第32話 トキという少年

暗い暗い海の中で私は足をバタバタとさせ腕を伸ばした。

先ほど受けた傷のせいで上手く手足が動かない。

冬の雪降る海はまるで魔物のように私の身体を覆い凍らせていく。


視界も上手く開かずにバタバタと暴れれば、やがて私の首についている青いネックレスがキラキラと輝いた。


そのネックレスは私を包み込むように輝くとこの身体を暖めた。


寒くて死にそうなはずのこの海の中で私は真綿に包まれるようにそっと目を閉じた。


リキ…アリア…ルキア…アーキル…ユナ様…皆、無事なの?


頭ではそのことばかり考えいた。

息が出来なくなり、私はついに手足を動かすことさえ出来なくなった。


誰か、誰か、この手を掴んで。お願い。

助けて。



そう強く願いながら、私は深い深い海へと沈んでいった。









「…見つけた!!」











意識を失う前、誰かが海の中で囁いた気がした。










けれどそれはきっと気のせいだ。










海の中で声が聞こえるはず、ないのだから。











































夢を見た。

暗闇の中で私は再びユニコーンに出会った。

まさかまたユニコーンに会えるとは思わず私は勢いよくその子に抱きついた。


この子にあの時起こされなければ私はきっとそのまま炎に包まれて死んでいた。


この子は、命の恩人だ。




暖かい光が私の中に流れてくる。


不意に泣きたくなって、それでも私は涙を堪えた。








『…ユニコーンさん、私、守護神を探すわ。

あのねもう誰も失いたくないの。あの悲劇を起こした犯人を捕まえて、私がこの世界を守るわ、そうしなければ私を逃してくれたリキやアリアに顔向けできないもの…』







泣きそうにながらも私はユニコーンを抱きしめてそう言った。


その瞬間、私の足元からが差し込み真っ直ぐに道を照らした。


さっきまで真っ暗闇だったこの場所はその光で明るくなり、私は目を見開いた。



気づくとユニコーンはいなくなっていて私はその光の道を歩き出した。



足を踏む度に地面の光からリンリンと音が鳴る。










やがて歩いて行くとまるで走馬灯のように今まで見た夢が繰り広げられた。



まずは絵画と首吊りの少年。

そして次に炎に包まれた少年。

そして、崖の上で踊り狂う少年。

それから、海の底へ沈む誰かの姿。

歩く度に時計の針がカチカチと音を立て、やがて私は光の先へたどり着いた。



そこには青い花畑が広がっていた。


月明かりの下で、誰かが佇んでいた。







酷く懐かしいその後ろ姿に涙が込み上げてきて、私はその場に膝をついた。









月明かりの下で佇むその少年は、まるで誰かの帰りを待っているようだった。














しかしその少年がこちらを振り向こうとした瞬間、目の前に黒いドラゴンが現れた。










大きなドラゴンは足元の光さえも消し去って最後の光である月を飲み込んだ。







苦しそうに鳴いて暴れるそのドラゴンを見つめながら私はそのドラゴンにそっと手を伸ばした。















次の瞬間そのドラゴンは口を大きく開きこちらへと向かってきた。















喰われると分かっていても、私はその場から動かなかった。
















『…ごめんね』

















そうして呟いた瞬間、私はそのドラゴンに喰われた。





暗闇の更に暗闇。
















最果ての暗闇の中で、私はまた一人座り込んでいる少年を見つけた。
















辺り一面闇に包まれた中で座り込むその少年は今にも消えてしまいそうだった。















私はそっと彼に近づくと、やがてこの手を伸ばした。




















しかしそんな私の手には、大きな剣が握られていたのだーーー。






























やがて私はその剣を振り上げると、そんな彼に突き刺そうとした。





















『…!駄目!!!!!』































やがて大きな声で叫んだ私は、剣を突き刺す前にこの暗闇の中から抜け出していた。





























『!!はぁ、はぁ、ハァッ…』
























目が覚めると、私の耳には時計の針の音と暖炉の火の音が聞こえてきた。





暖かいオレンジの照明に目を細めると、私は今目の前で顔を覗き込んでいた"誰か"と目が合わさった。













『うわぁぁぁぁぁあ!!!』







「わぁぁぁあ!!なんなんだよ!うるせー!びっくりするでしょうが!!」









思わず反射的に叫ぶと、目の前にいたその少年も一緒に叫んで二人してのけ反った。













少年はオレンジの髪で、前髪は真ん中で分けられていた。

彼の両耳には黒い十字架のピアスがしてあって服を見たところ普通の民のようだった。




彼は持っていたタオルらしきものを持ち直すと胸に手を当てて息を吐いてから改めて私を見てきた。




『だ、誰!?殺しに来たの!?』



さっきのこともあり思わず警戒して距離を取れば相手の少年はギロッと私を睨んでそのタオルを投げつけてきた。




「あのねえ!!命の恩人にはまずお礼することね!?オレがいなかったらアンタ死んでたから!凍死してたから!このトキ様に感謝しろっての!」




そう言って腕を組むと彼はふんっと向こうを向いてしまった。


そうして冷静になって腕や足を見れば、そこには包帯が巻かれていた。

そのタオルはおそらく私の額を拭いていてくれていたらしく血が少しだけついていた。




見たところ私とあまり歳は変わらなそうなのに、しっかりしている様子だった。





『ご、ごめん…色々ありすぎて今誰も…信用できなくて…』




助けてくれた人に向かって失礼な態度をとってしまったことに反省して私は頭を下げた。

すると彼は頭を掻くと別に、と言った。



「こんな真冬に海泳いでたのか?アンタ頭おかしいって…」




彼…トキはそう言ってあり得ないという顔をしながら首を横に振った。


暖炉の近くには私が着ていたリキの上着が干されていた。

それを見て思わず涙が込み上げた。



『…っ』




「…おいおい今度は泣くのかよ勘弁してくれ」




泣きはしない。

涙が出そうでも、絶対に泣きはしない。


私はリキと約束したから。

彼は泣き虫なんかじゃないって。

ならばリキである私は泣くのを我慢しなくては。


そう思って唇を強く噛んだ。




「あのさぁ、オレだってほんとは助けるの躊躇ったんだぜ?なんたってアンタはあの有名な悪魔の息子らしいし?」




悪気はないのだろうけれどそう言ってトキは眉を寄せた。

そうだ、私は悪魔の子で、人殺しだ。


そんな私を助けるなんて、何か裏があるようにしか思えなかった。



『…僕をどうするの?皆に引き渡すの?それともここで殺すの?』



「…そうして欲しいならするけど?そもそも殺すならとっくに殺してるっつの。オレはただの優し〜旅人だよ!」



そうは言っても、ルキア以外を簡単に信用することは出来なかった。

こんなことが起こる前なら、私はきっとトキとすぐに仲良くなれただろうに。



トキはまだ疑いの目を向ける私にため息をつくとそのまま暖炉の方へ向かいそこにあった鍋をかき混ぜた。


部屋は狭く、トキがどこにいても分かるような間取りだった。



質素なこの部屋はどこか私がいたあの小屋を思い出させた。




今のうちに逃げるか。

もしトキが私を捕らえようとして時間を稼いでいるなら今すぐに逃げなくてはならなかった。


ここがどこだかも分からない。


けどさっき確かに海の中で気を失ったことは覚えていた。

こんな私にここまで治療をしてくれたトキを、少しは信用していいのではないか。


そんなことを思いながらその背中を見つめた。






その時、扉がトントンとノックされた。




『っ!』







私は思わず寝込んでいたベッドに潜り姿を隠した。

この狭い小屋ではここ以外隠れる場所などなかったから。



部屋の扉がノックされると、トキがそちらへと向かう音がした。

心臓がドキドキと音を立てて止まない。


このままバレたら私は殺される。

そんな恐怖が私を覆ったのだ。





ガチャ








扉の開く音が聞こえると、やがて複数人の声が聞こえた。








「ああどうも旅人さん。ここらで金髪の男を見なかったか?お前知ってると思うがあの例の悪魔の子が今逃走中らしいんだ、リアネスの王子だよ」



「奴の首にはがっぽり賞金がかけられてる、もし見かけて見つけたなら俺らと分けよう」



「一生生活に困らないぜ?」





扉の向こうで聞こえたその声に、私は呼吸を荒くした。



このまま、私、死ぬの?











死という恐怖が私を襲い、小さく震えた。


出会ったばかりのトキはなんて言うだろうか。




賞金がかけられているなんて知らなかった。

誰だって、こんな悪魔の子より賞金を取るはずだ。
















「見てないな。というかそんな悪魔の子なら今頃オレ殺されてるし」




『っ!』















庇って、くれた?





















トキの言葉に私は目を見開いた。

まさか庇ってくれるなんて。



こんな、私を。
















「そうだよな…。あ?そこのベッドに寝てんのは誰だ?」









『っ!』








「オレのお嫁サン。寒くて凍えてんのよ、てな訳でずっとこの扉開けとくと嫁サンもっと寒がっちゃうからもういい?」





「あ、ああすまねえ」







そうして、扉の閉まる音がした。















トキは、私を逃してくれたのだ。




















『…っ!トキ!』




「シッ、まだ近くにいるかもしんないから」






トキは扉の側で耳を立てると唇に指を当てて私を黙らせた。


奴らが去ったのを確認するとトキは盛大に大きなため息をついてまた何事もなかったかのように鍋をかき混ぜに行った。





『…トキ、ありがとう』



「え?何が?」



『…助けてくれた。賞金出るって、言われたのに』



「別に金に困ってないし。貧しいながらに幸せを見つけんのがオレの幸せだからさ」









そう言ってニッと笑った彼の笑顔を見て、私の心臓がドクドクと音を立てた。

何故だか懐かしい気がする。


会ったことのない彼に、そんなことを感じた。






トキは素敵な人だ。

貧しいながらに幸せを見つけるだなんて、普通は思えない。


お金がもらえるなら他人を犠牲にしてでも幸せを掴みたいと願うはずなのに。





『…トキは素敵な人だね』



「は!?急にやめろってなんだよ」



そう言って目を逸らしたトキに私は微笑んだ。



私が知らないだけで、外にはこんなに心の美しい持ち主もいたのだと知れた。








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