第6話 クズたらしめた過去とけじめ

「和泉さん、それは私が運ぶからデスクワークに集中して」

「あ、無理しなくていいですよ和泉さん。気分が悪くなったらすぐ言ってくださいね」


 和泉いずみ千鶴ちづるの妊娠を知った同僚たちは赤羽あかばね秀吾しゅうごの目の前でこれ見よがしに千鶴の身体を気遣い、遠回しに『主任らしく業務の上でもけじめをつけてください』と訴えているのだ。

 特段つわりもほとんどない千鶴が通常運行であるのもまた皆にとってはもどかしく、日ごろ偉そうに振舞っている上に女性関係を清算せず遊びまわっているクズ男 もとい赤羽秀吾を真人間に正す絶好の機会を失うまいと千鶴の身体を口実に強硬手段にかかっていた。


 しかしいかんせんそれらの努力も虚しく『俺の嫁になる人間がちやほやされるのは当然だ』と言わんばかりに逆効果となった。それどころか千鶴に少しでも負担をかけさせている様子を目にしようものなら鬼の首を取ったように「お前ら和泉さんに何させてんだよ」と指摘する始末だ。


 ――(そうじゃない……!!!)


「主任まで便乗しちゃいましたね」

「むしろ余計調子に拍車がかかったわ」

「ホント…そう来るかぁ……」

「真人間に更生するつもりが全然効果なかったじゃないですか」

「とは言え和泉さんに無理させるわけにいかないのはもっともだし」

「当人たちが絶妙にポジティブだからどうしようもないな」

「いやぁ、どう見ても破滅フラグとしか」

「優秀な和泉さんの相手があのクズ羽主任じゃ、ね」


 ここまで言われるには相応の理由があるものだ。社内で関係を持つのは初めてだと主張している秀吾の行為もその実 社内の人間、の、周辺にまで影響を及ぼしており、過去に従業員の一人が被害に遭っていた。その従業員の妻と不倫だのなんだの噂が立った事件が生じ、従業員自らが調べに出向いたところ探偵を雇うまでもなく堂々と現場に辿り着いたのだ。無論、不倫までするほど倫理が崩壊している秀吾ではく既婚だと知らなかったわけではあるが、それにより秀吾への評価は一気に下降。秀吾本人がまったく悪びれていなかったことも原因のひとつだが、何よりもその薄い唇から放たれた一言が彼を『クズ』たらしめた。


 ――『じゃあ関係を続けなきゃいいんだな? 一度関係を持ったら次は無い、この場でそう宣言しといてやるよ』


 これが秀吾の『ワンナイト』ポリシーの所以ゆえんであり『クズ』公認となった瞬間だった。それまでも女性関係が派手だったのは事実で大学の同期などは誰もが口を揃えて秀吾を遊び人に決定づけている。裏を取るまでもなく、いっそ潔白なほど他に何も出てこないのだ。


 だが秀吾はその名の通り優秀である。

 先の問題点は二の次にしてでも大学時代は教授陣から、社会では上層部からそれぞれ重宝されており実力は誰しも認めているゆえ、解雇は望めない。したがってほとんどの従業員は秀吾本人に直接毒を吐けるのだ。敬うつもりがないことを平社員一同が全面に出していた。


 それが秀吾の同期社員の千鶴だけは違った。心の中までは定かではないが少なくとも秀吾が自分より年下だろうと『主任』として接しており、誰に対しても平等に無表情だった。



 ただそれだけだった。



 それだけのことが忘年会の夜、秀吾のポリシーを変えたのだ。


 先日の幼馴染矢倉やぐら晴弘はるひろとのいさかいもあり、皆の空気を分かっていなかったわけでもない秀吾はこの日の退勤時、誰もいなくなったオフィスで千鶴を呼び止める。

「い、いきなりのことだから、まず俺の両親にキミのことを話して、バックアップを聞いてみるよ」

 彼なりに『けじめ』を見せようとしているのだろう。その表情はまるで小学生男子がクラスの女子をいじめたあとに先生から怒られて謝ろうとするそのものだ。

 千鶴の頬が緩みかけたとき、間が持たなかったのか秀吾は目を閉じて両手のひらを上に向け、急に饒舌じょうぜつに自分語りを始めた。


「まあ親なんかのバックアップがなくたって俺は金もあるし余裕もあるし何でも持ってるから全然俺一人でも責任とれるし? 反対されたって一緒に住んじゃったもの勝ちだろ? キミはこの俺の嫁になる人なんだ、特別待遇じゃなきゃこの俺にふさわしくないからね」


 先ほどまでの微笑ましさは一気に冷めやり、千鶴は無表情の中に静かな怒りを滲ませる。


 ――(この人の両親はともかく私の両親に会わせたくはないわ)


 それは今しがたの秀吾への怒りからというよりは、千鶴の家庭問題にもあった。この赤羽秀吾は十中八九、千鶴の実家では歓迎されない。


 ――『反対されたって一緒に住んじゃったもの勝ちだろ?』


 一理ある。他の利己的発言はともかくこの言葉だけかいつまんで心に残し、千鶴は秀吾の自分語りを遮る形で両手を握った。


「では一緒に住む計画をしましょう。私も少しくらいはお金を出せるから。計画書をお互いに書いて照らし合わせてみてはどうかしら」


 やや業務的だが、秀吾は先ほどまでの騒がしい独り言をピタリと止め、黒真珠のような瞳を丸く開きまっすぐに千鶴を見つめ、数回、長いまつ毛をしばたかせて無言で一度だけコクリと頷いた。

 舞台は同居の成立まで来てしまったということだ。


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