという。要するに『対等に』と言いたいことを回りくどい言葉で書かれているのだが、双方ともに同じ職場で慣れているためか念書には至極満足し、ハイタッチで締めをくくった。
同居が成立したからと避けられない問題もある。少しずつでも周囲に挨拶をしていかねばならないものだ。
すると両親は「そうなの? 意外にウェットなのね、一生独身を貫くのかと思ってたわ」「今度紹介しなさい。
一方、
そして迎えた秀吾の家への引越し作業。秀吾の幼馴染、
「本当にごめんなさいね晴弘くん。少し休んで」
差し出されたグラスに結露が付いているのを見た瞬間、「ざっす」と嬉しそうに受け取る晴弘。軍手で汗をぬぐいストローを口にするその姿に秀吾はハンッと嘲笑した。
「俺のコーヒーメーカーで作ったやつだよそれ」
「知ってんだよ姐さんの前でわざわざ言うことか! ホント大人げねぇな」
「ふん。俺はただ引越し作業があるとしか送ってないのに勝手に手伝いに来たのはハルのほうだろ」
「んな文面『手伝え』としか受け取れねえんだよ!」
コーヒーを飲む隙さえ与えられぬ晴弘を見兼ねて千鶴は秀吾を牽制した。
「せっかく手伝ってくれてるのに酷すぎるわ、晴弘くんはあなたより働いてくれてるのよ?」
この一言に秀吾は反省どころかやや対抗心を見せ始める。
「なら新婚旅行のときにでも奢ってやるよ」
甘くて冷たいコーヒーが晴弘の心を和らげ、このような厭味にも眉間にシワを寄せて口角を上げストローをかじりながらも冷静に返す理性を与えた。
「バカかよ、新婚旅行に俺もついてく前提か? てかイマドキ新婚旅行なんて行く奴まだ存在してたんだな、はは」
「パスポートは仕事のためだけにあるんじゃないんだよ、もったいないだろ? あ、そうだ女も揃えといてやる。ありがたく思えよ」
ありがた迷惑だ。
「俺には試合があんだよ! お前みたいにプライベートで旅行してるヒマなんかねえのよ!」
「そんな事言って海外では遊んでるくせに」
「お前が俺の試合に付いてきて遊んでんだろ! 俺はどんだけボコボコにされた日でも保護者として付き添ってんじゃねぇか! 毎度毎度人聞き悪りぃな!」
「その勝者の傷を勲章みたく外国の女に見せつけてるだろ毎回。あーあ、せっかくのアイスコーヒーが生ぬるくなるじゃん、空気悪くすんのやめろよな」
どちらが悪いかは一目瞭然、ボクサーである晴弘へのやっかみであることは明々白々だった。思わず千鶴が秀吾の手をピシャッと叩く。まだそれほどまでの仲でもないのに二人のやり取りを見ていられなかったのだ。しかし効果は抜群である、ギリギリと奥歯を食いしばる秀吾に晴弘は試合勝利のときのような爽快感を覚え、静かにウィナーポーズを決めた。
引越し作業の大変さは千鶴の荷物をただ秀吾の家に運び込むだけではないところにあった。すべての家具を入れ替え、ふたり用に一掃したためだ。
多くの女性と関係を持っただろう部屋の家具を使いたくないという千鶴の健常な嫌悪感からの提案である。秀吾の両親のサポートにより新しいマンションぐらいは用意できるとの話もあったが秀吾が「住所変更なんて面倒くさい」という駄々をこね譲歩した次第だ。そのせいで晴弘は二倍以上働かされていたわけである。もちろん晴弘の憤りの対象は千鶴ではなく秀吾一人だった。
作業もひと段落し出前を取ろうとしたところ、晴弘は減量中である上に本日動いた分の体をほぐしに行かねばならないという理由で断りを入れて帰るところであった。
「今日は本当にありがとう。減量中なのに甘いコーヒーなんて私ったら」
千鶴が気兼ねしていたが、晴弘は大幅な調整は必要ないのだと
この小ざっぱりした幼馴染のおかげで秀吾というナルシストの怪物が育ってしまったのだと思ったがその言葉は心の底にそっと仕舞い込んだ。あまり言うと秀吾がしつこいような気がしたという理由もある。
見送りもしない秀吾の代わりに千鶴が晴弘を送り出し、ふと溜め息をついた。
新居が成立したとは言え堂々と公言できない状況であることに変わりはない。二人はそれぞれ単独で自立出来ていてもまだ幼い。各々が調和を知らず自分のために生きてきた。互いの何を誰にいつ紹介すべきか、何一つわからない。自分たちの状況を正直に話したところで祝福を受けないことは知っている。人間関係が希薄であるのもさることながら誰かに紹介し合える信頼も互いの中にはなく、否定は受けても堂々とパートナーである旨を主張する覚悟も愛も何もない。
片や自己愛に生きており干渉を嫌っている。
片や自分の感情さえわからず手探りだ。
ちぐはぐで、ぎこちなく、それぞれ自分が大事だった。
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