第42話 興奮

静かな部屋の中で時計の針がカチカチと音を立てる。

首元にはトキの息が当たり今私たちは側から見れば明らかに変な疑いをされるような体勢でいた。



『…ちょっ…と、トキさーん』



息を荒くするばかりで力強く私を抱き潰す彼に私は呼びかけた。

しかしその抱擁は緩むことなく成す術もなかった。


仕方なくただ抱きしめられることにすれば、トキは気づくとスースーと寝息を立てて寝ていたのだ。



『えっ!?寝た!?』



まさかの急な彼の眠りに私は呆気に取られた。

そんな彼からこっそり抜け出そうとするも、腰に回った手は力強く解くことが出来ない。


何度か踠き脱走を試みるも、結果は完敗。

一切動くことの出来ない私はそのままの体勢でいることにした。














あれから何時間か経った頃、漸くトキの寝息が止まりゆっくりと起きる気配がした。

ずっと今までトキに抱きしめられて動けなかったせいで変な体勢だった私は少し足を痛めてしまった。


案の定目が覚めたトキはギョッとするとすぐに手を離して私から距離を取った。


失礼な、その態度は普通私がするべきでしょ。

なんて思うも明らかに動揺している彼に何も言えなくなった。



「…マジでいっそ殺してくれ」



『いや物騒な事言わないでよ』



また新たに部屋の隅で丸くなったトキは膝に頭を埋めなるべく縮こまろうとしていた。


その様子を見ていたら何だか私の方が冷静でいられる気がした。


反省して膝を抱えるトキを見て小さく笑う。

やがて話題を反らせようと部屋を見渡すと、机の上にリンゴが置いてあるのを見つけた。


私は一つリンゴを手に取ると彼にそれを向けて食べるか聞いた。



『リンゴでも食べて落ち着いたら?』



「落ち着く訳」



何かしてあげようと思った気持ちは少し空回りしてしまったものの、私は仕方なく一人でリンゴを食べるとその椅子に座った。


反省してこっちにまったく来ようとしないトキ。

私はそんな彼を見ながらリンゴを齧った。



『トキって人肌恋しかったりするの?』



「は?」



『だって人のことすぐに抱きしめるし抱きしめて興奮してるしそうなのかなぁって』



「…それだけ聞くとマジで変態みたいだからやめろよな…てか普段から人抱きしめてもあんな興奮状態にはならない」



『…え、じゃあ僕に興奮してるの?』



彼の発言にドン引きしながら言えばトキは少し怒ったように顔を背けて否定した。



「んな訳あるか!だから何度も言ってんでしょうが!アンタが変なんだって」



『人のせいにするのはいただけないなぁ』



「ムカつくなその言い方。…アンタを抱きしめると…いやアンタに触れるとなんかよく分からないけどこう…力が漲るって言うか…その…」



歯切れ悪く話しながら、やがて恥ずかしくなったのか彼はまた頭を掻いて耳まで赤くした。


彼の言う事が本当ならば私には何か不思議な力でもあるのだろうかなんて考えてしまう。


けど魔法も使えない私にそんな力があるとは思えず、顎に手を当てて訳を考えた。


そう言えば私の母であるアンナは絶世の美女で守護神たちを惑わせたと聞いた。

もしかしたらその母の血が関係しているのかもしれない。


魔女とは人を惑わせるものだ。


だから私には人を惑わせる忌まわしい物があるのかもしれない。


それが事実ならば私は安易に彼に近づいてはならない気がした。



『その…もしかしたら悪魔ならではの特徴なのかも。あんまり僕に近づかない方がいいよ』



あんなに自分から近づいといて今更何を言っているのかという感じだが私はそう言って目を伏せた。


悪魔と呼ばれた母の娘である以上、何かおかしな事が起きるのは至極当然のことだ。



それがもし悪魔だから起きている事なら、私は気をつけなければならない。

どう足掻いたって悪魔ということに変わりはないのだから。



「…だからアンタは悪魔なんかじゃねーって」



『トキが優しいのは分かる。けどどうしたって悪魔の本能には逆らえないものでしょ』



「…そーゆーことじゃなくて。あーもう!とにかくアンタに触れると心が落ち着くんだよ!!悪魔だから誘惑されたとかそんなんじゃなくて、落ち着くし元気になるし癒される訳!!あーっ!もう!恥ずかしいこと言わせんな!!!」



『…』



私がしょんぼりしていると、トキは立ち上がって私にそう叫んだ。

あまりに勢いの強い彼に呆気に取られ目をぱちくりとさせる。


トキは相変わらず顔を赤くしたままそんなことを言ってどさっともう片方の椅子に座った。

そして雑に机の上のリンゴを取ると豪快にかぶりついた。



『…トキ』



「…とにかく謎に魔力が高まる気がするし、魔法を使えないアンタはオレの魔法補助として活躍してもらうから。どうせ魔法使えないから魔法使えるオレの補助しろよな」



『わ、分かった!それで役に立てるなら全然使って!』



「…素直すぎかよ、もうちょい否定しろっての」



『え?』



「アンタいくら男と言え、やっぱりあの魔女の息子なんだ。変な輩には気をつけろよ」



『トキみたいな?』



「オレじゃねーよ!!」



そんなことを言い合いながら私は笑った。

もっと早くにトキに出会っていれば、もっともっと彼とこうして笑い合えていたかもしれない。


不器用だけど優しいそんな彼に、私は心から感謝していた。


















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