第2話 その男 クズにつき
過ちだったとは知らずその一夜のあとは会社で顔を合わせても互いに何事もなかったかのように日常に戻り四ヶ月が過ぎた。
忘れたころにやってきたその話は春の蒼空に響く
「どうする…結婚、しなきゃ駄目なのか…?」
ベッドの上でブツブツと独り言を呟く日曜の朝。ほとんど眠れなかったのだ、『王子様』が台無しである。
—— 金さえ渡せば納得してくれるだろ。向こうだって結婚までは迫ってこなかったし。第一お互いまだそんな迫られる年でもないじゃん。…あ、向こうは二歳上だっけ? いやそれはいいんだよ。うーん、俺ってば年上によくモテるぜ、罪だよな。ハッ! 違う違う。そうだよ仕事、仕事があるだろ。和泉さんだって戸籍変えるのも手間だろうし互いの生活があるのにいきなり変わるの嫌に決まってるよな。うん、そうに違いない。よし、まずは産むか堕ろすかもう一回確認して請求額に応じよう。
ろくでもない考えを巡らせながら、アメリカ帰りの両親が昨晩立ち寄り大量に置いて行ったシリアルを開封しザラザラとボウルに移す。もちろん両親にはこの事件について何一つ話していない。
冷えた牛乳を注ぎ、椅子に座り込みスプーンでジャクジャクとシリアルを混ぜながらまだ悶々と悩んでいた。
妙な部分で完璧主義の秀吾には今しがたの結論が不服なようだ。
—— こんなの俺じゃないぞ。美しくない、俺だったら俺を嫌うに違いない。もっとパーフェクトな答えがあるはずだ、俺にとって。
ポリポリとシリアルを噛み砕く音だけが部屋に響いている。そのシンとした耳鳴りにさえ気付かぬほどの執念で一番最高の答えを探していた、自分のために。
—— あいつに相談するか? いやいやこんな重要事件、めちゃくちゃ干渉してくるに決まってる。ここは事後報告でいこう。
あいつ、というのは秀吾の幼馴染のことだ。保育園から学生時代を終えるまで一緒だった上に今は飲み相手、兼、報告相手と化しており、つまるところ保護者のような存在である。
—— 事後報告でもうるさそうだな。俺の一番聞きたい答えを知ってるくせにわざと空振りさせやがるから嫌いだ。
まだ否定もされていないうちに被害妄想の苛立ちからガシャンっと空のボウルにスプーンを投げ入れる。しかし食器の洗い物をし終え、洗濯物を持ってベランダに出た際に鼻をくすぐる春の陽光が先ほどの腹立たしさを和らげた。
心が柔軟になった折の晴天の下、春の風に揺れる洗濯物にふと視線を移した瞬間だった。
ハッとインスピレーションのように何かが降りたのだ。
「俺は…やっぱり最高だ…ああ神よ。信じてないけど…とにかく神よ。目に見えなかった俺の魅力にまたひとつ気付かせてくださり感謝します」
—— そうだ和泉さんが産もうが堕ろそうが俺が金を払おうが結婚しようが結局全部同じウエイトだろ。どちらかと言えば潔く結婚するほうが美しいぞ俺! そして産んでいただこう。そうすれば理想のイクメンで有名になったりして! こういうのは遅いより早いほうがいいよな。多くの愚民のように慎重になりすぎて先延ばしにするほど老後が押していくんだ。若く美しく負担の少ないときに全部終わらせて余生も周囲より若々しく美しく生き生きしてるほうがいいに決まってる! 俺は死ぬ瞬間までパーフェクトだ!!!
「はは……ははは! はぁ…罪深い…!」
今のところ誰もツッコミはいないが普段であれば件の幼馴染がこれでもかというほど構ってあげている。しかし誰もいぬ今はひたすら暴走するだけだった。
陰から陽に移りゆく春は体内の氣も陽の性質に変わり外に向かって放出されゆく時期。新芽も虫も変質者も春に地中から外に出てくるのはそのためである。
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