第41話 抱擁

人の足音がした道とは反対の道をトキは馬を引いて歩いた。

彼が先頭を歩き危険がないかを調べてくれている。



『ところで、どうしてトキはいつも転移魔法使うとあんなに苦しくなるの?』



二人で暫く無言で歩いていたので私は思わず前を行くトキに疑問をぶつけた。


転移魔法を使って血を吐く姿を毎度見ると言うのも辛い。

それにどうしてあの魔法を使うとあそこまで苦しむのか単純に知りたかった。


トキは歩みを進めながらその質問に答えてくれた。



「まぁ簡単に言うと転移魔法って魔力をかなり消費するんだよ、今のオレは完全な状態じゃないから身体が追いつかないんだ」



そう言った彼の言葉に私は少し考え込んだ。

つまり魔法使いたちというのはまず魔力があってこそ魔法を使えるのか。


そして転移魔法という物は普通の炎や風や水の魔法に比べて魔力をより消費するものなんだと。


だからトキはいつもあんな状態になってしまうらしい。



『完全な状態じゃないってどういうこと?』



「ん〜、まぁ魔力が足りてないってこと」



『ふーん…』



魔法をまだあまり知らない私にとってトキの話はまるで御伽話の中の物語のようだった。


けどこの話を、周りの皆は恐らく当たり前のように聞けるのだろうと感じる。


知りたい。もっと色々なことを知りたい。


私にはまだまだ知らないことがたくさんある。




「さてと、取り敢えずここにはまだクロウノジュールはいないな。ん〜、ここら辺の空き家に泊まるか」



路地裏を進み続けるとトキがある場所で歩みを止めた。

薄暗いこの場所には何軒か扉が破壊されたような跡を残した家が建っていた。


家、と言えるかも怪しい程ボロボロで雨漏れしそうな場所だけど。



そんなボロ屋を見るとトキはなんの警戒もせずにその壊れた扉の中へ入って行った。

あまりに狭い入り口なので白馬には待っていてもらう。



私も彼の後に続いてその壊れた家に入れば、そこは蜘蛛の巣と埃だらけの綺麗とは言えない状態の部屋になっていた。


ベッドも壊れ眠るとか以前の話だ。

真っ暗で明かりもない部屋の床には時々見たくない黒い虫が這っていく。


それに思わず顔を歪めればトキは手のひらに小さな炎を出し部屋を照らした。



さっきよりも鮮明に破壊された部屋の隅々が見えて私は何となくトキの側に近寄って助けを求めた。

この雰囲気、何だか変な怪物でも出そうだった。


まさかこの中で今日泊まるのだろうか。



そんな不安を抱えたまま周りを見渡していれば、突然トキが隣で吹き出した。



「ははっ、まさかここで寝るの〜とか思ってる訳?こんな汚い場所じゃオレも無理だっつの」



『な、なんだ…良かった』



まさかとは思っていたがなんとかここで眠るのは避けてくれるらしい。

しかしトキは一向にこの部屋から出ていく気配がない。


あろうことか部屋の隅々まで観察し始めて私はギョッとした。


壊れたベッドの大きさを手で測り、部屋の角を目視して、何やら頷いている。


そうして暫く徘徊するとトキはこの部屋の真ん中に立って腕まくりをした。



「よし分かった。今からどデカい魔法使うから離れときな、巻き込まれたくなきゃね」



そしてそんなことを言うと、彼は指で地面に何か描きその後手を合わせて目を瞑った。


言われた通り少し遠くからそれを眺めていると、やがて光がトキの周りに集まってきて彼の髪を揺らした。


壊れた扉から風が吹き込み、光はトキを囲むように広がっていく。






そうして呆気に取られていると、やがて彼が目を開いて何かを唱えた。












『!!』















次の瞬間、部屋は明るくなり壊れたベッドや机や床、扉までもがまるで新品かのように直っていった。


天井には今まで形すらなかった小さなシャンデリアがぶら下がり部屋を照らす。

ほぼ壊れて素材と化していた机も新品のような木の板で姿を現しさらには椅子も出現した。


さっきまで壊れていた扉も今では外からの風すらも閉じ込める程頑丈になっている。


私が立っていたこの床も綺麗に整えられてどこからどう見ても新居のようだった。


壊れたベッドは見事に元の姿に戻り人が眠れるようになっている。




今見ている光景があまりに夢のようで私はずっと開いた口が塞がらなかった。




しかしそんなことを思っている間に、トキはズカズカとこっちへ歩いてくるとまた流れるように私を抱きしめてきた。



『わ!?』



彼の突然の抱擁に驚く暇もなく、咄嗟に対応出来なかった私はそのまますぐ近くのベッドに倒れ込んだ。



ボフッと柔らかい布に包まれると同時に、上からのしっと彼の全体重が重なってくる。


また呼吸を荒くしたそんな彼の姿を見て、私はすぐに察するとトキのその背中をゆっくり摩った。



こんな大きな魔法を使ったんだ。魔力の消費は半端じゃなかったはず。


何故彼が私を抱きしめるのか毎回不思議ではあるものの、それによって症状が和らぐならいくらでも私を使って欲しかった。



魔法を使ってすぐに私を抱きしめた彼は今度は血を吐かなかった。


呼吸こそ荒かったものの、私を上から強く抱きしめるとゆっくりと深呼吸を繰り返す。



『ゆっくりでいいよ、トキ』



「…っ…はぁ、はぁ…ぅ…」



呼吸をなくしてしまう程荒かったものの、時間が経てば彼のその呼吸はゆっくりと落ち着いたものに変わって行った。


それに合わせて私もずっと背中をトントンと叩き続ける。














やがて静まった部屋の中で、トキがそっと身体を離した。




私を組み敷くように両手をベッドに置いて上から見下ろしている彼。

何故か頬が赤く火照ったようなトキの顔を見て思わず私は動けなくなった。




彼はそんな私をジッと見つめるとやがてそっと片方の手で私の首を撫でてきた。





『っ…ちょ、トキ』





何故彼がそんなことをしてきたのかは分からないけれど、その行動に思わず身を捩ればトキは突然我に返ったようにハッとすると勢いよく私から距離を取った。

















『…トキ?』















「…なん…だよ今の…その、悪いマジでごめん」



















部屋の隅っこの方で蹲りながら謝る彼を見て私は思わず笑ってしまった。

確かにびっくりはしたけど何だか謝る彼の姿を見ていたらどうでもよくなってきた。


彼は魔法を使ってくれたのだから、感謝しかない。



おかげで綺麗になった部屋を見渡して私はトキにお礼を言った。



『ううん、むしろこっちこそありがとう。部屋が綺麗になって嬉しいよ』



「…いやもっと突っ込めよ…男なのに男に組み敷かれるとか最悪だろ少しは気にしろっての…」



少しだけ頬を赤くした彼は照れているのか頭を掻くと目を逸らしてそう言った。


何故彼が今我を失ったのかは分からないけれど、もしかしたら魔法を使いすぎると副作用的なことが起こるのかもしれないと思った。


ならば今起きたことも致し方ないということだ。



『ほら、そんな端にいないでこっち来なよ』



「…嫌だ」



『なんで』



「…なんか、やっぱアンタ変なんだよ」



『酷いって』



「…その、なんか、アンタに触れると…」



相変わらず部屋の隅でボソボソと話すトキに私は小さく笑った。



『じゃあなんで魔法を使ったの?それになんで毎回抱きついてくるの?』



「…それは、アンタに触れるとなんかいつもの発作が治るし今回もその方法でやろうと思ったら…なんか暴走しちゃって…」



『いいじゃんそれで。結局トキに発作は起きなかったんだし』



「いや、別の発作起きそうだったからマジで」



なんて話をして耳まで赤くする彼。

何だかその姿がとても可愛く見えて私は小さく微笑むと彼の近くに寄った。


そのことに少しだけ警戒するトキは近づく私をチラッと見ては目を逸らして挙動不審になっている。



「な、何」



『ほら』



「…?」



そんな彼の側まで行くと私はトキに手を差し出した。

私をどうか怖がらないで欲しかったのだ。



片手を差し出すとトキは一瞬戸惑いを見せたものの、その後ゆっくりとこの手を握り返してくれた。




彼の骨ばった手でこの手を握り返されると、不思議と安心感があった。


トキは私の手を握ると、そっとその手を私の指に絡ませた。




何故だか妙な気持ちになりながらも、私はトキに微笑んだ。




『ほら、なんともないでしょ?』






「…いや、やっぱり、アンタ変だ」





『えぇ〜』



「…だって…何だこれマジ…アンタの手を離したくないって思う…アンタを、離したくないって…」





さっきまで戸惑いで溢れていたトキは再び私に向かって積極的になるとその腕を引っ張って私を胸の中に抱いた。


逃げる間もなく腕をガッチリと掴まれているため私は彼の思うままにただ抱きしめられていた。


彼は私を再び強く強く抱きしめると私の首筋に顔を埋めて息を吸った。

何だかこそばゆい。


そっと彼の胸を押しても、びくともしなかった。



『…あ、えっと…トキさん?』



「…黙って」



何かを言おうとしてもトキはただそのまま私を抱きしめ息を吸った。


何だか匂いを嗅がれている気がしてまた私は身を捩った。


流石に何だか、恥ずかしい。




彼の耳についた十字架のピアスが私の首に当たりひやっとする。


あまりに強い抱擁に、私は身動きが取れなかった。

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