第4話 毒と婚約

 春の薬膳について毒が云々とチームメンバーにごちゃごちゃ騒ぎ立ててから数刻と経たずに訪れた昼食休憩の折、皆各々ランチに外出しようと席を立ったときだった。

 赤羽あかばね秀吾しゅうごが己のデスクの引き出しからおもむろに取り出した物体におののいた一人の男性社員が声をあげる。


「あれだけ薬膳を語っておきながらカップ麺ですか!?」


 秀吾は「俺は公私混同なんてしないんだよ」と恥も外聞もないセリフを吐き捨て、まさに皆の視線などおかまいなしに即席麺の包装を開封し給湯室で湯を注ぎ、ついでながら冷蔵庫から冷えたドクターペッパーまで取り出してデスクに戻ってきた。生活が苦しいわけでも仕事に追われているわけでもないことぐらい周知だからこそこの昼食内容は理解出来ない。

「だからってあんな会話のあとによくそんな栄養のないもの食べれますね」

「『栄養』がないって? 内容を見ろよ、炭水化物、リン酸、油脂分に塩分。『栄養』なら過剰なほど入ってんじゃん」

 自分勝手な秀吾らしい文句で対抗する。しかし他の同僚たちも負けじと自らのランチタイムを割いてまで口答えをし始めた。

「いや、必要栄養素とは違うものまで入ってるじゃないですか!」

「体に悪いもの摂って倒れたらどうするんです!」

「そうですよ、ただでさえ細…スリムなのに!」


「なんだと」

 細…スリム、という発言は秀吾が唯一自身のルックスで気にしている部分である。そこをわざわざ的確に突っ込まれてしまい、再び『スイッチ』が入ってしまった。発言者がハッと口をつぐむもすでに遅く、即席麺を湯戻ししている三分間の間に秀吾の言葉の羅列が彼らを黙らせることとなる。


「いいか、震災なんかあった日には添加物をまったく排除した食生活なんて不可能なんだよ。オーガニックだの無添加だのだけを摂り続けて耐性も無くなったときに災害に遭ってみろ。健康に気を遣いすぎて添加物をちょっと摂った程度で悶え苦しんで早死にするのが健康と言えるか? 今吸い込んでる酸素でさえ毒なんだよ、毒。この世の全ての生命体は微量の毒を摂り込みその代謝経路を身に付けて地球で生きてんだ。無害なものしか口にできない奴らなんていざってときに戦力でさえない豚に成り下がるゴミ同然じゃないか。真に健康と言えるのは毒を摂らないことじゃなく毒を摂っても代謝できる強靭な体だろ。俺がカップ麺を食うのはそういう理由だ、覚えとけ!」


「言ってることめちゃくちゃですよ!!!」

「午前中の薬膳のくだり全部吹っ飛びました…」

「あの人はスイッチ入ったらもう何言っても駄目だから行こう、時間の無駄だ」


 言いたい事だけ言えて満足した秀吾は周囲の軽蔑などお構いなしに即席麺をほぐし、ズルズルと華麗にすすりこむ。

 誰もが呆れかえって散り散りになる中、


 和泉いずみ千鶴ちづるが切り込んだ。


「主任。では私も添加物たっぷりのものを摂るべきですか?」


 秀吾はドクターペッパーの缶をプシュっと開封し一口含んで静かに言い放つ。


「……和泉さんはダメ。ほら、妊娠してるから」


 サラリと言い放ったその一言に周囲はさらに騒然となった。

「え!? あ、え???」

「そうなの???」

「そんなデリケートなこと公言しちゃっていいんですか?」

 皆は千鶴と秀吾を交互に見ながらそれぞれの反応を窺うがどちらも真顔同然で否定もしないため信じがたくとも信じざるを得ない話だ。


「うん。忘年会のとき俺が孕ませたから今度責任取って結婚するよ」


「えええ!!!」


 当然の反応であるが、千鶴も無表情なりに少しだけ感心していた。

 ――(あ、一応結婚することにしてくれたのね…)

 プライベートでセンシティブな内容を勝手に公言されたことには怒らないようだ。


 千鶴の感心をよそにランチどころではなくなった一同は立て続けに質問を重ね始めた。いや、質問以外の内容のほうが多く、それも本人の前じゃなくランチでコッソリ言うべきことも多分に含まれているが。

「なんでそんな重要事項をちょっと会議欠席した穴埋めするみたいに!!!」

「本当ですよ、いつかやると思ってました」

「それも同じ職場内だなんてありえない」

 それをどう解釈したのか秀吾はドクターペッパーの缶を置きサラリとした王子のような黒髪を掻き上げて自分に酔いしれる。

「ああ、俺も罪な男だよね、ルックスよし仕事できる上にモテるなんて欠点のカケラもない。所帯は持って然るべきものだったんだ」

 吐き気を催すようなセリフに誰もが目を逸らし、本人に聞こえるようにヒソヒソと活舌よく小声で話し合う。

「これですよ、これさえなければ…!」

「この人本当にクズですよね」

「人の公私混同にはとやかく言うのにね」

「一度でも関係を持った人とは二度目はない みたいなこと言ってましたけどやっていけるんでしょうかね。これって和泉さんの破滅フラグでは?」

「しっ。和泉さんも聞いてるんだから気を付けて!」


 しばらくはこの話題で持ちきりになるかと思いきや、さすが現代人というべきか、二日後にはもう日常の業務に追われて二人のことどころではなくなっていた。現代では人のうわさなど一時間もあれば消えるものである。



 日常業務、というと、この短期間にまたひと悶着起きていた。

 くだんの『春の薬膳スムージー』がまだ OEM 確保や製造販売許可もないうちに先発してホームページに公開されるというので役員を含めた会議にて POP のスライドが表示された瞬間だった。秀吾の表情が誰の目にも明らかなほど「してやられた」と読み取れるそれへと変わりゆく。

 イメージモデルは赤羽秀吾である、会議上でのサンプルの為本人許可は無い。秀吾にとっての問題はその写真ではなく肩書きにあった。


「『薬膳』師!? 誰がそんなクソダサな肩書きをこの俺に付けたんだよ!!!」


 社長、副社長、専務、本部長、他部署長もろもろの御前でも関係なしに暴言を吐く。秀吾の美徳観念は至極まともだ。肩書きを必要以外にアピールすることがいかに美しくないかを知っている。そのような美学など知る由もない役員たちは秀吾の美しくない言葉遣いに過剰反応し、成人式のとんだ暴れ馬でも出現したかのように資料から顔を上げた。


 しかし、社長も伊達に彼を見てきたわけではない。秀吾の扱いなど心得ている。

「赤羽君、これはキミにしかできない大役なんだ。男性で東洋医学をアウトプット出来る人間はまだ日本には少ない。(ルックスだけでも)きっともてはやされるはずだよ」

 社長の言葉の裏には秀吾のルックスだけでも集客できれば充分に元は取れるという算段があったのだが言葉の表面通りに受け取った秀吾は当然、噛みしめるように目を覆って上を向いた。

「え~…困ったな、これ以上もてはやされても疲れるだけなんですよまったく。あ でもそこまで言うならしょうがないですね。薬膳師で売り出してくださっても構わないですよ。あ〜、サインとか写真とかは困りますからカスタマーサポートの方々にはその旨お伝え願いますね」

 社長と秀吾で茶番劇でも繰り広げているのではないかというほどの阿吽の呼吸のようなやり取りに皆キツネにつままれた気分で咳払いし、現実の会議に戻った。


 そして後日、ホームページの PR 欄には白衣姿の秀吾の写真、と、『顧問薬膳師監修』というクソダサな文言が載せられたが傍から見ればただ顔写真にはモデルを雇っただけだと受け取られ社外の人間から秀吾についての問い合わせを受けることは一度もなかったという。商品発売前には肩書きの下に『※ 弊社に実在してる人物です』と加えるよう社長から指示が出た次第だ。



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