第5話 春の陽氣と幼馴染


「春は気の巡りが悪くなると気が塞がり、まず気道の出入り口、喉が塞がります。喉がつかえる感じがする、それは気滞に多い症状で咳き込みを伴う人もいます。思い煩うと肺や脾に影響するのでやはり気道や食道が塞がり、特に白は五行で悲哀を指すため春に物哀しい気持ちになりやすい人は肺や気管に注意するほうがよい…舌や皮膚、粘膜が白っぽいと肺気虚である可能性もあります。したがいまして春に悲哀を感じやすい人は肺の気を補う百合根や竜眼、ヤマイモ、生姜などを積極的に摂ると気持ちが楽になるでしょう。春に気が滅入る人は青物野菜やセロリなどの香り物、シソや柑橘類などで気を巡らせると喉のつかえも取りやすくなります。咳き込みや神経性胃痛といった裏証まで進行している場合は半夏厚朴湯のような漢方薬もおすすめです。以上、地域活性化プロジェクトにおける中医学の強化講義を終わります。ご清聴ありがとうございました」


 地産地消を主とした企画商品『春の薬膳スムージー』の売れ行きが好調になるにつれ赤羽あかばね秀吾しゅうごによる講習は他社や大学からも依頼が増え、仕舞いにはカスタマーサービスへの問い合わせで

「ずっと白血病と闘って生き抜いているんです」

「胃がんを告知されて、妻も娘もいてマンションのローンまであって…助けてください」

 このような内容が後を絶たないという。


「助けてほしいのはこっちだよ!!!」


 どう言おうと観光業、その社長である室野むろの守重もりしげが声を荒げるのももっともだ。医療機関ではないためこのような問い合わせに対応するのは違法であるが無下に突き放せばモンスタークレームが殺到する、八方塞がりというものだ。


 逃げ道はただひとつ。

「弊社は観光会社であり地域活性化の一環として県産物を掲げた東洋医学を担っている次第でございます。疾病治療、ではなく、健康維持、を目的として商品販売を許可いただいた中小企業のため、医療行為は禁じられております。薬機法のもと何卒ご理解の程、よろしくお願い申し上げます」


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「総務さんたちが気の毒すぎて」

 優雅にドリップコーヒーに入れたミルクをマドラーでかき混ぜてため息をつくチームメンバーの男性社員の言葉に誰もが『だったらお前が』という苛立ちと『気の毒なのは同感』という不甲斐なさの間で揺れ、何も言えないまま淡々と時間だけが過ぎていた。


 その殺伐とした環境を作った張本人、赤羽秀吾は定時退勤後、幼馴染と呑気にバーカウンターで肩を並べていた。

 無論。晴弘のほうは気が気でないが。


「おま…お前…とうとうそこまで…」


 和泉いずみ千鶴ちづるとの現在までの始終をサラリと聞かされた矢倉やぐら晴弘はるひろは開いた口が塞がらず硬直したまま、そのカクテルを持つ手だけが震えていた。世間話や近況報告にしてはあまりに重く、しかし秀吾の話ぶりはまるで「今朝通勤のバスを一本逃しちゃってさ、危うく遅刻するところだったよ」と同じ温度だったのだ。晴弘が顔を強張らせる一番の理由はそこである。


 しかしその表情に何を勘違いしたのか秀吾はネクタイを緩めながら軽くジンライムを口にし、フウと清涼感ある吐息をもらしてドヤっと顔を決める。

「俺のモテっぷりに畏れをなした?」

「お前のクズっぷりにビビってんだよ」

 当然の返答である。自分のどこをどう捉えれば晴弘の顔色からそのような解釈ができるのか知れたものではない。が、秀吾は否定を受けると理詰めで反論に持っていくきらいがある。


「なんだと! 幼馴染の言うセリフじゃないだろ」

「幼馴染なのに未だにお前を理解できねえんだけど!? はぁ…絶対お前を好きになる女全員お前の顔しか見てねえだろ…」

「何人か紹介してやろうか。俺はもう結婚しなきゃだし」

「要らねえよお前の顔しか見てねえ女たちだもん。てか俺、女欲しいなんて話いま微塵もしてねえよな。都合よく話題逸らすんじゃねえ」

「ヒトは若く名も無く貧困でなければ良い仕事ができないってマオ沢東ツォートンも言ってるだろ!」

「底辺を知って這い上がれってことだろうが。若く名も無く貧困だからってそこに甘んじちゃ何もできねえよ。毛沢東は 一を以て十に立ち向かえとも言ってんぞ」

「それ単なる多勢に無勢じゃん!」

「同じ毛沢東のお言葉だろうが。……いやほとんど同じ意味だろ! クソがよ また話題逸らしやがって」

「今思ったけどリンカーンのような思想は俺には合わないな」

「だろうな、大平正芳の『素にありて贅を知る』のも無理だろ」


 いかんせん、幼馴染だけあり秀吾よりも数枚は上手をいくのが晴弘だ。結局理詰めをしたつもりが次第に押されて詰み返され、まるで言葉を覚えたばかりで言い間違いバツが悪くなった五歳児のような態度で口を尖らせて外方そっぽを向く、それが家族や晴弘の前での秀吾である。晴弘にとっては茶飯事であるため「またかよ、すぐこれだ」と呆れてニコラシカを飲み込み、カクテルグラスを置いた。


 帰り際、バス停の前まで見送りに付き添った晴弘は少し改まった様子で秀吾に問いただす。


「お前、マジで覚悟ねえだろ。互いの両親より先に俺に報告する馬鹿がどうやって家庭を築いて守れんだ。甘く見てんじゃねえ」


 ずっと秀吾の胸の奥につかえていたそれをついに晴弘から釣り上げられ、それでも喉の奥で春の陽氣が塞がったように留まって声にならない。


「……ハルには関係ないだろ。自分だって結婚もしてないくせに」


 晴弘に視線を向けることも出来ずそう憎まれ口を呟くのがやっとだった。百も承知のことをわざわざ言われたくない、だが幼馴染に吐き出して何か反応を返してもらい現状を整理したかっただけである。実際には現実を痛感させられただけに終わり、そこに晴弘が追い討ちをかけてきた。


「関係ないわけあるかっ。今まで散々お前の尻拭いさせられた挙げ句これだろ! いい加減にしろよ! もう知らねえからな!!!」


 バスが来るより前に啖呵を切り、まだ気持ちの整理も追いつかぬ秀吾を一人残して颯爽とその場を離れてしまった。

 秀吾も秀吾で都合よく耳触りのいい言葉など期待していたわけではない、むしろこうなることは目に見えていたが、何故かいつも晴弘に報告してしまうのだ。そして返り討ちに遭い、傷心…するかと思いきや、


「ぶはーっ! ああクソ! これだから言いたくなかったんだよ! やっと帰ってくれた!」


 この性格はもう治ることはないだろう。

 晴弘もまた翌日にはいつも通りの態度に戻るため双方大概であった。


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