第3話 職場でもパワハラにつき

「おい、パッケージにどうして禁忌を記載しないんだ」

 赤羽あかばね秀吾しゅうごの一言がチームの空気を凍らせた。

 間違いなく、秀吾のデスクの前でパッケージデザインのサンプルを提出している者は泣く羽目になるだろうとルーチンのように予想がついているメンバーはすかさず各自 顔をパソコンにのめり込ませて沈黙した。


「あの、ですが、これは健康食品として売り出すものなので医薬品…のような…禁忌などは…」

 言葉尻がどんどんすぼんでゆく女性社員のか細い声をパッケージサンプルが掻き消した。バシッとデスクにぶつかる音に数名はびくりと背筋を伸ばす。


「医薬品じゃなく健康食品として売り出したいのなら健康に気を遣った配合を考えるべきだろ。春の薬膳スムージーだとハッキリ謡っておきながら何寝言を呟いてんだよ。薬膳だとか健康だとか言う以前にこれはれっきとした『毒』だ」


 そのスムージーとやらの配合は以下の通り。

 ・サンザシ粉末

 ・クコの実果肉

 ・ザクロエキス

 ・イチゴ果肉

 ・クエン酸、pH 調整剤、増粘剤デキストリン他調整物

 pH 調整をしているとは言え、


「まず原材料を見ただけでも酸が強すぎる。似たような性質のザクロとイチゴを混ぜて酸を強めるぐらいならハチミツか豆乳でも入れて味の調和をはかるべきだろ」


 東洋医学の世界では、天の季節は地の気にも同様に流れておりその季節は体内にも流れてるという天地人合一の思想が根底にあるものだ。つまり天が春を迎えエネルギーの流れが外に向かう時期というのは地の生き物も地中から地上に出て来る、人が感じるのはその最終段階、体内エネルギーの流れであり、気が発散してしまい覇気を失う『気鬱』、気が上昇したまま滞り のぼせや苛立ちを訴える『気逆』が生じやすくなる厄介な季節なのだ。

 その対策で食材を選ぶ『薬膳』の基準ももちろん存在する。五行において五季の『春』に相当する五味は『酸』、同じく相当する五臓は『肝』である。『冬』に『腎』で蓄えた氣が春に『肝』へ移行し、肝氣が外に溢れ出す、これが自然の流れである。しかしその自然な流れの上で、人は不調をきたすものだ。

 春、とりわけ春分は昼夜が同じ長さであるため体内の陰と陽も同じ程度しかバランスを保つことができない。したがって『酸』の食材で『肝陰』を養い『肝陽』を抑え巡らせて陰と陽の量を春分に合った量に調和させる、そこでようやく


『薬膳』


 となるのだ。


 が。酸が肝を調節するとは言え『酸が強すぎる』のは胃腸が焼けやすくなるため薬膳の世界でもハチミツなどの『甘味』で中和をはかるのが普通である。そしてこのスムージー企画の問題はそれだけではなかった。


「サンザシの寒熱は温、補瀉は瀉、潤燥は潤、気を巡らせるかは中間。そしてここからだ、食禁忌。帰経は脾,胃,肝。五味は甘,酸。……まず胃腸や肝臓に熱証 (※) があった場合は悪化させる恐れがあるのは承知じゃないのか?」

 ※ 熱証:炎症の炎のほとんどは実・熱と考えられるため、『熱』に『温』を補うことは好ましくない。ここでは肝炎や急性胃腸炎にサンザシは不適切だと言っている。


「枸杞子(クコの実)は寒熱,平、補瀉,補、五味,甘、帰経は肝,肺,腎、サンザシと重なっている帰経は肝のみだ、けどサンザシが瀉す分、枸杞子で補うのは悪くない組み合わせだよな。サンザシで肝陽を抑える分、抑えすぎないよう枸杞子で肝氣を補うだろうから陰陽のバランスは春分を中心に考えれば問題ないな。ただやはり実証には禁忌のものだ、特に熱だけでなく湿の実証でも今度は補いすぎになる。もし実証の消費者がこの組み合わせで飲み続けてみろ、いずれ肝障害や胃腸障害でも起こすんじゃないか? はは、人体実験か。面白いな」


 実際には少し飲んだからと影響はないのだが、問題はそのような人が『春の不調に効く薬膳スムージーだから』と飲み続けたらあり得なくもない話である。


「そんなところに滋陰作用のあるイチゴやザクロだと? 俺がこの組み合わせを『薬』じゃなく『毒』だと言ってるのがまだわかんないのかよ。肝陽を抑えるものだからと何もかも押し込めば『毒』になるだろ? それでも『薬』だと主張できるならキミが O-157 (※) に罹患したときにでも飲んでみろよ!」

 ※ 胃腸の『熱』が特に『火』にまで進行する重篤な食中毒。


「そ、それは……さす……」

 さすがに飛躍しすぎです、というまともなツッコミさえも喉を塞いでしまい、押し殺していた涙がポロポロと頬を伝い始めた。

 しかしその涙をぬぐってやるどころか秀吾は涙の出どころを絶たんとばかりに目つぶしのごとくパッケージサンプルを突き返して言い放った。


「肝に働くものを詰め込みすぎなんだよ、イチゴかザクロのどちらかを削って『毒』性を中和するようなハチミツか豆乳をブレンドするなり、肝陽を抑えながら気も巡らせられる苦味・寒涼性・かつ潤燥が燥で帰経が肝の解表をもつ食材を入れるなりすれば『薬膳』の文言を入れられるだろうな、だけど今のままじゃ『禁忌すら書いてない薬膳』だし『飲み続けたら毒になる健康食品』でしかないだろ。キミの無能さを使って老人以外の人口まで減らそうとするなよこの犯罪者予備軍が!」


 ついに女性社員は泣き崩れ、居ても立ってもいられず給湯室のほうへ走り去っていった。離れているとはいえ、このシンと静まり返った室内には彼女のしゃっくりが聞こえ、なんとも居たたまれない空気である。


 それが午前中のことだった。


 少し落ち着きを取り戻したころ、チームの同僚、かつ秀吾の同期である和泉いずみ千鶴ちづるがデスクで項垂れる女性社員にこっそりとイチゴミルクのパックを差し出した。まだ結露もうっすらと膜を張ったばかりの状態だ。

 見たくもないはずのイチゴミルク、だが敢えてそれを渡してきたのは意味があるのだろう。


 黙って受け取る姿を見届けたあと、千鶴は静かに口をひらいた。

「赤羽主任はまだあなたの案を全否定していないわ。何度もヒントを言っていたでしょう?」

「でも、言い方が…あんなに理詰めにされると…」

 また泣き出しそうになる彼女の前に、スッとカンニングペーパーを差し出した。その紙に視線を落とすと、一番に目を惹いたのは『君臣佐使』の文字。


 君薬とは、主たる作用を目的に入れる生薬である。

 臣薬はその君薬を助長させるものだ。

 佐薬は補佐、君臣が強く作用しすぎぬよう調和する。

 使薬、すべての生薬が目的のために働きやすいよう整えるものである。


 千鶴の渡した紙には以下のような箇条書きがあった。

 ======

 *春の薬膳スムージー*

 コンセプト:春の不調を助ける地産地消品。

 春に肝氣が上昇し滞れば のぼせや苛だち、『気逆』の原因となる。それを緩和するために肝の陽気を抑えて全身に巡らせ、陽気があふれすぎて鬱状態となる『気鬱』を防ぐために陰を補い、陰陽のバランスをはかる。

 *配合の君臣佐使*

 君:サンザシ(粉末)…肝氣を巡らせ陽気を抑える【温/瀉/潤】

 臣:クコ(果肉)・イチゴ(果肉)…補肝、滋陰【温,平/補/潤】

 佐:菊花(熱水抽出物)…清熱解毒、清頭名目【涼/瀉/燥】

 使:ハチミツ…君臣による胃腸の刺激を和らげる【平/補/潤】

 *用法上の注意点*

 春の薬膳を目的にしているため夏には飲用をやめること。健康食品ではあるが肝炎や急性胃腸炎、むくみのある者は医師または薬剤師などに相談することを推奨。一日の上限はパック1本厳守。肝臓や循環器の治療薬を服用している者は禁忌。

 ======

 女性社員がふと千鶴のほうに顔を上げると、千鶴は無表情なりに優しい眼差しで『もう一度がんばってみて』と言いたげに頷いた。


 案の定とも言うべきか、午前中の嵐はどこへ行ったのやら秀吾はそれでパッケージサンプルをもう一度作り直すようにと一言だけ添えて審査を通した。

「あとは栄養成分表も作り替えといて。分析センターに出すぐらい出来るだろ」

 などという皮肉は健在だが、女性社員はそのような言葉を右から左に聞き流し今度は明るい表情で千鶴のほうに向いて小さなガッツポーズを取った。


 今回の指摘点を本当に理解したのかどうかは定かではないが一件落着ではあるだろう。「春だけの商品だから販売期間は迫ってるけど企画自体は悪くないな。シーズンごとに処方を変えればそれなりに追っかけも出て来るだろ」安直でもあるが実際そういうものである。夏は蓮の花から熱水でエキスを抽出する、というコスパ度外視な秀吾の一言が少しだけ強烈に耳にこびりついた以外は皆も夏の薬膳スムージーの開発が楽しみであった。


 この午後に、大事件が発生するとは知りもせずに。




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