トートロジーの証明

@KRinpen

プロローグ

 屋上の手すりに腰かける女が一人いた。高所に吹く激しい風を全身に受け、背中までのびる髪をなびかせている。手すりの先に障壁はない。一歩踏み出せば、7階のビルから簡単に落下できる。

 眼下には夕暮れに沈む住宅街と、そこに直線を引くように直立するコンクリートの壁。彼女がいる建物は、壁の内側に建っていた。


「せんぱ~い、またここにいたんですかぁ?」


 その言葉に特段返事をせず、彼女は眼下の景色をぼうっと見つめ続けている。返事をしない様子に、彼女の後輩はハァとあからさまなため息をついた。


「……なんでいっつもここにいるんです~? 景色、全然綺麗じゃないし~」

「考え事をするには、一番いい場所なの」

「ふ~~ん、そうなんですねぇ」


 その返答に納得していないのか、不満げな顔を隠せていない。自分のことを見ようともせず、微動だにしない彼女に呆れたのか、後輩はくるりと背を向けた。


「まあ、ここにいてもつまらないし帰ります~。 でも、次の仕事の話があるそうなので、早めに戻ってくださいね」

「わかった、ありがとね」




 遠ざかる足音と扉の閉まる音を聞きつつ、彼女は目を閉じ、両手の平を合わせて握りしめる。


 ―――じゃあ、どうすればいいんだよ!!


 無力さに打ちのめされた叫び声と、小刻みに震える青年の背中。その光景を思い出すたびに、心臓の鼓動が早くなる。耳奥に鳴る激しい音を抑え込むように、彼女は手を強く強く握りしめる。

 その問いに出した答えは壁の内側に来ることだった。ゆっくりと瞼を開き、今日も、何度も繰り返した8年前の答え合わせをする。

 ひしめく民家と点在する寂れた小さな公園、それを結ぶ道路で構成された、ありふれた景色。屋上から見る景色は、彼女の前でまったく姿を変えることはなかった。変わらない街と、あの部屋で彼が日々を過ごしていることを想像する。彼女の眼下の光景は、その想像を肯定してくれた。また、「正解」だったと、過去の自分に丸を付ける。彼女は深く息を吸い、絡めた指を解く。手の甲には爪の痕が残っていた。


「……行かなきゃ」


 手すりを軽く飛び越え、壁の外に広がる世界に背を向ける。次の仕事のために、彼女は屋上を後にした。

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