神様へ自由落下

 空島の狭い居住区にも、両手の指よりちょっと多いくらいの、同世代のガキがいた。ヒトがそんだけ集まれば力の弱い強いとか、頭の良い悪い、視力とか記憶力とかそういう個人の能力にも見えるくらいには濃淡があって、何となく序列があった。


 まあ、大人のソレに比べれば緩いもんだけど。


 トップを張ってた奴は別に、狙ってそうなった訳じゃなかった。というか自分がガキ共の大将だとすら思ってなかっただろう。大将の特権、皆で歩く時は一番前を歩く。「いただきます」の音頭を取る。大人の目を欺いて遊びに行く時の言い訳をする。


 ……こうして書いてみると、大して有難味ないな。むしろ負担の方がデカかったかもな。


 とにかく、そいつが皆の大将だったのは誰もが認めるところだった。図抜けて大柄ではないけど頼り甲斐のある体型、深い洞察力と知識、何より頭の回転がすごく早かった。事実と事実をくっつけて、見えないものを見るのが得意だった。


 だから、そいつには見えてしまったんだな。「神様」が。


 ***


 今日は町外れの洞窟に行ってみよう、とそいつが言った。俺やそいつが属していたグループは、冒険が好きで、いつも新しいことをやりたがる雰囲気があったけど、流石にほとんどの仲間が反対した。


 多すぎるくらいの「これをやっちゃダメ」を俺たちは大人から聞かされていた。夜は家に帰らないとダメ、空気塊は一気に食べちゃダメ、天井から下がってる重りにイタズラをするのもダメ。一通り喋った大人たちは、そして最後は必ずこう言う。


 お前たちが全部覚えられるとは思ってないから、今言ったことはちょっとくらい忘れてもいい。でも、これだけは絶対に絶対に忘れるなよ。


 洞窟には立ち入るな。


 洞窟に入って帰ってきた奴はいない、俺たちはみんなそう教えられて育った。冒険を楽しめるのって、帰って来れるかどうか分からない緊張感があるからだろ。絶対に帰れないなら、もはやそれは冒険じゃない。


 俺たちはそう言って奴を引き留めようとした。でも奴は不敵な笑顔を浮かべてこう言った。


「分かってないな。洞窟にはな、いるんだよ――神様が」


 神様って何だよ。問い詰めた俺たちに、奴はしたり顔でこう言った。


 俺の言う神様ってのは、俺たちみたいなヒトを造り出す存在のことだ。ウソだと思うだろ。でもじゃあ、お前ら、自分がどこでいつどうやって生まれたか説明できるか? 生まれた瞬間のことは覚えてなくて、気がついたら居住区にいた、そうだろ? それはな、神様の仕業なんだよ。


 お前ら、隣の区にある研究所を知ってるか。最近あそこが、洞窟探検に乗り出した。第一探検隊は洞窟に潜って、そのまま帰ってこなかった。みんなそう思ってるけどな、俺は違うって知ってんだ。


 第一探検隊の奴らは「生まれ変わった」んだよ。最近、居住区の外れに新しく入った連中がいるだろ。知ってる者が見れば分かるんだが、顔立ちが第一探検隊のいなくなった奴らと瓜二つなんだよ。あれこそが生まれ変わりだ。


 滑らかな語り口で俺たちに滔々とうとうと話してみせた奴は、最後にこう言った。


「生まれ変わりの秘密、俺たちで暴こうぜ」


 俺がすっかり興奮して仲間を見渡すと、みんなキラキラした目をしていた。せまい居住区を飛び出して世界の秘密を見に行こう、そんな提案が魅力的でないわけがなかった。


 ***

 

 翌日、空島に朝が来ると、俺たちは居住区の片隅で集合した。大人たちの目を盗んで柵を乗り越える。ちょっと急な崖を、助け合いながら登る。ごつごつ張り出した岩をぐっと掴んで身体を持ち上げると、登った先には広い草原が広がっていた。どこまででも行けるような気がして、俺はたまらなく楽しくなった。


「やっほぅ!」


 誰かが叫ぶ。エーテルの満ちた青空に吸い込まれていく笑い声。身体が軽くなり、俺たちは転がるように草原を駆け抜けた。一番先頭を走っていた俺らの大将は、眩しそうな目で振り返る。年相応にきらきら笑っていた奴は、ふと目を見開いた。すぐ後ろにいた俺に、「あれ誰だろ?」と小声で問いかけた。


 ほら、あれ――と草原の向かいを指さす。


 高く茂った草の向こうに、見慣れない人影が佇んでいた。無骨な感じのリュックを背負い、膝まで編み上げたブーツを履いた若い男は、この辺の居住区じゃ見ない顔だった。ぼんやりと歩いていた男がふと俺の方を見て、一瞬だけ目が合う。


 その時、なんだか笑ったような気がした。


「何だアイツ」


 気持ち悪いヤツだな。俺が鳥肌の立った腕を擦ると、あの男について聞いてきた当の本人である大将が、何やってんだよ、と振り返った。


「早く行こうぜ」

「あ――おっけ、すぐ行く」


 冒険への期待感の前にはどうでも良いことのはずだ。でも、俺は仲間たちを追いかけながら、心のどこかでブレーキを掛けられたような気分になっていた。あの男、たしかにこの辺の住人じゃないけど、なんだか見覚えがなくもないような。気にはなったけど、俺は無理やり気持ちを切り替えて、仲間たちと一緒に、草原の片隅に口を開けた洞窟の中に足を踏み入れる。


 そこには、暗い道が緩やかに、どこまでも続いていた。


「すっげぇ」


 ひんやりと冷えたエーテルを吸って、速くなる鼓動のままに叫ぶ。岩のでっぱりに手を掛けて、小柄な仲間を支えながら、一歩一歩奥へ進む。この奥に、大将が言っていた「生まれ変わりの秘密」があるとしたら、それはどんな形と色をしているんだろう。想像するだけで胸がおかしいほど高鳴って、いつの間にか草原で見かけた不審者のことはすっかり忘れていた。


 さて、こんな無謀な子どもの冒険譚は、朝露のきらめきより儚く砕け散って終わった。


 空島の自転に伴って、緩い下りだった道は崖に変わっていく。だけど道の方もぐねぐね曲がって、気がつけば俺たちは、登りも下りもできない場所に追い込まれていた。上に向かって狭くなる、深い穴の底。


 周囲の壁を崩せないか、と大将が提案して、俺たちは壁に一斉に体当たりを始めた。


 それが失敗だった。


 ぎっちり岩が噛み合っていた床が開き、俺たちは崩れた床もろとも、下に落ちる。とっさに掴んだ岩壁は一秒も持たずに崩れ、俺の四肢は引力に従って虚空に放り出された。


 暗い。

 何も見えない。

 耳元で風が唸る。

 指先が軟らかい空気を切る。


 そうして自由落下していった俺の身体は、唐突な力によって制止された。内臓が腹の中で動く感覚に、思わずえづく。たっぷり数十秒、俺は生きた心地がしないまま目を瞑っていたが、そこでようやく、自分が落ちていないことに気がついた。


 何かに支えられている。


 おそるおそる目を開けて、胴体をぐるりと囲む力の源を探すと、斜め上の方向に、こちらを見ている笑顔を見つけた。


 その顔には見覚えがあった。


「あ……さっきの」

「よう。久しぶり」

「ひ、久しぶりって何だよ……?」


 まるで昔からの友達みたいな言い方をするが、一瞬目が合ったのは「出会った」のうちにすら入らないんじゃないか。俺の疑問に男は答えないまま、無事か、と尋ねてみせた。


「怪我とか、してないか?」

「う、うん。俺は平気……でも、皆は」

「ああ……」


 哀れむような目で、男が笑う。その視線が、爪先のほうを向いているのに気がついて、俺も胴体を抱えられたまま下に視線を向けた。


 空中にぶらりと揺れた足の、はるか下。


 そこには、灰色の岩壁とは似ても似つかない、どす黒い赤色をした巨大な塊が浮いていて、四方に無数の足を伸ばしていた。臓物のような質感をまとったその塊は、まるで鼓動するように蠢き、表面を覆うひだが擦れ合って


「――え、うぇっ……」


 その隙間に浮かんだ仲間の顔が


「嫌だ、おいっ、嘘――」


 すり潰されて砕け


「あ、あぁあ……!」


 どろりとした液体混じりの何かに変わった。ヒトの頭が潰される瞬間を目にして、身体が絞られたような感覚に襲われたかと思うと、喉を割いた悲鳴とともに俺は腹の中身を吐き出そうとする。


「おっと、それはダメだ」


 それが口から溢れる寸前、男が俺の口を手のひらで抑えつける。苦くて酸っぱい、固体混じりの液体が口の中で暴れ回って、俺はこれでもかと眉をしかめた。


「零したらヤツが来る、飲み込んで」

「――ヤツ、って」


 気持ち悪さで頭がどうにかなりそうなのを堪えて尋ねると、アレだよ、と男は視線で下を示してみせる。巨大な心臓みたいな塊が、今まさに仲間だったモノを飲み込むところだった。


「なあ」


 身体をガクガク震えさせた俺に、男は少し優しい声になって問いかける。


「なんでお前たち、こんなトコに来たわけ? 洞窟には入るなって、散々言われなかったか」

「――そうだけど、でも洞窟には神様がいるって、聞いて、それで……生まれ変わりの秘密が、ここにはあるって」

「神様ねぇ」


 男は苦笑した。


「賢い子どもがいたもんだけど……じゃ、目的は果たしたワケだ。そうだろ? あの、気持ち悪い内臓みたいなヤツが……お前たちの言ってる、神様とやらだよ」

「あ――あいつに呑まれたら、どうなるの」


 内臓のひだに呑まれていった仲間たちは、ちゃんと生まれ変わるんだろうか。俺はおそるおそる問いかけたが、それより、と言って男は俺の身体を抱え直した。


「さっさと上に戻ろう」


 そう言って、片手で俺を抱えたまま、男はロープを手繰って身体を持ち上げる。ぽろぽろと砕ける岩の向こうに、僅かな光が見えた。だけど俺は、落ちていった仲間のことがやっぱり気になって、下を向いてしまった。


「――たすけて」


 その声を聞いてしまった。


 神様だと思っていた、赤黒い塊の上。身体をほとんど飲み込まれて、血塗れになった俺たちの大将が、折れた指をこちらに伸ばしている。たすけて、と血の泡を吐きながら、うわごとみたいに何回も繰り返す。


「あ――ま、まだ、生きて――」

「助けて……た、たすけ、え」

「な、なあ、せめてアイツだけ……!」


 男の服を掴んで縋るが、ダメだ、と首を振られる。そうこうしているうちにも、俺たちの大将だった仲間は、か細い悲鳴とともに呑まれていく。


 頬を伝った涙が落ちて、仲間だったモノたちの血溜まりに跳ねた。

 その直後。


「――しまった」


 舌打ちに被さるように、轟音が響いた。上から礫がバラバラと降ってきて、身体にぶつかる。赤黒い内臓が四方八方に伸ばした、無数の腕の一本がロープに巻き付いて、俺たちふたりを支えていたはずのそれは、いとも簡単にちぎれた。


 自由落下。


 俺たちは一緒に落下して、ぶよぶよの塊に捉えられる。ほとんど痛覚すら感じないまま、暗闇に飲み込まれて、俺自身と俺以外の境目が分からなくなった。


「あー、やっぱ、ムリだったか……ごめんな?」


 隣にいる誰かが、申し訳なさそうに言うけど、その姿は見えなかった。もしかしたら見えないのは、俺の目がもう存在しないからかもしれない。


 妙なほど冷静に、俺は自分が消えゆく事実を受け止めた。悲しみを感じる器官も消えてしまったのかもしれない。その代わりに、分からないままぶら下がっている疑問が、やけに気になった。


 生まれ変わりの秘密。


「結局、なんかの間違いだったのかな、生まれ変わりの神様って」

「いいや。それは違うね」


 初めて出会ったはずなのに、どこか懐かしい声が答える。


「生まれ変わりは実在する。オレもお前も、こうやって空島に喰われたけど、またしばらくしたら、空島のどっかに生まれるよ」


 落ち着いて語ってみせてから、男は少しだけ、悔しそうに言葉を歪ませた。


「でも、あぁクソ、どうしたら良いんだろうな。いつだってオレたちは、最後には、岩に喰われる。どれだけ服を加工したって、オレたちの肉が、ヤツの格好のメシであることは変えられない」

「なぁ……そもそも、空島はなんで、俺たちを襲うの?」

「さあね、でも、もしかしたら――これは空島からヒトへのハグかもしれないな。ただ、ちょっと強い力で抱きしめすぎて、ヒトの方が壊れてしまう、みたいなさ」

「自分を殺した相手に対して好意的すぎだろ、アンタ。まあ、別に嫌いじゃないけどさ、そういう物語ロマン

「そうだろ。ヒトは浪漫主義者ロマンチストであるべきだ」

「そこまでは言ってない」


 世界が真っ黒に染まっていく。今まで“俺”だったものが虚空に吸い出されていって、何も見えなくなりながら、ふと、脳の隅っこに残った“俺”がこんなことを考えた。


「喰われるなら、逃げちゃえば良いんだ」

「……ん?」


 誰かが不思議そうに唸る。


「逃げるって?」

「俺たちを喰うのはこの空島だろ。空島じゃなくて、もっと違う場所でヒトが生きれたらさ、喰われる心配なんてしなくて済むじゃん」

「なるほどね――そいつは浪漫があるな」


 満足げな呟き。


「次は、絶対助ける」


 何もかもが静まりかえった世界で、僅かに跳ね返る声を聞きながら、“俺”は消えていった。

 

 ***


「やっぱ子どもって冒険したがるもんだよなぁ」


 崩れた岩壁の前で、腰を抜かしてへたり込んでいた俺の前に、そのヒトは突然やってきた。編み上げたブーツと、一振りのツルハシを携えて。


「……だ、だれ」

「オレはお前の兄ちゃんだよ」

「はぁ?」

「そんでお前は、オレの弟なわけ。さ、行こう。そんで、こんなっまい場所、とっとと出てやろうぜ」


 兄ちゃん――と名乗った男は、まだ地面に腰をついている俺の胴に手を回したかと思うと、軽々と持ち上げる。崩れ落ちた崖の向こうから、まばゆい光が降ってくるのが見えた。

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