壺中日月長、苦楽相なりや

洪 臾殷(HongYueun)

第一部

第1話 衝撃の妊娠報告

 忘年会からちょうど四ヶ月。

 それが妊娠三カ月目だった。


「あの日、避妊してませんでしたよね」

 コーヒーの置かれたテーブルで向かい合う男女の席に、和泉いずみ千鶴ちづるの落ち着き払った声。いかにもな生々しいそのセリフから状況は鮮明に推測される。


「え!?」

 千鶴が言わんとすることなどおそらく誰が聞いても理解ができるはずだが赤羽あかばね秀吾しゅうごは黒い瞳を丸くして聞き返した。内容を理解できないのではない。


 秀吾と千鶴は観光会社の地域課企画部門の同期であり医科学の中でも予防医学に特化した地域活性化プロジェクトを推進するチームに所属している。特に秀吾は薬学を始め東洋医学と現代医学の双方に長けていながら商品開発と製造販売でも大きく利益を出したことで若くして主任を担っている。その上麗しい黒眼にサラサラと揺れる黒髪、端正な顔立ちにスッとスリムな身体、外見だけは『王子様』という表現が適した好青年である。

 そのような条件が彼の自己愛主義ナルシズムにますます拍車をかけて今に至る。


 秀吾の中では人生順風満帆だったのだ、その帆に横殴りの風が吹き付けるまでは。


「もう一度言いましょうか」

 無表情で淡々とした千鶴の物言いに一層焦りを覚えた秀吾はあからさまに笑顔を作りコーヒーカップを口に運んだ。

「まさか。何かの間違いじゃ。ほら俺モテるしさ、こういうこと初めてじゃないんだよ。結局妊娠なんてウソだったこともあるし」

「一度限りと断言し合った主任に私がそんな稚拙なウソをつくように見えますか。何のメリットもありませんよ」


 同期で同じチームとは言え無表情で寡黙な千鶴とは仕事以外の会話もなく、忘年会の解散後にちょうど同じタクシーに乗り合わせただけだった。乗り合わせた理由もただ同じ方向というだけできっかけはこのように何の変哲もない。


『あ〜和泉さんって落ち着くなあ。そうだ、一回だけシよ!』


 言い出したのは酔って千鶴の肩に頭をもたれた秀吾のほうで、千鶴にとっては本当にメリットもない提案だった。

 ただ物珍しさからその夜は提案を飲んだのだ。

『いいですよ一回だけなら。でも一回だけですよ。職場で関係は持ちたくありませんから』

『俺だって職場の人は初めてだよ』

 だからどうだと言うわけでもないのに得意げな表情で普通のホテルに直行したため当然ながら避妊具さえなかった次第だ。


「あの一回が命取りだったのか…」

 ソッとカップをソーサーに置いて頭を抱えるも生命は爆誕してしまったのである。

「そもそも、だ。…本当に本当に本当に俺の子?? 和泉さんが単に俺と結婚したいから他の男との間にデキた子を言い訳に…」

「なんですってこのクズ。もう一度言うわよ、あなたと結婚して、私に、一体何のメリットがあるのよ」

「ご、ごめんなさい! (逆ギレだと!? 疑って何が悪いんだよ!)」

 急に敬語を崩して怒りを露わにした千鶴の迫力に気圧され、つい謝罪を口にしてしまう。クールではあるものの気の知れた同期たちの間でさえ怒ったことなど一度もない千鶴が怒るのなら余程のことである。現に余程なのだが。

「自分で SNP 遺伝子検査ジェノタイピングをやればいいじゃないの。PCR と電気泳動やシーケンスぐらい出来るでしょう」

「手技は問題なくても時期尚早だろ!?」

「胎盤から組織採取できるんだから尚早ではないわ」

 胎盤はほぼ胎児と同等と見なされるため胎盤遺伝子を次世代シーケンスにかけることは可能である。母体側の胎盤と父親側の唾液などで親子関係の確率が高く検出されたなら出生前でもほとんど間違いなく親子であると証明される。が、

「七週目まで待たなきゃ出来ないじゃん! どっちみち堕ろせなく…」

 産むことが前提の検査である。

「堕ろせって言うの?」

「い、いいえ…」


 無論、自分の手で検査をせずとも心当たりはしっかりあるためこれ以上の口論は無用と秀吾も自覚している。


 ただ、ただ受け入れられないだけだった。


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